小説 沖縄サンバカーニバル2004

20年前の沖縄・コザを舞台に、現在も続く沖縄サンバカーニバル誕生秘話

第15話 9月8日(水) 通り会会議

 ウンケーの夜から風力を強めた台風18号は、5日の日曜日の夕方には名護市の上空を通過。この日はもちろんサンバチームの練習会は中止にしたけど、お店の方は開けることにした。

 沖縄って台風が来ようが構わず飲みに来る客がいる。ただし、さすがにこの日は誰も来なかった上、お店が一時停電する事態にも。この辺り、ちょっと風が吹くとすぐ停電しちゃうんだよなー、ろうそくは常備品だ。

 その後のニュースで知ったけど、北海道まで勢力を弱めなかったこの台風では、全国で死者が41名も出たそうだ。そんな中、写真好きの泉井さんは金曜日の飛行機で無事帰れたようだ。

 数日経っていただいたお手紙には、勇魚とナーナーの写真が同封されていて「今度は11月にサンバカーニバルの写真撮りに来ますね」と綴ってあった。

第15話 9月8日(水) 通り会会議

 さて、いよいよ今日は通り会の店主を集めての、沖縄サンバカーニバル開催の説明会。

 アベニューの第3班といえば、先日「土着人ふぇすた」でサンバクィーンコンテストを開催したところだけど、その近くに通り会が経営する駐車場があり、敷地に事務所が建っている。会議室は2階にあり、説明会はそこで行われることになっている。

 アベニューの通り会の会員は、現在、約40店舗ほど。幸江さんの方で案内状を全店舗に配ってもらったけど、もちろん積極的にこの説明会に参加する店舗があるとは思えない。そこで、ある程度、サンバカーニバル開催に協力してくれそうな店舗の目星をつけて、直接、挨拶に行ってお願いをしていた。

 そういったわけで、集まってくれたのは照屋楽器の林栄さんはもちろんだけど、ダンススタジオ・ケンの健司さんとめぐみさん、BCスポーツからは金城さんの二女でお店で働く由美さんが。その他、チャーリー多幸寿の店長の仲本早苗さんなど、飲食関係のお店が4軒、シェイラーズ・バザールのテディーさんら物販のお店が3軒。ただし、ヒカリさんからは事前に欠席の連絡をいただいていた

 夫はというと、今日は沖縄警察署で行われている飲酒運転撲滅の勉強会に参加している、というかさせられてる。この6月に刑法が改正されて、飲酒運転が厳罰化されたことを受けてらしい。これには各通り会から必ず1店舗は、お酒を提供する店が参加しなくてはならないことになっていて、今回、サンバカーニバルの説明会を開くかわりに、誰も行きたがらないその役を仰せつかったというわけ。

 司会はなんやかんやで幸江さんがやってくれることに。そして最初に、別件で事務所にいた通り会会長の比屋根さんが、挨拶してくれることになった。

「えー今回、アベニューの企画として、沖縄国際カーニバルでサンバカーニバルをやることになりました。やっぱり4年前にドリームショップ・グランプリで、オ・ペイシを選んでよかったんじゃないですか、ねー、みなさん」

 林栄さんから以前、聞いたことがあるんだけど、ドリームショップ・グランプリについては、新しいお店に賞金を出すより、昔から頑張っているお店に補助金を出すべきではというような要望があったそうだ。会長は、そのことを言ってるのかな。

「コザはずっと、アメリカー、アメリカーで売ってきましたけど、これからは、ラテンアメリカ、ペルーやブラジルもはやるんじゃないですか。わたしは、ブラジルには2度ほど行ったことがあるんです。で、やっぱり国土は広いし、料理は安くておいしいし。あれ、なんて言ったっけブラジルのバーベキュー、アキさん」

シュラスコですか」

「そーそー、そのシュラスコがおいしくて、どこの店に行っても食べ放題なんだよな。それに、あの、なんだっけライムのカクテル」

「カイピリーニャですか」

「それそれ、これが甘くておいしくて、何杯もいけちゃうんだけど、しまいには酔っぱらうんだよ。まあーとにかく、皆さん、こちらのオ・ペイシをいろいろ助けてあげて、沖縄県内で初めてのサンバカーニバルの開催に協力してあげてください。よろしく」

 そういって、会長は次の用事があると言って退室していった。ドアを閉める前に振り向いて、

「健司、しっかり通り会に協力するんだぞ。それと、めぐみは健司の言うことを聞いていればいいから、いいな」

「わかってるよ、おやじ」

 健司さんの返事はどことなく弱々しく、心無さげに感じられた。

「トートーメーもそれはそれで大変よね。健司君ひとり息子だから。あと、会長、ブラジルの話が始まると止まらないから、今日は短くてよかったわ」

 幸江さんがわたしにだけ聞こえるよう、耳元でそうささやいた。

第15話 9月8日(水) 通り会会議
シュラスコ

 そういえば、前に幸江さんから聞いたことがあるんだけど、比屋根会長がブラジルに2回も行ったというのは、ブラジルに住む基地地主から、土地を買い集めることが目的だったそうだ。

 ブラジルへは沖縄からたくさんの人が移住しているけど、コザからも多くの家族が渡っていった。そういった人たちの中には、軍用地の所有者ももちろんいた。

 その後、沖縄が日本に復帰して法律が変わると、支払われることになった借地料の手続きがされないまま、移住者の軍用地が何年もほったらかしになっているケースが多々あったそうだ。

 そこで、不動産取引に詳しい会長は、ブラジルに行ってコザ出身の家族を訪ねては、土地取引の書類にサインを集めて回ったようだ。軍用地は転売可能。安定した借地料が入るので優良物件として取引される。だって、基地はなくならないからね。嘉手納基地の滑走路の土地が一番高いといった話が、まことしやかに語られている。

 そして、この話をするたびに幸江さんがいうには、

「わじわじーするくらい、買い集めたんだって」

 あまり土地取引の知識もなく、あっても遠い日本のこと。そういった移民やその子孫から、「ムカムカするくらい」軍用地を手に入れたんじゃないかという話だ。

第15話 9月8日(水) 通り会会議
軍用地売買仲介業者

 それはさておき、説明会はまずは幸江さんから、市の文化観光課との間で交わされた決定事項が報告された。

 開催日は11月6日土曜日、夜6時から6時半までの30分間。場所は空港通り全面。予算は20万円。これは支給されるものなので、清算書の提出はいらない、などなど。

 次に、わたしから実際の運営方法を説明することとなった。

「それではお配りしたコピーを見てくれますか」

 そこには、今年のテーマが「缶から三線」であること。テーマ曲の歌詞全文と、その内容は、沖縄の戦後が代用品に象徴されるたくましさで始まったということ。そして、それは二度と戦争を起こさないための誓いでもあること。その他、予算はほぼ山車の製作に使われるということや、参加人数の見込みなどが書かれている。

「いーですよ、もう読みましたけど、 何をしたらいいかだけ言ってくれれば。できる限り協力はしますから」

 とは林栄さん。みんな、はなから協力するつもりで来ているので、議論することはないし、仕事中なので、早く帰りたいというのもあるんだろう。

「アキさんはサンバのプロなんだから、もう、なんでもお任せしますね。私たち詞とか読んでもわからないし。テーマが平和についてならいいと思います」

 これはチャーリー多幸寿の早苗さん。

「わかりました。まず、飲食店の皆さんには、県外から来る参加者に対して、飲食代の割引を行ってもらえませんか」

 すでに県外のサンバチームに呼びかけを行っていて、今年は少なくとも30名は来てくれる見込み。サンバ好きにとっては、沖縄を観光しながらサンバのイベントに参加するというのは、それこそ2倍の楽しさがあるようだ。

「了解です。県外参加者だってわかる証明書みたいなものを作ってくれたら対応しますね。いいアイディアだと思います。この街のお祭りなんだから、この街でお金使ってもらいましょう」

 チャーリー多幸寿は観光客に人気なので、参加者も喜ぶはず。

「それと、ミッキーさんのところで、打ち上げをさせていただくことになっています。さすがにうちのお店は当日バタバタしますんで、仕込みどころじゃないんで」

「はいよー、まかちょーけー。お願いがあるというから、てっきりビキニで踊れって言われるかと思ったのにさー、もー残念!」

 一同から笑い声が上がる。大衆食堂ミッキーは、もともとは空港通りにあったのが、今年になって、うちのお店と照屋楽器との間に移転してきた。わたしよりも少し年上の江美子さんが作る沖縄家庭料理は、地元の人だけでなく米軍関係者にも人気のようだ。

「飲食店以外のお店の方は、何でもいいですからもう売らないもの、使わないものがあったら、寄付してください。カーニバルといっても、要は仮装行列なんで、それに利用できるものがあったらお願いします」

 すると照屋楽器からは、傷のついたドラムのスティックと中国製のマイクが、インド人のテリーさんからは、「羽根をむしってサンバの衣装につかったらいいよ」と香港で買い付けてきたという中国風の扇が。

 喜納Tシャツからは、売れ残ったTシャツを提供してもらえることに。白Tシャツで背中にはすでにプリントが入ってるけど、前面は無地なので、サンバチームのロゴを入れたいなら代金は1枚300円でいいとのこと。300円なら県外参加者に記念にプレゼントするのもいい。ただし、あとで見せてもらったら背中のプリントは「ゴーヤーマン参上!」。3年前の朝の連ドラのバッタもんの匂いがぷんぷんした。

第15話 9月8日(水) 通り会会議
ゴーヤーマン

 BCスポーツからは新しく作ろうと思っていたチームの旗を、格安でお願いできることになった。米軍用の記念ワッペンを作っていた刺繍用の機械があるので、お手の物とのこと。

「いやー、やっぱり代用品でサンバカーニバルをするのがクザンチュ流よね」

 幸江さんがここぞとばかりに声を発した。

 ダンススタジオ・ケンからは、当日、ダンサーのリハーサル用にスタジオを貸してくれるという申し出があった。大変ありがたかったんだけど、当日はわざと遊歩道でやった方が、見物客も来てお祭りが盛り上がるので、これはお断りした。もちろん健司さんもその方がいいと言ってくれた。

 それと、10月に入ったらアーケードにかかっている有線放送のBGMを、サンバにしてもらえることにもなった。

 そうして一時間もすると話すことも無くなってきたので、とりあえず仕事中の人にはお店に戻ってもらおうと、幸江さんが会のまとめに入った。

「今日はお集まりいただきありがとうございました。えー、アベニューはシャッター街なんて言われてますけど、サンバカーニバルが開催できるだけの底力はあるんだってこと、みんなで示しましょうね。あと、この街は、もとをただせば何にもないところに、よそ者が集まってできた商店街なんですから、まあ、アキさんもあと10年もしたら、この商店街をしょって立つよそ者のひとりになるんでしょう。だから、あたしからいうのもなんですけど、オ・ペイシのこと、サンバカーニバルのこと、どうぞよろしくお願します」

 思いかげずそう言われたので、わたしはとっさにぺこりと頭を下げた。会の参加者からは温かい拍手をいただいた。幸江さん、いろいろありがとう。


 さて、会は一応お開きになったけど、健司さんとはまだ話さなくてはならないことがあった。もちろん、ダンススタジオの生徒さんがパレードに参加できないかということだ。

 これについて健司さんからは、同じ日に民俗芸能大パレードに参加するので、そのあと、夜7時まで子供たちを留めておくことは難しいという話に。

 そこでわたしの方からは、当日参加できる場所を作るので、もし参加できる人がいれば自由にそこに入って下さいとお願いした。

「でも、ちゃんと歌を作ってパレードするなんてすごいですね。わたし、このテーマ曲の歌詞いいと思いますよ。先月、アキさんが出てるラジオ聴きましたけど、沖縄からもっともっと声を上げていかなきゃだめですよね」

 そう話してくれるのは健司さんの彼女のめぐみさん。彼女は泡瀬干潟の埋め立て反対運動に参加している。

「お祭りなんで、あんまり反戦ソングみたいにはしたくはないんですけど。あっ、歌詞のほとんどは夫は書いたんですけど、ちょっと重たい歌詞もあるかなと、少し直しを入れようかとは思ってます」

「とんでもないです、よく調べてると思いますし、逆にもっと強く歌った方がいいですよ、沖縄の人が戦後、ほんとうに苦労して、いまでも基地に苦しんでいることを。それと、ユージさんが書くんでしたら、来年は泡瀬干潟のことをテーマにできませんか。前にテレビで見たんですけど、ヨーロッパでは反政府運動なんかでデモ行進するとき、サンバ隊が出るんだそうですね」

「めぐ、もういいよ、そんなことばっかり言ってると、またおやじに怒られるぞ」

 健司さんが煩わしそうに話を遮った。

「すみません、アキさん。こいつ、言いたいことばっかり言って」

「何よ健君、何でもかんでもおやじに怒られるってばっかりで。あなたには自分の考えがないの」

「考えてるよ、考えてるって」

「うそよ、あなた最近別人になった」

「うるさい!」

 健司さんが突然声を荒げた。まだ会議室に残っていた幸江さんが、驚いて目を見開いた。

「あ、すみません、大声出しちゃって。めぐ帰るぞ、すみません、失礼します」

 そう言い残して、健司さんはめぐみさんを引っ張るようにして会議室を出て行った。

「あのふたり、ちょっとうまくいってないのかなー。最近、いつもあんな感じなのよねー」

 ふたりっきりになった会議室で、幸江さんがちょっと心配そうにつぶやいた。

「健司君、もともとは泡瀬の干潟を守る会にも顔を出していて、めぐみさんとはそこで知り合って、スタジオの仕事も手伝ってもらうようになったんだけど、会長は当然、埋め立て推進派だからねー、うーん」

 そういえば前に夫が、健司さんたちのステージのプラカードが変だったと言ってたのは、ほんとは「泡瀬干潟を守ろう」としたかったのを、健司さんに、というか比屋根会長のひと言でやめさせられたってことだろうか。


 沖縄サンバカーニバルまで、あと60日。




 第16話に続く 

第15話 9月8日(水) 通り会会議
チャーリー多幸寿

第15話 9月8日(水) 通り会会議
大衆食堂ミッキー




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです

第16話 9月10日(金) Aサインの街

 まだパレードの真っ最中だというのに、隊列が途切れてしまった。本来、色とりどりの仮装をまとった参加者で埋るはずの800メートルのコース、その半分が無人となってしまっている。夜明け前の午前4時、立ち並んだ照明塔のまぶしさがむなしい。

「10台目の山車が、スタート地点で故障してしまったようです」

 テレビ局の女性アナウンサーが、ニュース速報でも読むかのように実況する。カメラはその動かなくなった巨大な山車の上で途方に暮れる、女性参加者を映し出す。地上10メートルほどのところにいるだろうか。花形という意味のデスタッキ役の中年の女性は、直径3メートルはあるかという羽根の背負子のために身動きが取れない。

「涙ぐんでいます、1年かけてせっかく用意したのに、パレードコースには出られません」

 消防隊員がクレーン車を使って、彼女を地上に降ろす手はずを進める。同じ山車に乗っていた比較的小さい仮装の参加者十数人は、もう待っていられないと駆け足でコースに飛び出していく。「染料」をイメージして作られたというショッキングピンクの仮装が鮮やかに映し出されれるが、もう後の祭りだ。

「大きな減点は免れないでしょう。山車の項目と、調和の項目の点数はかなり低くなるにちがいありません」

 女性アナウンサーが、淡々と採点項目と減点方法のルール説明をし始めた。


 お店のカウンターのテレビに映し出されているのは、1994年のリオのカーニバルエスタシオ・ジ・サーが、SAARA(サーラ)と呼ばれるリオ有数の問屋街をテーマにパレードしたもの。沖縄でいえば那覇の平和通りをテーマにしたって感じかな。

「ふーん、こういうアクシデントもあるんだね。カーニバルって華やかなだけじゃないんだ」

 今日は開店時間すぐから、シロさんが生ビール片手にビデオを見ている。

「重量の計算をちゃんとしてないと、スタート地点で人を乗せた途端、山車の車軸が壊れちゃうことがよくありますね。あと、装飾はほとんど発泡スチロールで作るんで、電気系統に異常があると発火して燃えちゃうことも」

 1992年のリオのカーニバルでは、パレードコースの真ん中で山車が全焼してしまったことがあった。

「今年はアキさんたちも山車作るんでしょ。人を乗せるとなると、こりゃ責任重大だねー」

「まあ、うちはこんなに大きいの作りませんし、倉敷さんにお願いしてるんで大丈夫だとは思いますよ」

 単管、いわゆる鉄パイプの組み立て作業などお手のもんの倉敷さんには、山車の骨組みの設計図を書いてもらっている。辺野古の作業で忙しいとは言っていたけど「それでは現場監督として頑張ります」と、大げさに敬礼までしてくれたので、やる気になってくれてるようだ。

第16話 9月10日(金) Aサインの街
1992年パレード中に出火したヴィラドウロの山車

 そして今日は珍しく、幸江さんもカウンターで生ビールを飲んでいる。カーニバルまであと2か月を切り、メンバーやスタッフが週末に飲みに来ることが多くなったので、幸江さんもどうぞと前々から誘っていた。

「あたしの方は、保健所の駐車場借りる手続きしといたからねー、あと、通り会所有のトラック、古いけどどうぞ使って」

 幸江さんには山車の組み立て場所として、2年前に移転した中部保健所の跡地の駐車場を使わせてもらえるよう、市役所にお願いしてもらっていた。一番街商店街の北側にあり空港通りに近いので、当日の山車の移動がしやすい。また屋根のついたところがあるので雨天でも作業できる。

「ありがとうございます。わたしの方ではデイゴホテルにお願いして、参加者の宿泊の割引をしてもらえることになりました」

 お店からすぐのところにあるデイゴホテルは、Aサイン時代から続いている老舗ホテル。かつては嘉手納基地関係者のご用達だったそうだけど、基地内に立派な宿泊施設ができてからは客足が遠退いたため、最近では、沖縄市内に大型スポーツ施設があることで、学生向きのスポーツ合宿に力を入れてるそうだ。

「それと、この店の二階、貸してもらえることになりました」

 というのも、うちのお店とBCスポーツとは同じビルの一階にあり、その二階は空き店舗で広いワンフロアになっていている。ここはBCスポーツの所有で一部倉庫に使用されてるけど、金城さんから「空いてるスペースは、自由に使っていいよ」とのありがたいお言葉。

 そこで山車の装飾や仮装などを作る作業場所にさせてもらうことにした。電気は通ってないけど、お店から延長コードで引けばいい。

第16話 9月10日(金) Aサインの街
デイゴホテル

 すると、この街の歴史に詳しいシロさんがここぞとばかりに話し出す。

「二階は昔のチャンピオンだろ。いわゆるAサインバーの。フィリピン・バンドとフィリピン・ダンサーが入っていて、ずいぶん賑やかな店だったらしいよ」

 確かに二階の奥には小さいながらもステージが残っていて、天井からはピンスポットが埃をかぶったままぶら下がっている。客席の壁には「Wisky&Coke(ウィスキーコーク) $5」「Seven Seven(セブンセブン) $5」といったメニューがいまだに何枚も貼られたままだ。

 さらにシロさんが言うには、

「チャンピオンは大島から来た人がやっていたんだよね。奄美大島。この辺のお店、奄美出身の人が多いって知ってた?」

 チャーリー多幸寿やニューヨークレストランがそうだと聞いたことがあった。そう答えると幸江さんからは、

「その2軒は大島って言っても喜界島ね。聞いたところでは創業者のふたりとも戦前はアメリカで働いていて、戦争が終わって一度喜界島に戻って、それからこっちに来たそうよ」

 幸江さんも、さすがにこの通りの事情に詳しい。

「へー、だから英語ができて、すぐ商売になったんですかねー」

「それだけどさー、大島や宮古なんかから来た人は、最初は八重島の方で商売してたらしいぜ、コザ小の向こうの方で」

 シロさんはそう付け加えると話の流れで、この街の地名、コザの由来について語り始めた。そういうのが好きなんだろうねー。

「読谷から上陸したアメリカ軍は、本島を南北に分断するため石川に向かったけど、古謝(こじゃ)にも進んでいって駐屯地が作られたんだ。泡瀬の北にあるだろ古謝。そのあと、嘉間良(かまら)って、ここ中央のすぐ北に難民収容所ができたんだけど、多分、古謝の分所みたいな扱いだったから、そこも古謝と呼ばれたんだ。だけど、発音の仕方の違いなんだろうね、表記はKOZA(コザ)。というのも、この前、県庁の一階で『アメリカが作ったウチナーの地図』という展覧会を見たんだけど、その地図の古謝と嘉間良のある場所には、どちらもKOZA(コザ)って書かれてたんだよ」

 その後、施設の大きさからか、古謝の方はスモールコザ、嘉間良の方はビッグコザと呼ばれるようになったそうだ。

 そして1950年、嘉間良に隣接する八重島に特飲街、つまりアメリカ兵向けの飲み屋街が作られると、そこも同じようにコザと呼ばれることになり、さらにBC通りができると、この地域一帯がコザになったというわけだ。

「じゃあ胡屋はどう表記されているかってその地図を見たら、ちゃんとGOYA(ゴヤ)と書かれてる。コザは胡屋の表記ミスだってよく言われるけど、そうじゃないみたいだよ」

 ちなみにアベニューからすぐのところにあるコザ小学校には、沖縄では珍しく制服がある。シロさん曰く、特飲街のそばだったため治安が悪く、地元の子供を見守るためだったそうだ。

「一年中スカートだったから、冬はさすがに寒い日もありましたねー」

アメリカ人のお客さんと話をしていたコザ小出身のリサちゃんが、そこだけ話に割り込んできた。

第16話 9月10日(金) Aサインの街
2004年当時の八重島の歓楽街跡地

第16話 9月10日(金) Aサインの街
古謝の場所にKOZAと表記がある米軍地図

 やがて、7時を回ったころに倉敷さんがお店にやってきた。

「現場監督さん、いらっしゃいませ」とふざけてあいさつすると、

「今日はいい人連れてきましたよ」

 横に立つのは藤川充隆さんといって、海上自衛隊自衛官だそうだ。ふたりもカウンターに座ったので、幸江さんと倉敷さんを真ん中にして4人並ぶことになった。倉敷さんにはピンガのキープボトルを用意する。

「最近、テニス仲間を通して知り合ったんですけど、お祭り手伝ってくれないかって頼んだら、部下の人まで連れてきてくれるって話になって」

 倉敷さんによると、藤川さんは勝連半島のホワイトビーチに隣接する自衛隊基地の通信部門にいて、新入隊員の研修を受け持つ教官でもあるらしい。陽焼けした顔に髪を短く刈り込んでいて、ちょっと小柄だけど筋肉質。広島の呉出身だそうで、広島なまりで話す口調がなんとも人懐っこい。いつもは制服を着てるんだろうけど、今日はアロハシャツに半ズボン。倉敷さんとファッションの趣味が似ているようだ。

「あのですねー、わしももちろんお祭り好きですけど、自衛隊には地元のお祭りに協力しなさいって不文律があってですねー。ほら、札幌の雪祭りがそうでしょ。特に沖縄では自衛隊の評判が悪かったりしますんで、なんなりといってください。山車も作りますし、太鼓も叩きますし。よければ那覇航空自衛隊にも声かけてきますよ、はい」

 さらに話を聞くと、海上自衛隊はブラジルにはゆかりがあるという。毎年、遠洋練習航海というのを実施していて、世界各国を演習して回る中、南米大陸にも行くのだそうだ。

「略して遠航(えんこう)と言うんですわ、わはは。実は今年もブラジルに向けて4月に遠航しに行きましたよ。北アメリカを経由して先月くらいブラジルのサントス港じゃないですかね」

 サントス港につくと、ブラジル在住の県人会の人たちが日の丸片手に迎えに来ていて、隊員は出身県ごとにもてなしを受けるのが恒例なんだそうだ。だから隊員は結構ブラジルの料理やお酒に詳しいらしい。

 とりあえず藤川さんに、シロさんと幸江さんを紹介する。すると幸江さんはちょっと苦笑いをしながら、

「なんだろねー、これー悪口じゃないよ、お祭りで頼りになるのが基地建設屋ーと自衛隊って」

「幸江さん、だからうちは海洋調査。基地建設ではないですって何度言えばいいんですか」

 幸江さんは倉敷さんとは何度か会っているので、どんな仕事をしているかは知っているはずだけど。

「だから、悪口じゃなくてさー、逆に地元の人間が頼りにならないってことなのかねー」

「まあまあ、市職員も色々とやることがあるんですよ」

 シロさんがそう答えはするけど、沖縄の男はダメだというのは、幸江さんの口癖だっけ。

「まあいいさー、おふたりに期待してるよー、よし、じゃあ、乾杯しよう」

 幸江さんのひと言でカウンターの男性3人は、言われるがままに乾杯のポーズをとった。こうなると今夜は幸江さんのペースになるんだろうな。

 ところで、リサちゃんにも藤川さんを紹介しようと探すと、「店の外で電話してるよ」と、シロさんから。そういえば今日は携帯ばかりいじっている。まあ、いいか。店はそんなに忙しくないし。

 そのうち、幸江さんは「あたしにもグラスをちょうだい」と言うと、倉敷さんのピンガのボトルに手を伸ばした。

「ねー、倉敷さん、あんた辺野古の基地建設の手伝いなんてして心痛まないの。あたしのおばさんは13の時、焼夷弾で死んだんだよー」

「いや、僕だって戦争は反対ですよ。それに、何度も言いますけど、うちの会社は調査するだけで建設ではないんですよ」

「じゃあ、ココには基地作れませんって、調査結果出しゃいいじゃないの」

「むちゃくちゃ言わないで下さい。仕事は仕事です。でも、僕は水産高校出身で海の仕事をするのが子供の頃からの夢だったんです。だから、海を裏切ることはしません。これだけは信じてください」

「ふーん、なんかかっこいいこと言うじゃない、でもほんとかなー」

「まーまー、倉敷さんも幸江さんも、平和をテーマにカーニバルするって聞いてますけど、そういうことですよね」

 藤川さんが大げさに両手を広げて、ふたりの間に割って入ろうとする。

「いやいや、自衛隊にそれ言われてもなー」

「待ってくださいよー、ぶち怒りますよー、わしたちだって、戦争したくて自衛隊に入ったわけじゃないんですからー、ねー」

 カウンターに並んだ4人全員が「はははは」と声を揃えて笑う。倉敷さんから、

「よし、アキさん、新しいボトルいれてー」

「いいねー」と手をたたく幸江さん。

 みんなはすぐに意気投合して、やがてどんな山車を作るかという話になった。すると倉敷さんが「実は妙案があるんですよ」と切り出す。トラックはバックで、つまり荷台が前、運転席が後ろになるように押せば、山車の上の装飾やダンサーが正面からきれいに見えるでしょうと。

「それは逆転の発想ですね」と、藤川さん。

「言われればあたりまえだけど、確かに思いつくかどうかだよね」幸江さんも感心している。そんな中「ちょっとトイレ」と立ち上がったシロさんが、

「あれ、リサちゃん、もう上がっちゃったの。今日はあんまり話しできなかったなー」

 そうなのだ。まだ8時になってないけど、リサちゃんにはすでに上がってもらっていた。

「なんか、用事ができたみたいで、さっきお店、慌てて出ていきましたよ」

わたしは、そうとだけ答えた。


 今日、リサちゃんがやたら携帯をいじっていたのには理由があった。

 カウンターで4人が話に盛り上がっているとき、リサちゃんから「ちょっといいですか」と厨房の中に誘われた。ちょうど手の空いていた夫は、気を利かしてかトイレに行くと言って出て行った。

「あのー、誰かに相談させて欲しくってですねー」

「どうしたの、妙に改まって」

「そのー、実はトーニオが来月イラクに派遣されることになりまして」

「えっ」

 突然のことに思わず言葉に詰まった。そうか、トーニオはイラクに行くのか。戦争などどこか他人事のように考えてたけど、やっぱりこの街は基地の街なんだね。Yナンバーの車のトランクに「注意!100メートル下がらないと撃たれるぞ」という、英語とアラビア語のステッカーが貼ってあったのを思い出した。

「それで、戦地に行くときには任務が終わるまで、恋人とは連絡を取らないようにって、上官から命令が出てるって」

 生きるか死ぬかというときに、恋人がいると作戦の邪魔になるのだという。

「でも、それほんとの話なの」と聞こうとしたけど、思わず口ごもった。見るとリサちゃんは涙ぐんでいた。代わりに、

イラクに行った人、みんなが死んでるわけじゃないんだし、大丈夫よ」

 とは言ったものの、本当にどう言葉をかければいいかわからない。

「どうしよー、ふん、あたしどうしたらいんですかねー」

 リサちゃんはその涙目を、わたしにしっかり向けてそう嘆いた。わたしはとりあえず彼女の両手をとって、「うん、うん」と自分の手の平でしっかり包んであげた。




 沖縄サンバカーニバルまで、あと58日。




 第17話に続く


第16話 9月10日(金) Aサインの街
「注意!100メートル下がらないと撃たれるぞ」と書かれたステッカー

第16話 9月10日(金) Aサインの街
コザ小学校校門




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです

第17話 9月11日(土) FMコザ③

「みんな元気かーい! さあ、『ヒカリのピカッと音楽』がはじまるぜぃ! 今夜のゲストは中央パークアベニューのブラジル料理店、オ・ペイシのアキさんでーす!」

「ボア・ノイチ、こんばんわー。みなさんお元気ですかー」

 月いちで出演を頼まれているこのラジオ番組。思えば、前回からもう1か月経ったんだね。この頃、時間の流れがすごく早く感じる。

「さて、今日は何の話からしようか。そうそう、先週の日曜日はすごい台風だったけど、沖縄の台風にはどう、もう慣れた?」

「やっぱり、東京に住んでいた時と比べると、風の強さが違いますねー。あの日の夜、お店開けてたんですけど、外出たてみたら国道のサラ金の看板がこなごなに壊れて、道路に飛び散ってましたよ」

「お店、停電したでしょ。俺も店に用があっていったら電気つかなかった。この辺すぐ停電するよね」

「クーラー止まっちゃたんで、夫が倉庫から扇風機出してきたんですけど、つかないって。ほんとバカですよね」

「ははは、それはかなりのフリムン(バカ)だねー」

「そういえば、沖縄に来てちょっとびっくりしたんですが、小学校の休校の判断ってFENでするんですよね」

「FENのテレビ放送でしょ。昔から台風情報はあれ見てたなー。そうだよね、内地はFENはラジオだけだもんね」

 沖縄本島ではアメリカ軍人や家族向けにテレビ局が開設されていて、台風の時には画面の左下にその勢力を表すTC1から3までが表示される。沖縄本島が暴風域に入ったときにはTC1。TC1が表示されたときは小学校は休校になるので、学校からは「FENを見て休校かどうかの判断をしてください」と言われるのだ。なんかこれって、米軍に丸投げって感じがするけど、やっぱり米軍の気象情報は確かなんだろうなー。

第17話 9月11日(土) FMコザ③
沖縄の休校の判断はFENを見ることから(当時)

「さてさて、今日は何か発表があるとか」

「はいはい、よくぞ聞いてくださいました。第1回沖縄サンバカーニバル、テーマがついに決定しました」

「それでは発表をお願いします、なんてね。なになに、何に決まったの?」

「『缶から三線』です」

「缶から三線、缶から三線かー。そうかー。サンバのテーマってもっと派手なものかと思ってたけど。缶から三線は沖縄の人にはおもちゃみたいなものだから、ちょっと意外だなー。この前、沖国大のヘリ墜落の話をしてたから、『嘉手納基地』みたいなガチガチなのがテーマになると思ってたよー」

 確かに沖縄の人に缶から三線がテーマだと話すと、同じような反応をすることが多い。一方で県外の人に話すと、それって何ですかから始まって、面白そうですねとなる。それでいい。そうなることは織り込み済みなのだ。

「それで、どんなパレードになるのかなー。曲はもちろん、仮装や山車とか作るって言ってたよねー」

「缶から三線を、沖縄の戦後の復興の象徴として、とらえようと思うんです」

「なんか難しい言葉並んできたねー、沖縄の、戦後の、復興の、象徴?」

「舞台は石川の難民収容所なんです。例えば小学校はガジュマルの木の下で戸板を黒板代わりに授業をしてたとか、野戦テントのカバーをほどいてシャツやズボンを作ったとか、とにかく生きていくために、その時あるものを何でもたくましく利用したってことが、沖縄の復興の原点だったんじゃないかと」

「うんうん、おもちゃじゃなくて、缶から三線に歴史を語らせようっていうんだね」

「テーマ曲の歌詞はこうです。そして、その詞をもとにしたパレードの構成はこんな風に考えています」 


 まず、一番先頭のグループは女性ダンサーが5名。衣装はビキニではなく、歴史を旅するタイムトラベラーをイメージした鉄道の車掌風の衣装。(わたしとジャニース、いずみちゃん、ユキちゃん。ナーナーも入るかな)

 次は1台目の山車。長さ5メートルの缶から三線を作って載せる。その周りには缶に合わせ銀色の衣装が5名。(5名は自衛官の奥さんにお願いする予定)

 3番目はガジュマルと教科書の仮装のグループ。頭と肩にガジュマルの木の枝、手には教科書。(参加グループ未定)

 4番目はアカバナの仮装のグループ。戦争が終わり最初の夏を迎えたイメージ。大きななハイビスカスの花をつくり、頭からかぶる。(ここは海上自衛隊にお願いする)

 5番目は米軍のパラシュート部隊の仮装。迷彩柄の服を軍服代わりにして、傘を改良してパラシュートに見立てる。(参加グループ未定)

 6番目は旗持ちペア。純白の衣装。パラシュートで作られたウェディングドレスをまとう新婦と新郎をイメージ。(ポルタの尚ちゃんはここ)

 7番目はバテリア。仮面舞踏会をイメージした黒と銀の衣装。帽子にマスクのオブジェと黄色い羽根飾り、背中に金のマント。去年製作したものを再利用する。(バテリアの前はサンバクィーン、つまりリサちゃん)

 8番目は缶から三線を持った子供たち。胸に鳩のオブジェがついたポンチョ状の衣装。もちろん平和を表す。(安慶田夜間保育園の園児を呼ぶ予定)

 9番目は、当日参加者のためのスペース。(スタジオ・ケンの生徒さんが来る場合はここになる)

 最後は2台目の山車。ビキニの女性ダンサーが5名乗る。この山車の周りは、カーニバルの雰囲気そのままに、色とりどりの衣装を着たパシスタが自由に踊れるようにする。(ここは全員県外のダンサー)


「へー、当日、どんなパレードになるのか、ちょっと見えてきた気がするねー。缶から三線は小学生のいる家庭なら大抵あるから、子供がたくさん参加してくれるといいね。でも、この歌の歌詞、子供にはちょっと難しくないかなー」

「でも、子供って大人っぽい方がかえって面白がるっていいますよね。呪文みたいにして覚えてくれるんじゃないですかねー」

 意固地になってるかもしれないけど、サンバがふざけた裸踊りではないこと、子供たちにもちゃんと知ってもらたいし。それと、めぐみさんに言われたからではないけど、夫がきちんと調べて歌詞を書いたことは、やっぱり尊重してあげたいという気持ちもある。

「まあ、そうかもねー。そうそう、前にも言ったけど録音は手伝うから言ってちょうだい。それではそろそろ時間なので、アキさんから今夜のお薦めサンバ、曲の紹介お願いします」

「インペラトリスというリオのサンバチームの1989年のテーマ曲で『リベルダージ・リベルダージ・アブリ・アス・アーザス・ソブレ・ノス』です。ブラジルの帝政がクーデターで終結してから100周年を記念して作られた曲なんですけど、自由になった国民、特に解放された奴隷の喜びを歌っています。沖縄戦が終わって人々が収容所に入れられたとき、みんな死なずにほっとしたっていう話を聞いたんですが、同じような気持ちだったのかなと選びました」

「うーん、なんかサンバって歴史の授業みたいだね。そのうち織田信長徳川家康とかがサンバになるのかな。とりあえずリスナーの皆さん、聴いてちょうだい」

第17話 9月11日(土) FMコザ③
石川収容所で戸板を黒板代わりに行われた国語の授業(沖縄県公文書館所蔵)

 放送が終わってお店に戻ると、普段は来ないような若いお客さんで席が埋まっていた。今日、明日と、台風で延期になった全島エイサーとオリオンビアフェスが開催されているので、街全体に人の動きがあるようだ。

「リサちゃん、忙しかった。ごめんね、お店任せちゃって」

「大丈夫です。忙しい方がいいんです、考え事したくないんで」

 リサちゃんは昨日のことにもめげず、休まずアルバイトに来てくれていた。だけど、やはりどこか空元気だ。

「なんか用事があったら、もう今日は抜けていいよ」

「ほんと大丈夫です。たぶん中の町の店も忙しくなるんで、今日はさぼらず生活費、しっかり稼ぎます」

 うんうん、その調子だよ、リサちゃん。

 やがて8時になってリサちゃんが上がると、その入れ替わりにナーリーさんがお店に来てくれた。彼女の慶子さんと一緒だ。ふたりともちょっと酔っているかな。いつも通り六番テーブルに座りコロナビールをそれぞれ注文する。

ビアフェス行ってきましたよ。カチンバ観ました。もー最高でした。来年はオ・ペイシもステージに出れないですかねー」

「アキさーん。ナーリー、アメリカ人と一緒になって騒いで大変だったんですよー」

 派手目なワンピースを着る細身の慶子さんは、何度かお店に来てくれたことがあり、ダンサーにならないかと誘ったこともある。だけど彼女もナーリーさんと同じく、音感がないんだなー。はは、ちょっと、失礼。昨日、倉敷さんが藤川さんを連れてきて、シロさんと幸江さんで大いに飲んでた、という話をすると、

「どんどん人が集まってきて、いよいよって感じでいいですねー、沖縄サンバカーニバル。自分も今度、とりあえず会社の同僚を連れてきますよ」

 うんうん、わたしもいい感じに人が集まって来ていると思う。だけど、

「ちょっと聞いてくれます」と、わたしはナーリーさんをカウンター席に呼んだ。

「はー、なんかあったんですかー」

「ナーリーさんなら何か知ってるかもと思って」

 わたしは昨日、厨房でリサちゃんから聞かされたことを話すことにした。

「トーニオだっけ、彼って海兵隊員(マリーン)ですよね」

「うん、確か、キャンプ・フォスターに住んでるっていってたかな」

「それって、ちょっとやばいかも」

 さっきまで酔っ払いの顔をしていたナーリーさんが、少し真顔になった。

「うん、最近またイラクで戦闘が広がってるって、リサちゃん心配してた」

「いや、そうじゃなくて、そう言って別れようとする手口、聞いたことありますよ。上官から言われたっていうんでしょ。上官がそんなこと言うはずないと思いますけどねー。トーニオってほんとにイラクに行くんですかー」

 もちろん、わたしもその線は考えていた。でも、うそでないことを信じたいと思う。ただし、うそでないと彼はイラクに行ってしまうことになる。どっちに転んでも、いい話ではない。

「調べてあげますよ、もちろん、リサちゃんに内緒で。前も言いましたけど慶子、基地で電話のオペレーターやってますから」

「なになに、何の話」と、慶子さんもカウンター席にやってくる。

「ちょっと、人を探してくれって、オペレーター仲間を使って、海兵隊員(マリーン)のこと調べてくれないか」

 慶子さんは別に驚いた様子ではないので、こういった話よくあることなんだろう。そういえば、前に妊娠した女の子の母親から、しつこく電話がかかってきたことがあるって言ってたかな。すると真顔でわたしに、

「アントーニオでしたっけ、フルネームわかります。というかファミリーネーム」

「フルネームは聞いたことないなー、店にはリサちゃんと一回食べに来てくれたけど。苗字で呼ばないじゃない、アメリカ人は」

「クレジットカードは」

「あ、そうか、そうよね、うちインプリンター使ってってるから、カーボン紙にカードの情報、そのまま残ってる」

 わたしはレジの下から、クレジットカードの伝票の束をとりだし、心当たりのある日付けのものを探してみる。

「あった、アントーニオ・ゴメス・ロドリーゲスだ」


 沖縄サンバカーニバルまで、あと五七日。




 第18話に続く


第17話 9月11日(土) FMコザ③
オリオンビアフェスト2005




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです

第18話 9月19日(日) フェンス

 5日の練習会が台風で中止になった分、12日の練習は目いっぱいしたかったんだけど、メンバー誰しもがオリオンビアフェストに行きたいことはわかっていたので、3時には練習をやめて、みんなで会場のある沖縄市運動公園に向かうことにした。300円でビールが飲めて、ディアマンテスのライブが無料で観れるんだから、行かなきゃ損だよね。

 ただし、この日は沖国大ヘリ墜落事故に対する宜野湾市民大会というのが同大学のグランドであり、あとでニュースを見たら、主催者発表だけど3万人が集まったそうだ。気にはなってはいたけど、うーん、それに参加するほど、わたしは熱烈反戦論者ではないな。

 あと、リサちゃんはこの日の練習には姿を見せなかった。トーニオの任務のぎりぎりまで、日曜日は彼と一緒にいたいと言っていた。まあ、とりあえずは、とやかく言うのはやめておこう。

 ただ、ジャニースの夫のベンジャミンが、去年までに2回イラクに赴任したことがあるので、彼女に少し話を聞いてみた。すると一昨年に行ったときは、イラクでのいろいろな出来事を土産話のように話してくれたそうだ。

 確かにわたしも、フセイン肖像画の入った紙幣をお土産にもらった覚えがある。ただし、去年行ったときには、3か月ぶりに家に帰ってくると、イラクでのことをほとんど口にしなかったという。

 もともと軍事情報をぺらぺら話す人ではなかったそうだけど、

「夫の態度ですぐにわかったわ、相当悲惨な出来事があったみたい。それでそのあと、配属先の移動を申し出たの、もう戦地には行きたくないって」

 彼女は少し顔をしかめながらそう話してくれた。

 9月に入って、イラクでの米軍の戦死者数がついに1000人を超えたらしい。

第18話 9月19日(日) フェンス
当時のイラクの紙幣

 そして19日は、ようやく普段通りの練習をすることができた。

「みんな、まだ2か月あると思ってるかもしれないけど、当日まで今日を入れて日曜日は7回しかないからね。作業もしなくちゃいけないから、1回1回の練習を大切にしよう」

 夫にちょっと焦りが出て来たみたいだ。ブラジルのサンバチームでは練習は週3回だったから、あと7回の練習ということは、ブラジルではもう本番まで2週間ちょっとということになるからなー。

 とりあえずダンサーの練習は、わたしたち5人が受け持つ先頭グループの振り付けを作ること。この先頭グループはコミッサン・ジ・フレンチと呼ばれ、カーニバルではバテリアや旗持ちペアと並んで重要な役割。パレードの先頭に立ち、その年のテーマを表す衣装をまとい、振り付けで踊る。だから、必ずしもビキニを着てサンバステップをするわけではない。

 今回はタイムトラベラーとなって、沖縄の戦後の歴史を旅するという設定にしたいので、鉄道の車掌の制服をモチーフにした衣装を考えている。ちょうどサンパウロのサンバチームから下取りしてきたものがあった。

 また、チーム名のPEIXE(ペイシ)のひと文字ずつを段ボールで作り、手に持って、エイトカウントで縦になったり横になったり、Vの字になったりして踊ろうとも考えている。

 懸案はナーナーを入れた場合、身長差を考えた上で、彼女を中心にしてどう踊るかなんだけど、今日もリサちゃんが練習に来ていないので、ナーナーもいない。どうしよう、間に合うかな。

 リサちゃん自身はバテリアの前でソロで踊るので、何とかなるんだろうけど。とりあえず、今日のところは尚ちゃんがナーナーの場所に入って練習を進めている。ただ、その尚ちゃんからは、

「わたしーの相手は誰になるんですかねー、健司さんって来てくれるんですかー」

 というのも尚ちゃんが担当するポルタ・バンデイラは、メストレ・サラと呼ばれる男性ダンサーとペアで踊ることが基本。

 そこで健司さんに頼めないかと考えていたんだけど、ここのところ連絡が取れないのだ。いよいよの時にはジャイミにお願いしようとも思っている。彼はカポエイラをやっているので、そこそこ踊れるんじゃないかな。そもそもメストレ・サラは、かつては敵対するチームに旗を奪われないようにと、格闘技ができる人が選ばれたそうだ。

「わたしー、先頭グループに入っちゃ、やっぱりだめですよねー」

「うーん、ポルタはチームの旗を持つ大事な役だから、できれば地元メンバーにやってもらいたいなー」

「そうですよねー、はは、いやナーナーが来なかったらみんなが困るかなって思っただけです、はは」

 彼女はいつもひとりで練習してるので、つまらない思いをさせているのかなと、いまさらながら感じるところがあった。そうだよね、ちゃんと考えてあげないと。

 一方、バテリアの方はというとブレッキの練習が主に。ジャズで演奏を一度止めることをブレークと言うけど、ポルトガル語読みではブレッキと言う。サンバでも演奏を止めて、そのあとリズムを変えることで、曲にメリハリをつける工夫がされる。

 というのも例えばリオのカーニバルでは、スペシャル・グループのパレードは持ち時間が90分。1曲の長さが3分とすると、延々と30回演奏が繰り返されることになる。毎回ずっと同じではやはり退屈なので、パレードの流れを見ながらブレッキが活用されるのだ。

 パレードで演奏されるサンバは、なべて言うと4つのパートで構成されている。一番最初にチーム名が入った繰り返しが来て、次にAメロ、真ん中にはテーマに関するさびの繰り返しがあって、次にBメロ。

 演奏には間奏は入らないので、Bメロが終わると、また一番最初の繰り返しに戻る。ブレッキは、この2か所ある繰り返しと、Bメロの最後にに使われることが多い。

 今年のうちのテーマ曲では、出だしの「ケン バイ チ コンター…」と、真ん中の「人は倒れ、骨となり、珊瑚に戻るとも…」の部分が繰り返しで、「生きてる その奇跡 未来に捧げよ」がBメロの最後。

 この3か所のメロディーに合うようなブレッキをそれぞれ作り、合図が出されたときに、それを間違えないように演奏する、というのが、今日からの練習というわけだ。

「おいおい、ムーネー、なんでつられて止まっちゃうかな、スルドとタンボリンが止まっても、カイシャとショカーリョ残しなんだから続けなきゃ」

 夫が指導しているのは、低音のスルドを止めて、スネアのついたカイシャと、小さなシンバルが並んだショカーリョをメインにするブレッキ。シャカシャカと金属音の強い演奏にして、Bメロの最後を潮風や小波のようなイメージにしつつ、ボーカルを全面に出したいんだそうだ。

「すいません、ゴリのスルドが止まると、つられちゃうんですよ、なんか慌てちゃって」

 ムーネーが赤いあざの額をなでる。練習が足りないと不安になって、ついつい演奏を止めてしまうのはブラジルでもよくあること。パレード本番で演奏が乱れたチームを何度も見たことがある。

 その一方で、ブレッキが正確に決まるとチョー気持ちいいんだよと、夫は最近になってから、水泳の金メダル選手の真似をしながらよく言っている。

第18話 9月19日(日) フェンス
労務管理機構コザ支部 かつてはプラザハウスの裏手にあった 

 やがて5時には練習を終え、その後、みんな帰るともなくダラダラしていると、いずみちゃんから基地への就職の報告があった。正確には転職か。

「何度か受けてたんですけど、この度、軍雇用で嘉手納基地の郵便局に採用されることになりました」

 半年限定の臨時雇用だそうだけど、働いているうちにほぼ本採用になるんだそうだ。そういえば、いずみちゃんはTOEICの点数がが750点はあるということを、以前、なにかの折に聞いたことがある。

「いずみさんいいなー、私、全然就職決まらないんですよ、スーパーなら採用がたくさんあるんですけど、先輩に聞いたら忙しくて生理止まっちゃうよーなんて言われるし」

 琉大3年生のユキちゃんはすでに就職活動を始めているようだけど、希望する企業から、なかなかいい返答がもらえないとのこと。

「ユキちゃんも軍雇用、受けてみたら、公務員並みの待遇だよー」

「いやだめですー、英語全然できないんです、だから、はなからTOEICなんて受けてませんしー」

 すると夫がもちろんふざけて、

「ユキちゃんはピストル撃ったことないのー、撃てたら基地のガードマンになれるよー」

「もー、バカなこと言わないでくださいよ、ユージさん、こっちは真剣なのにー」

 最近、藤川さんとは別のお客さんで、自衛隊を除隊し米軍の瀬名波通信所のガードマンになった人がいたのだ。もちろん射撃訓練を受けていたからで、まさに「即戦力」だったというわけだ。

 一方、「ところで悠仁はどうするの?」と、わたしが尋ねると、

「僕はできたらスポーツ医療の仕事につきたいんで、実家のある静岡に戻ろうかと思ってます。沖縄ではあまり仕事がないみたいなんで」

「ひどいでしょー、わたしは長女だから沖縄で就職しようとしてるのに、悠仁は次男なのに沖縄出ていくって」

 ユキちゃんはまだ少女のような面立ちなので、わたしからするとおままごとのような会話に聞こえる。でも先月かな、ユキちゃんのご両親と一緒に、ふたりがお店に食べに来てくれたことがあった。ふたりはすでに同棲してるとも聞いてるし、まあ、そこまでの関係なら言うべきことは言いなさい。

「ところで、いずみさんはフェンスの中に就職なんですか、フェンスの外に就職なんですか?」

 悠仁が、またなぞなぞのような問いかけをする。

「またその話ー、米軍の仕事なのでフェンスの中だけど、ウチナンチューとしては確かに外かな。これから新しい世界に飛び込むという意味で」

 この日はそのまま店を開けてると、6時過ぎにナーリーさんが来てくれた。彼女の慶子さんも一緒だ。

「さっきまで慶子と那覇空港へ行って来たんですけど、軍港桟橋の前通るとジープやらトラックやらがずらっと並んでて、すべて砂漠色の迷彩でしたよ」

 確かに国道58号線を走っていても、いつもならモスグリーンの迷彩のトラックばかりを目にしてたけど、ここのところ薄茶色のものも見かける。

「そういえばダンサーに誘っているコロンビアの女の子がいて、その子、輸送機の掃除してるんだけど、砂漠の砂だらけだって言ってたなー」

イラク戦争、終わらないみたいですねー」

 そう言いながらナーリーさんは、慶子さんとカウンター席に腰かけてくれた。

「ところで慶子さん、なんかわかりました」と、わたしはすぐに前のめりになる。

「ええ、あまりいい話じゃないかも…」

 慶子さんはそう付け加えてから、これまでにわかったことを教えてくれた。

「実はアントーニオ・ゴメス・ロドリーゲスという名前は3人いたんです。でもひとりはキャンプ・ハンセンだったから、ちがいますよね。残りのふたりはキャンプ・フォスター。ただね、ナーリーがこの前、フォスターで…」

「オレが話すよ。通り会の夏祭りの時、トーニオの顔を見て、どっかで見たことあるなと思ってたんですよー。7月の独立記念日にフォスターでボーリング大会があって、会社の仲間と参加したんですけど、確かその大会で入賞したやつじゃないかと思って。それでボーリング場に聞きに行ったらビンゴで」

 同一同名の申し込み用紙に、電話番号が書いたあったそうだ。そこで慶子さんは、

「そのことをナーリーから聞いて、電話まではしなかったけど、どこの寮に住んでいるかはわかるんで調べてみたら」

 そこからは、またナーリーさんが話し出した。

「M・L・Gだったんですよ」

「M・L・Gって? 海兵隊(マリーン)なんでしょ」

海兵隊(マリーン)は海兵隊(マリーン)なんですけど、マリーン・ロジスティック・グループ、えーと、日本語では運搬だったかな、オレの仕事みたいなやつ。つまり、つまりですね、前線では戦わないグループなんですよ」


 沖縄サンバカーニバルまで、あと49日。




 第19話に続く 

第18話 9月19日(日) フェンス
キャンプ・フォスターのボウリング場




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです

第19話 10月3日(日) 空港通り

 

第19話 10月3日(日) 空港通り
1970年頃の空港通り


 10月に入りカーニバルまでいよいよ1か月。

 夫は「そろそろやらなくちゃなー」と、ここんところ毎日のように近所のベスト電器に行っては、冷蔵庫やら洗濯機やらが入っていた段ボールをもらってきている。

 段ボールは、仮装にはもちろん、トラックの車体を隠すための装飾にも使うので、いくらあっても足りないんだそうだ。

「タダだから、いっぱい集めてくるよ」と出掛けて行くけど、この木曜日に中日ドラゴンズが、5年ぶりにリーグ優勝を果たしたもんだから、ずいぶんと鼻歌交じりだ。

 わたしはというとカーニバルの資金集めのために、カンパのお願いで商店街を回り始めた。やはり市からの予算20万円などは、山車を作るだけで消えてしまう。アベニューは幸江さんの方で取りまとめてくれているので、わたしはもっぱら空港通りを回っている。カンパは一口1000円。はじめは500円にしようかとも思ったけど、この街の商店主は結構気前がいい。

「サンバやるんだってー、いや上等さねー。時間と場所教えてねー。応援に行くから頑張ってくださいよー」

 サンバカーニバル開催の話はすでに広まっているようで、みなさん、楽しみにしてくれていて大変助かる。ただ、カフェや質屋、インド人が経営するテーラーなどは昼間も開いているで、あいさつ回りは楽なんだけど、バーやライブハウスなどは夕方にならないと従業員がいない。

 だから今日は練習会が終わってから、そういった夜のお店を中心に回ることにした。他のメンバーには頼めないことなので、みんなにはお店の2階に上がって、夫の作業の手伝いをしてもらっている。

 思えば、空港通りを夕方に歩くのは久しぶりだった。いつもならお店の開店の時間だからね。そして初めてこの通りの夕景を目にしたときのことを思い出した。なにか絵本の1ページに入り込んだような気がしたものだった。

 それは、ただ四角く作っただけのコンクリートの建物が、揃えたように2階建てなこと。そして電信柱が1本もないこと。

 だからすっぽりと抜けた空が暮れかかると、古いネオン管に照らされたひとつひとつの建物が、赤や青の原色のまま、きれいに夜空に浮かび上がって見えるのだ。まるで光る積み木が並んでいるかのように。

 やがて夜が深まるとともに、英語の会話が溢れてくる。今日は日曜日なのでアメリカ人の人出は多い。リストを見ながら当たりをつけたお店を何件か回る。たいていのアメリカ人店長はグッドラックと言って10ドル札を渡してくれる。

 そうやって空港通りを回っているときも、わたしは頭の片隅でずっとリサちゃんのことを考えていた。この前、ナーリーさんから言われたことがずっと引っ掛かっている。

「M・L・G(マリーン・ロジスティック・グループ)は後方支援部隊で、武器や食料の調達や土木工事を受け持つんです。もちろん戦闘に巻き込まれることもあるかもしれませんけど、前線で命令を受けて戦う部隊は別にいるんです。すべてを知ってるわけじゃないですけど、多分、トーニオは、イラクに行くにしても、上官からは何も言われてはいませんよ」

 ロジスティックとは日本語では兵站(へいたん)と言うんだそうだ。医療従事者もここに所属するらしい。だから上官から恋人と連絡を取るなと言われたというのは、まず作り話だろう。

「どうしよう、リサちゃんそのこと知ってるのかなー、教えてあげた方がいいよねー」

 わたしがそう尋ねると、ナーリーさんは、

「そんな男なら別れた方がいいですよ、だけど、お金とか騙されてなきゃいいけど。リサちゃん、人がいいから」

 やがて最後にしようと決めた地下1階のライブハウスをあとに、階段を上り通りに出たときだった。道の反対側のお店から、ゆっくりと出てくる女性が見えた。大きなサングラスをしているので顔は見えないけど、間違いない、リサちゃんだ。出てきた店の看板には大きくPAWN(ポォーン)と書かれている。店の外に立って彼女を待っていたのはトーニオだった。

「リサちゃん!」

 大声で呼ぼうかなと思う前に、わたしは赤信号の横断歩道を渡っていた。タクシーのクラクションが「プァンプァンー」と鳴った。

「リサちゃん、何やってるの、こんなところで」

「はは、アキさんこそ何やってるんですか。いま轢かれそうでしたよ」

「お金が必要なの」

「いえ、大丈夫です」と、リサちゃんは目をそらす。

「いまなんか売ったんじゃないの」

「ほんと大丈夫です。来週からは練習にも出ます。今日はすみません、もう行きます」

 そういってリサちゃんはトーニオの手を取って、足早に歩き出した。

「リサちゃん、ちょっと、リサちゃん」

 道にたむろするアメリカ人グループをかき分けながら、手を伸ばし彼女の腕を掴む。振り向く彼女のサングラスの左右には、空港通りの七色のネオンがくっきりと写し出されていた。

「アキさん、アキさんには関係ないです。アキさんたち、なんか調べてるみたいじゃないですか。やめてください。わたしはこの街で生きてきたから。生まれたときからずっと」

 今週末も台風が近づいているらしい。時々すっと速い風が吹く。

「カモン、リサ!」

少し先を行くトーニオが彼女を促す。

「どこにいくの」

「関係ないです」

 彼女は足早に彼の横に並ぶと、肩を掴まれながらどんどん歩いていく。追うべきかかどうか迷っているわたしは、自然と距離を離されていく。リカーショップの前の信号が赤だったので、追いつけるかと思い足を速めたけど、ふたりは無視してそのまま渡ってしまった。国体道路をまたぐ高架を進めばゲート・トゥー、つまり嘉手納基地第2ゲートだ。

(わたしはそこには入れない)

 吹っ切れたように赤信号の前で立ちすくむ。

 彼女がフェンスの中へ、わたしにとってはフェンスの外へ行ってしまうのをぼんやりと目で追った。

第19話 10月3日(日) 空港通り
空港通りのライブハウスの天井に貼られた1ドル札

 店に戻ると幸江さんが、1番テーブルの外人ふたり組みの注文をとってくれていた。客席の半分ほどが埋まっている。

「アキさん、お帰りなさい、お疲れ様、どうだった」

「今日は5軒からもらえました、2千円と30ドル、でも、すみません、手伝ってもらっちゃって」

「いいよー、ユージさんとは生ビールとおつまみで手を打ってるから、それにあたしもなんかお手伝いさせてもらいたいのよ」

「ひどいんですよ、僕の注文は全然とってくれないんだから」

 カウンターには日曜日にしては珍しく倉敷さんが座っている。夫との山車の打ち合わせにでも来たのだろう。

「なんてね、冗談ですよ、幸江さんには、なんとお酌までしていただきました」

「そりゃそうさー、基地建設やめてもらわなくっちゃいけないからねー」

ふー、幸江さんはいつも元気そうでいい。いまのわたしにはその元気、少し分けてもらいたいよー。

「僕も考えたんですけど、実はですね、調査結果を遅らせば遅らせるほど、うちの会社の利益が膨らむんです。例えば反対派がカヤック出してうちの調査船を現場に入れなくしても、次年度の予算は入りますからねー」

「そうかー、そうすれば逆に基地反対ができるんだ。じゃあ、私とあなたとは利益が一緒なんだー」

「反対まではできませんけど、遅らせることなら多少はできますよ、ははは」

「それよりアキさん、なんかあったの。あんた全然笑わないね、気のせいかな」

 幸江さんにはわかるのかな、ごめんなさい、いまはまだうまく言えない、あとできちんと話します。


 やがて深夜零時を回る。倉敷さんと幸江さんは、そのあと意気投合してずい分飲んでいたけど、11時には帰り、もうお客さんは誰もいない。だけど、なんとなく店を閉められずにいた。BGMを止めたからだろう、外に吹く風の音がどんどん強く聞こえてきた。ニュースでは台風22号が大東島に接近していると言っていた。

 その風がシュンと少し湿った音と共に店に入ってきた。入り口のドアが開けられたのだ。そこには、予感していた通りリサちゃんが立っていた。思わず、ほっとした。

「遅かったじゃないの」

 わたしはわざと、つっけんどんに話しかけた。リサちゃんは迷わず、わたしのいるカウンター席に座る。

「今日はあたし、ふん、言わしてもらいます」

「どうぞ、どうぞ」

「アキさんのこと、ホント嫌いです」

「そう、いいよ、わたしはリサちゃんのこと好きだから」

「そういうところが嫌なんです。ふん、わからないでしょうね、もー、ナイチャー、ナイチャー、ナイチャー、うー、ナイチャー、ナイチャー、うー、ナイチャー…」

 リサちゃんは、きつく目を閉じてそう叫び続けた。ただ、わたしから見れば、駄々っ子のようにしか思えなかった。リサちゃんの目じりに涙がにじんだのが見えた。そんな彼女の横顔が愛おしく思えた。

「気が済んだ、ねえ」

「アキさん、さっきは、ほんと、ほんとごめんです」

 よかった。

「アキさんって東京の大学出でしょ、上智でしたっけ。誰かから聞きました。頭がよくて、3か国語話せて、ユージさんさんもいて、勇魚もいて、自分のお店持ってて」

「うん」

「なんかアキさんといると、見下されているような気がして。いつも怒られてるし、でも言っていること間違ってないし」

「間違うことはあるよ」

「だから、そういうところが嫌いです。それじゃー、アキさん、トーニオ、クリスマスには沖縄に帰ってくるって。それ信じちゃダメですか」

「リサちゃん、ちょっと聞いてくれる」

「大丈夫、あたしもそんなにバカじゃない!」

 いらだちを蒸し返したリサちゃんが両手でカウンターをパンと叩く。すると突然、店内の照明がすべて消えた。

「あっ、停電、まただ」厨房から夫の声がする。製氷機の振動がガス欠の車のように止まる。わたしたちふたりの会話も、なんだかばつが悪くなった。

「アーケードの街灯は、まだついてますよ」と、リサちゃん。

「うん、この店の建物、国道から電線引いてるから、こっちだけ消えちゃうことよくあるの。国道の方が風通しがいいからね」

 夫が厨房から出てきて、火のついたろうそくをカウンターに持って来てくれた。

「もうお店おしまいだから、リサちゃんガラナ飲む、それともビール。今日はわたしも飲んじゃおうかな」

 リサちゃんの横顔が炎に照らしだされる。目じりの涙がオレンジ色にちいさく光る。

「アキさん、ライカムわかります、国道の交差点。あそこほんとは英語でRYCOM(ライカム)なのに、道路標識はローマ字でRAIKAMU(ライカム)になってるの」

「わかるよ。RYUKYU COMAND( 琉 球 米 軍 司 令 部 )があったから、その略称なんだよね」

「あたし、英語名でLISA(リサ)ってつけてもらったんだけど、日本ではRで始まるRISA(リサ)。ね、なんか中途半端でしょ」

「そうかー、そうなるんだね」

「アキさん、あたしたち、ヘリが落ちたから平和の歌を歌うんでしょ。でも、戦争とか平和とかいわれても、あたしは子供のころからどっちかわかんないところで生きてきた」

「うん」

「基地がなかったら、あたしもナーナーも生まれなかったでしょ。だから思うの、あたしは生まれていけなかったの」

「なわけないでしょ」

「あたしは自分が好き。いまではこの褐色の肌も、ブラウンの瞳も。癖毛は嫌だったけど、足は人より随分長いと思う」

「スタイルいいよね、リサちゃんは」

「スタイルだけじゃないですよ、性格もいいです」

「はいはい」

「ぶん!」と音がして、ドアの隙間からふわっと風が吹き込む。

「あ、しまいますれてた」

 夫があわてて歩道に出るが、立て看板は遠くまで飛ばされてしまっているようだ。追いかけるように走って行く。

「戦争の反対って平和なの」

「うん」

「平和の反対って戦争なの」

「うん、そうよね、ちゃんと考えたことない」

「あたしにとっては両方おんなじ意味。アキさんだって、平和だかなんだかいいながら、基地の前で商売してるじゃないですか。わたし、平和とか戦争とかでなくて、別んところで生きていく」

「うん、うん、それでいいと思う」

「戦争があるから、トーニオと会えたし、戦争があるから、あの人はイラクに行ってしまうし」 


てぃん


 店のどこかで三線がなった気がした。こんな時、またリンスケさんなの。でも、辺りを見回してもリサちゃんしかいない。するといきなりドアが開いて、幸江さんが店に飛び込んできた。さっきまでの酔っぱらった顔ではない。

「大変、さっき会長から電話があって、健司君が、健司君が…」

「どうしたんですか」

「車ぶつけて…、即死だって」


 沖縄サンバカーニバルまで、あと35日。




 第20話に続く 


第19話 10月3日(日) 空港通り
イカム交差点の標識




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです

第20話 10月4日(月) 通夜

 台風22号は沖縄本島に近づくことなく大東島の東を北上したため、月曜の朝には風はすっかり収まった。小学校も休校にはならなかったので、息子は元気よく登校していった。ただし、気の重い朝だった。

 この日は夕方の6時にリサちゃんと待ち合わせをして、健司さんのお通夜に出かけることにした。夫は葬儀の方に出席するという。

 健司さんの自宅は、もちろん比屋根会長の自宅でもあるけれど、アベニューのちょうど真ん中あたりの4階建てのビルで、1階は洋品店、2階は健司さんのダンススタジオ、そして3階から上が住居になっている。お通夜は4階で行われていた。

 外階段を上がっていくと、ドアは開けっ放しになっていて、幸江さんがお茶を運んでいるのが見えた。彼女の喪服姿を目にすると、朝からの緊張がさらに高まった。

「ふたりとも来てくれてありがとう、どうぞ上がって」

 幸江さんは通り会の事務員なので、親族に交じってお手伝いをしている。

 中に通されると、和室がないのか洋間の床の上にご遺体が安置されていた。顔に布はかぶせらてなく、額には包帯が巻かれている。その横に座った母親が、包帯から飛び出した健司さんの髪の毛を撫でていた、それも繰り返し、繰り返し。交通事故と聞いていたけど健司さんはきれいな顔をしていた。

 祭壇はなかったので、とりあえず正座して手を合わせ「ご冥福を」と心の中で唱える。そしてリサちゃんはと目を向けると、同じく手を合わせていた。だけど、そのままじっと動かない。わたしがひと呼吸もふた呼吸もした後、ようやく彼女はゆっくりと目を開いた。

 比屋根会長にあいさつしようと壁際まで中腰で進むと、その横にはめぐみさんがうなだれていた。セミロングの髪で顔は見えない。会長が肩に手を当ててあげていた。わたしたちは小さな声であいさつをする。会長は「忙しいのにありがとう」と言ってくださった。いつもはいかついはずの会長が、ひと回りもふた回りも縮んでしまったかのようだった。

 親しい親戚だろうか、ソファーに座って雑談している弔問客もいたけど、わたしたちにはとうてい居場所はなかったので、そそくさとその場を辞した。お店に戻る道すがら、わたしは前に見た石川収容所の夢を思い出していた。あの時も、子供を亡くしたお母さんが髪を撫でていた。でも、さっき目にした光景は夢ではない。


 それから1時間ほどしたのち、幸江さんが喪服姿のままお店にやってきた。ドアの前で塩で体を清めたのち、カウンター席に座る。

「ふー、あとは親族だけでやるからって帰されたけど、やっぱり疲れたよー。今朝はヌジファからお手伝いしてるから」

 交通事故だったので、その事故現場から魂を自宅まで連れて帰る儀式を、朝からとり行ったそうだ。

「お疲れ様です。なんかわたし健司さんのお母さん見てたら、いたたまれなくなりました」

「あたしもだよー。でも今日はずっと忙しかったから、泣いてる暇はなかったけどねー」

「ただ、会長とめぐみさんが仲直りしていたのが救いでした」

「うん、うん」

「で、そのー、健司さんに何があったんですか」

「うーん、聞いた話では夜中、彼女と電話していて喧嘩になって、健司君、彼女の家まで行こうとしたみたい、北中城(きたなか)の。その時、事故起こしたって。泡瀬のゴルフ場の下、走っている道あるでしょ、あの道のカーブで」

 すると「あの道、ひとつも信号ないですからね」と、夫も話を聞きに厨房から出てきた。

「だけど、このこと、あまり話さない方がいいんだろうけど、そのね、ブレーキ痕がなかったんだよ、あたし事故現場に行って見て来たから。だから」

「じゃあ、そのー、自殺ってことですか」

 夫はそう口にしたものの、ばつの悪そうな顔をした。

「自殺かどうかはわからないらしいの、遺書はなかったっていうし、昨晩、風も強かったでしょ」

「自殺じゃなきゃいいですけど」と、わたし。そう言ったものの、じゃあなんだったらよかったのかと自問し、気が滅入る。

「健司君、会長と彼女との板挟みになって、いろいろと悩んでたみたいだったからねー。ここんところ声を荒げること多かったっていうし。ところでどうしたの、この子」

 幸江さんの横にはリサちゃんが座っている、というか彼女も喪服姿のままで突っ伏している。お通夜に行った後、8時まではうちのお店にいさせてと来たんだけど、座ったとたん、すぐにこんな風になってしまった。

「リサちゃんも母親だからねー、みんなショックだよ」

「彼女、色々と悩みがあるみたいだから」

 すると、わたしが意味深なことを言ったのに反応したのか、リサちゃんは急にすくっと起き上がった。

「アキさん、何度も言いますけど、ふん、あたしそんなにバカじゃないです。多少騙されたって全然平気ですよ。でも、今日わかりました。死で言葉遊びしてはダメだってことを。死んだ人に、死なれた人に失礼だって」

 すると「大丈夫なの、リサちゃん」という、わたしの問いかけには答えずに、

「それでは、幸江さん、アキさん、あたし仕事に行ってきます」

 そう言って立ち上がると、リサちゃんはポーチを手にして店を出て行ってしまった。

「いったいどうしたの、リサちゃん」

 幸江さんが不思議そうな顔をするけど、わたしにもなんだかわからない。だけど、悪い方向ではないことは、確かだと思った。


 月曜日だからかお客さんが来なかったので、そのあとも、幸江さんといろいろと話すことができた。リサちゃんがいま抱えている悩みについても聞いてもらった。幸江さんからすると「まあ、この街ではよくある話じゃないの」といった感じだったけど。

 ただ、ここんところいろいろありすぎて、話をするうちに今度はわたしの体の力が抜けてきた。

「わたしこの前、ヘリが落ちたとき、誰か死んでたらトップニュースになったのに、みたいなこと言っちゃったんです。わたし、多分、人の死ってよくわかってないんです」

「はは、バカだねー、誰だってわかってないよ」

「祖父母のお葬式には出たことありますけど、両親は健在ですし、仲のいい友達も。だから人の死で泣いたことがないんですよ」

「そっかー、あたしは流産した時は、一晩中泣いたもんだよ。うん」

 思わず余計なことを言ったと、わたしはとっさに頭を下げた。

「はは、あんたが謝らなくてもいいさー」

 そうだった。幸江さんは、一度は乗り越えたんだ。だからわたしより、いつも強いんだ。

「すいません。でも、そんなんですよ、わたしなんて。だから戦争反対だとかって、偉そーに言う資格あったのかなって」

「考えすぎだって、言わないより言った方がいいに決まってるじゃない。うん、こういうときはさ、しみったれてないでさー、そうだ、みんなで太鼓叩いて、サンバ踊ってた方が健司君だって喜ぶよ」

「サンバですか、こんなときにですかー」

「しっかりしなよー、アキさん、あんた頭で考えすぎなんだよ。理屈じゃないよ。そうだ弔い合戦だよ。今度のサンバカーニバルは」

 そういえば、さっきお通夜に行ったとき、健司さんのご遺体の横にリンスケさんが座っていたような気がした。はっきり目に見えたわけではないけど、そう感じたのだ。三線をもって、何か弾こうとしていた。

 だけど、わたしは早くその場を去りたかったので、そのことを考えないようにしていた。なんでリンスケさんが、そこにいたのかを。

「なんでだろ、なんでいたんだろ」

「なにが? アキさんもどうしちゃったの」

「いえ、ごめんなさい。うん、そうですよね。確かに、確かに弔い合戦ですよね」

「そうだよー、しっかりしなって」

「わたしたちが、今度はわたしたちが、人の悲しみを喜びに変えられたらいいですよね」

「はは、アキさん、今度ってなによー。バカだねー、なに泣いてるのよー」

「泣いてなんていませんよ、ほら、笑ってるじゃないですか」

 わたしの頭の中には、さっきリサちゃんが口にした台詞が張り付いていた。そうだ、頭の中での言葉遊びはやめよう。いま感じたことを歌にしよう。 


 沖縄サンバカーニバルまで、あと33日。




 第21話に続く



第20話 10月4日(月) 通夜
2004年当時のサングリーン道路 泡瀬ゴルフ場のためボール除けのネットが続いていた




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです

第21話 10月10日(日) ワタブーショー

「みんな、サンバクィーンに選んでもらったのに、練習さぼっててほんとごめん。これから母子(おやこ)ともども頑張りますから、よろしくお願いします」

 久しぶりに練習会に顔を出したリサちゃんが、みんなの前でぺこりと頭を下げた。

「なにいってるんですかー、そんなこと誰も気にしてませんよ」と、卓が声を掛ける。

「それよりセクシーなダンス、お願いしますね」とはムーネー。すると、いずみちゃんからは、

「ちょっと心配したよー、だけど私がサンバクィーンになれるかと思ったのになー」

 メンバー一同、これには遠慮することなく「はははは」と笑った。まあ、あと1か月、みんな仲良くやっていきましょう。

 それと、わたしからは健司さんの事故の話をした。直接お付き合いのあるメンバーはいなかったけど、一応旗持ちペアを組むつもりでいた尚ちゃんは、

「夏のイベントで見かけただけですけど、一緒に踊れると思ったのに残念です」と、本当に悲しそうな顔をしてくれた。 


 ところで、今日から本格的な作業を始めることになり、お店の前にはいつのもメンバーとは別に、たくさんの人が集まっている。

 倉敷さんと自衛隊の藤川さんとは、午前中から通り会のトラックで単管を買いに行ってくれていて、ちょうど練習を始めようかというときに戻って来た。ほんとは夫も行くべきだったんだろうけど、今日は朝から息子の夜間保育園の運動会。親子エイサー頼まれていたからねー。

 店の前にトラックが停まると、あらかじめ藤川さんの部下の方、6人が待機していて、4メートルの単管を次々と降ろしていく。2階の作業場までは長さ的に階段では無理だったので、何人かがアーケードによじ登り、バケツリレーの様にして窓から直接入れていた。

「オーライ、オーライ、先端を一〇(ひとまるじ)時の方向へ、はい、入れてー」

 慣れた掛け声と手際の良さに、さすが自衛官だなーと感心させられる。作業場ではこの単管を、倉敷さんの設計図の通り、何メートルの長さが何本といった風に切り分けていくそうだ。

 ナーリーさんと慶子さん、そして幸江さんも来てくれた。

「アキさん、よくこんな店、残ってましたね。ステージもあるし客席もあるし、昔のAサイン・バーのままじゃないですか」

 2階に案内すると、剥がれて床にころがったPタイルの破片を足でいじりながら、ナーリーさんが興味深そうに見回している。

「ちょっと埃っぽいけど我慢してちょうだいね」

 この3人には、仮装作りを手伝ってもらう。すでに夫が集めた段ボールが作業場に山積みになっているので、まずはアカバナの衣装から。冷蔵庫の箱を面ごとに切り離し、一面から2輪ずつ花の形を切り出す作業をお願いした。仕上げに赤いペンキを塗るのだけれど、今日はそこまでいけるかな。

 そういったわけで練習会の方も3時には終えて、メンバーにも2階の作業場に上がってもらうことにした。すると、総勢20数名が一同に会すことになった。前に夫が言ってたけど、そうだね、高校の体育祭の準備みたいだね。高校と違うのは、ナーリーさんや幸江さんをはじめ、すでに何人かはビール片手に作業していることかな。

 しかも気が付くと、いつの間にかシロさんも来てくれていた。

「近くを通ったらいっぱい集まってるから、なんだろうと思って。差し入れ持ってきたよ、オリオン、発泡酒だけど」

 そして若い自衛官を捕まえては、早速、いままさに自分たちがいるAサインバーの昔話を始めている。

アメリカ兵はテーブルにドルの札束を置いて、注文するたびにそこから支払っていくんだ。だからウエイターはトレーの裏を水で濡らして、わざとその札束の上に置くんだ。そうするとさ、ドル札がトレーに張り付いてちょろまかせるんだよー」

 この手の話は、お店のカウンターで何度も聞かされている。このあとは、儲かりすぎて大きな袋がないからごみ袋に札束を入れてたら、間違えて捨ててしまったって話じゃないかな。自衛官もビールをご馳走してもらっている手前、単管を切りながらも「へー、そうなんですかー」と、素直に耳を傾けている。

 すると藤川さんがわたしに近づいてきて、

「アキさん、あいつらゲーセンで勧誘員に捕まって入隊させられたような奴らなんですけど、言われたことはきちんとしますんで、よろしくお願いします」

 藤川さんのお父さんも、藤川さんの奥さんのお父さんも海自だそうだ。部下の悪口を言ってるようでも、みんなにはきっと好かれてるんだろう。タバコを取り出すシロさんを見て「ほれ、煙缶(えんかん)持ってきて」と、藤川さんが言うと、すぐに部下のひとりが「了解!」と気持ちのいい返事を残して駆け出して行った。


 やがて、作業がひと段落する頃合いを見計らっていた夫が「じゃあ、そろそろやろうか」と合図してきた。いよいよだ。「そうね、やろう」わたしが答えると、夫はこくりとうなずく。そして、みんなに呼びかけた。

「すみませーん。作業したままでいいですから、ちょっと聞いてください」

 ざわついていた作業場はすぐに静まり返り、みんな何事かと夫の方を向く。そして、その横に立つわたしから、

「あのー、突然なんですが、テーマ曲を変更することにしました」

 小さく「えっ」と声が上がる。

「テーマ自体は戦後の沖縄の復興についてです。平和を歌うことも変わりません。そこはいままでみなさんにお話しした通りです」

 夫が歌詞の書かれたコピー用紙をみんなに配り始めた。ただし受け取っても、ほとんどの人はきょとんとした顔をするだけだ。

「タイトルは『偉大なワタブー、歌おう踊ろう、コザ独立国の大統領と共に』です。ワタブーとはお腹が出た人、照屋林助さんのことです。歌詞はわたしが書きました。それにユージが曲をつけました。どんな歌か歌いますので、聞いてください」

 卓とムーネーには事前に話をしてたので、ふたりはすぐに用意していたスルドとカイシャを叩き始める。そして、わたしは夫とふたりで歌い始めた。


チャンプルーイ テーゲー サン
ノッサ トラディサン(※1)
オ ペイシ ファイス
シマウタ ビラー オ サンバ(※2)
あの日の三線
いまでも止まらぬバンバ(お祭り騒ぎ)
       (繰り返し)

Aサインの街に 陽はまた昇る
悲しみを少し越えて 明日を夢見るとき
トランジスタラジオから 流れる人よ
市場(まちゃぐぁー)の朝に
海人(うみんちゅー)の宵に 三線響く
プラグを差込み コンガ打ち鳴らし
三線響く 

歌いさびらー 踊(うどぅ)やびらー
オーラエー ズンズズン
でたらめアビヤー ワタブー
うちなわぬ カリーツケムン(※3)
        (繰り返し)

BC通りから アベニューに変われど
ブラウン管にポリカイン
ヤマトの世を駆ける

リンザン 島に受け継がれること
リンケン 未来の誰かへ 解き放て
コザ独立国の大統領 その名はテルリン
伝えることと作ること
それがカルナヴァル

※1 チャンプルーとテーゲーはわたしたちの生き方
※2 オ・ペイシは島唄をサンバに変える
※3 でたらめばかり言っている 太っちょは沖縄の縁起もの



 2回繰り返し歌い、夫の合図でバテリアの演奏が止まる。すると拍手がパラパラと聞こえてきた。ただし、していいのかどうかわからないといった拍手だった。とりあえず、わたしは「こんな曲ですが、どうでしょうか…」と恐る恐る聞いてみた。

「アキさーん、リンスケさんが戦後にみんなを元気づけた、命のお祝いをしよーってことですよね。それにここアベニューのことも歌っていて、いいじゃないですか」

 場の空気を呼んでか、倉敷さんがいの一番に答えてくれた。

「あのー、私もいいと思います。前の曲も悪くなかったですけど、こっちの方が、なんというんですか肩肘が張ってないというか、子供でも歌いやすそうですし」

 ユキちゃんも何か言わなくてはと発言してくれたようだ。いずみちゃんもそれに続いてくれて、

「チャンプルーっていいじゃないですか。テーゲーもあんまりくよくよしないってことですよね。やっぱり悲しいことがあっても、歌いさびらー、踊やびらーって明るくいくのが、沖縄のカーニバルですよね」

 するとリサちゃんが「じゃあ、いいと思う人、この歌で命のお祝いしたい人、拍手ー」

 そう言って、まずは自分からパチパチとしだしたので、それにつられるように、そこにいる全員が改めて拍手をしてくれた。「この曲でいきましょー」と、卓も声を上げる。ありがとう、みんな。それと、いつも急でごめんなさい。

 そのあと夫から、山車や仮装についての説明があった。すでに作り始めているアカバナの衣装や、缶から三線などはそのままこの歌でも採用すること。パラシュートやガジュマルなど、この歌に当てはまらない仮装はやめにして、新たにAサイン証や、トランジスタラジオの仮装を作ることなど。

「ほんとに弔い合戦になってきたねー」

 幸江さんが、後ろからわたしの肩をパシンと叩いた。 


 その後、作業はほとんど飲み会にかわり、もともとここにあったテーブルに食べ物や飲み物が並んでいく。

 卓やナーリーさんは、自衛官の人たちに気さくに話しかけてくれてるようだ。倉敷さんと幸江さんがふたりして飲んでいるのも見える。人の輪がどんどん広がっているのがよくわかる。

 わたしは今日はちょっと肩の荷が重かったので、あまり人のいない奥の方の椅子に腰を下ろした。振り向くと、ステージがすぐそばにあった。

 このステージには連夜フィリピン・バンドが出て、フィリピン・ダンサーが踊っていたんだんなーと思いを巡らす。そして反対側に目を戻せば、客席はそれなりに満席だ。はは、なんか面白い。

 もう一度ステージに目を向ける。すると、埃をかぶったスポットライトがぱっと灯った。いや灯ったように見えた。なんだろうと思ったのも束の間、外れかかった楽屋のドアが開くと、人影が次々と出てくるのが見えた。いや見えてはいない、ステージには誰もいないのだから。でも確かにいる。リンスケさんだ。そういえば、いままでもこんな感じに見えてたんだろう。そして、ほかにもうふたり。そうか、本で読んだことがある。チョンダラー・ボーイズというバンドだ。 


まかり出た出た
でたらめアビヤーワタブー
島尻  中頭(なかがみ) 
国頭(くんじゃん)や
言うにん及ばん まーいっぺい
島々里々 とぅん巡てぃ
歌と笑いの 配給さびらな
受きとぅてぃたぼり
笑う門には 福がくるくる…

 リンスケさんが三線をつま弾き歌うのは、この前レンタルした映画「ウンタマギルー」の最初のシーンと同じ曲だ。この歌詞の文言を、今回わたしはサンバの歌詞に使った。横でコンガをたたいているのは、泡盛のCMのゲンちゃんというタレントのお父さんだ。エレキギターを弾いているのは確か普久原さんって言ったかな。

 しばらく見入っていると、リサちゃんが近づいてきて、隣の椅子に腰かけた。

「今日はお疲れ様です。ところで何ぼんやり見てんですか、アキさん」

「えっ、いや、ほら、もしもAサイン・バーだったら、リンスケさん、どんな風に演奏したかなって思って」

「はは、やっぱり、そうなんですね。そうだと思った。あんな風じゃないですか。もっとも、わたしたちアメリカ兵じゃないですけど」

「見えるの?、リサちゃんにも」

「わたし霊感強いって言ったじゃないですか、なんか楽しそうでいいですよね。ところでアキさん、あの女性は誰なんですか」

 リサちゃんに言われてステージに目をやると、白いドレスの黒髪の女性が、リンスケさんと笑顔を交わしながらマイク片手に歌っている。

「あっ、クラーラ・ヌーネスだ!」

 マブイ、イチマブイって言われても、いまだによくわからないけど、でも、そのおかげで、いろいろなことがうまくいっている気がする。ステージの反対側で、ビール片手に時々笑い声を上げるメンバーや自衛官の皆さんたちは、まるで、チョンダラーボーイズのステージを見て笑い、手を叩き、意気投合しているようだ。

 すると、リサちゃんから、

「あたしトーニオにメール送ったんです。クリスマス楽しみにしてますって、でも…」

 そのあと、りサちゃんはこう続けた。もし命の危険があったときには、その約束、忘れていいよ。上官の言うことを聞いてね。あなたが生きていることが一番大事だからと。

「好きだったんだねー、リサちゃん、トーニオのこと」

「何言ってんですか、まだ、振られたわけじゃないですよ、失礼だなー、アキさんはー」

「じゃなくて、振ったんじゃないの」

「やめてくださいよ、何にも知らないくせに」


 沖縄サンバカーニバルまで、あと26日。




 第22話に続く 

第21話 10月10日(日) ワタブーショー
作業場 写真は2005年当時




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです