サンバ居酒屋オ・ペイシ
お店のオープンとともに結成したのが、サンバチーム「オ・ペイシ・キ・ヒ・ダ・コザ」。コザの笑う魚という意味で、夫が「不思議の国のアリス」に登場する猫の名前をもじってつけた。ふざけた名前だと言う人もいるけど、楽しい感じがしてわたしは気に入ってる。チームのマークはピンク色の笑っている魚。胸びれで口元を押さえている。
その練習会は毎週日曜日、午後1時から。場所はラジオで告知した通り、お店の前の遊歩道。アベニューは車道を挟んでその両側にアーケードが架けられていて、その下には幅5メートルと、まずまず広い遊歩道が続いている。2年前のワールドカップ決勝戦の時には、ここに大型のテレビを出し、サッカーファン50人を集めてブラジルを応援したものだ。
さて、練習会には見物客が来くることもあるので、少しでもお店の売り上げを伸ばそうと、ドリンク類を販売することにしている。そこで、早めにお店について準備していると、
「アキさーん、聴きましたよラジオ。牧港のA&W(エンダー)に車止めて、はは。いよいよ沖縄サンバカーニバル、スタートって感じですねー」
まだ12時過ぎなのにやって来たのは国吉尚子ちゃん。二年ほど前から練習会に参加している。小禄といって那覇空港の方に住んでいるので、電波が届かないとわざわざラジオを聞きに浦添のドライブイン・レストランまで出掛けてくれたそうだ。カウンター席に座ると、気を遣ってかガラナを頼んでくれた。
「アキさんたちのサンバに対する思い、なんかよかったですよー、わたしーなんて不純ですよね、ダイエット目的なんですから、ははは」
「ダイエットでもいいじゃない、大事なのは練習すること。尚ちゃん皆勤賞だよね、遅刻もしないし。りっぱりっぱ」
まん丸顔でちょっと太めの尚ちゃんには、今年からポルタ・バンデイラというチームの旗を持って踊る役をお願いしている。旗はチームの顔、応援団でいえば団旗に当たるので重要な役だ。夫がパレードは体育祭みたいだと言うのは、パシスタ以外にもこういったいろいろな役割があるからでもある。このポルタはブラジルでは太めの女性がつくことが多いのだけど、まあ、そのことはあまり言わないでおこう。
彼女はちょうど30になったばかり。真面目な性格で、電力会社のOLをしている。自分のことを「わたしー」と伸ばして話すくせがある。
「わたしー、沖縄市に来るたんびに思うんですけど、ここってやっぱアメリカって感じしますよねー、英語の看板多いですし」
「アメリカ人向けの看板ってことよね、うん、わかるわかる」
「内地の人って、沖縄はアメリカっぽいって言いますけど、那覇の人間からすると、那覇なんてアメリカじゃないです。アメリカっぽいのはやっぱりコザです」
確かにわたしもこの街に初めて来たとき、異国情緒を随分と感じたものだ。この辺りにはインド人経営のテーラーが十数軒あるそうだけど、そういうお店の値札はすべてドル表示。空港通りに多いライブハウスに入れば、サインペンで何やら書かれた1ドル紙幣が壁中に貼られている。
「アキさーん、こんな外国の雰囲気でサンバしたら、きっと沖縄中の人が見に来てくれますよ、頑張りましょー」
そんな会話をしているうちに、練習会の開始15分前になった。すると夫は店の奥の倉庫からドラムを運び出し、緩めてあったヘッドを張り始める。それをちゃんと見計らって、バテリアのメンバーのムーネーがやって来てくれた。ムーネーこと高良宗行さんも確か30過ぎ。華奢な体形で、長めに伸ばした前髪をいつもかき上げている。
「ユージさん、ドラムいくつ作るー」
「今日は5つかな、ひとり見学に来るって電話があったら、ひとつ多めに」
昨日のラジオの放送直後、うれしいことに大学生の男の子から問い合わせの電話があったのだ。
「それにしてもユージさん、沖縄市がすごいのは、商店街で太鼓叩いて練習しちゃうところですよー、那覇じゃ考えられないです」
尚ちゃんも手伝わなくてはと、慣れた手つきでドラムにストラップを付けてくれている。
「そうだねー、みんな大目には見てくれてるよなー、ムーネー」
胡屋地区にあるインド人が経営するテーラー
「ええ、こっちの店主は、文句なんて言いませんよ。ベトナムへ行く兵隊が最後の夜にどんちゃん騒ぎしようって、この辺のAサインバーで飲み明かしてたでしょー。兵隊に大騒ぎさせて金儲けしてたんだから、いまさらサンバチームが太鼓叩いたくらいじゃ、怒ったりしませんよねー」
ムーネーの家は昔から空港通りでPAWN(ポォーン)、つまり質屋を経営していて、そのどんちゃん騒ぎの飲み代を作るために、アメリカ兵がカメラや時計を売りに来ていたそうだ。
ちなみに空港通りとは、嘉手納基地第二ゲートを挟んで空軍基地につながっているのでこの名がついている。別名はゲート・トゥー・ストリート。
ところで、ムーネーのおでこには大きな赤いあざがあるんだけど、昔、前髪をかき上げながら話してくれたのは、
「70年のコザ暴動の時、ぼくー、お袋のお腹の中いたんですけど、お袋、ひっくり返されたアメリカ人の車から燃え上がる炎を見ちゃったらしくて、それでなんですよー」
この街で昔の話を聞いてると、ときに本には書かかれてないことがあって、ほんと興味深いものなのだ。
その後もバテリアの卓が「すみません、まだ、手伝うことありますかー」とやってきた。浜比嘉卓さんは去年大学を卒業して、小学校に教材を納入する会社に勤めている。お笑いのガレッジセールのゴリに顔が似て性格もひょうきんなので、夫などはそのままゴリと呼んでいる。
「そうだ、卓もなんかコザの面白い話知ってるー」早速、尚ちゃんが興味津々といった感じで話しかけると、
「うちは父親も会社員だったんで、商店街の昔のことはあんまり知らないですねー。まじめな話、テレビで初めて知ったりするんですよー。筑紫哲也のニュースの特集でだったりですかねー」
普通の沖縄の人は、案外そんなもんかもしれないなー。
肝心の練習会の方はというと、1時ちょっと過ぎには、ほとんどのメンバーが集まって来てくれた。
ダンサーの平良いずみちゃんは20代後半で、いわゆるサンバステップを踏むパシスタ。色白で細身なので、ビキニを着るなら、もう少し日に焼いて、ふくよかにもなった方がいいかな。いまは沖縄市内の郵便局に勤めているけど、5年間東京で働いたことがあるそうだ。その時、在京のサンバチームに出入りしてたので、すぐにチームの中核になってくれた。
ジャニースはただひとりのブラジル人パシスタ。彼女も細身で、肌の色はリサちゃんよりもう少し濃いめ。家族3人で浦添のキャンプ・キンザーに住んでいる。夫はベンジャミンといって海兵隊(マリーン)のお偉いさんだそうで、いつもひとり娘をベビーカーに乗せて一緒にやってくる。だけど、自分の奥さんが人前でビキニ姿で躍ることを、軍人として面白く思ってないみたい。それと、彼女はうちの息子のポルトガル語の先生でもある。週に1回、彼女の家でABCの書き方から教えてもらっている。
外国人といえば、イギリス人のジェームスもバテリアで頑張ってくれている。まだ20代前半。まったくの白人だけど背はあまり高くない。お隣の具志川市の中学校で英語のチューターをしているそうだ。カポエイラというブラジルの格闘技を趣味でやっていて、サンバにも興味があると参加してきた。あだ名はジャイミ。ジェームスのポルトガル風の読み方だ。
そして、リサちゃん。もちろんパシスタで参加していて、8歳の娘のナーナーも練習に連れてくる。でも、今日はまだ来ていない。また遅刻かー。このメンバーにわたしたち家族3人が加わるので、普段練習に来るメンバーは11人といったところ。
ちなみにバテリアの編成なんだけど、うちのチームでは五種類の打楽器を使っている。大太鼓のスルド、中太鼓のカイシャとヘピーキ。カイシャにはスネアドラムのように響き線が3束付いている。小太鼓のタンボリンは手の平サイズ。それと小さなシンバルをたくさん並べたショカーリョ、これはガンザともいう。
それぞれ、スルドは卓、ムーネーはカイシャ、ジャイミはヘピーキ、タンボリンは夫のユージ。息子の勇魚にはショカーリョを振らせている。息子はほかの習い事は嫌がっても、サンバだけはきちんと参加する。ブラジル生まれの息子には、どこかブラジル人としての自覚があるようだ。
左からスルド、タンボリン(上)、カイシャ(下)、ショカーリョ、へピーキ
さて、今日の練習会はというと、二週間後に予定されている夏祭りのためのもの。アベニューでは7月31日の土曜日に、商店街の車道を一部通行止めにして、夏休みに入ったばかりの子供たち向けに、いろいろな出店やステージを催すことになっている。
そこで、普段は弦楽器ができる人を呼んでバンド形式のステージをするんだけれど、今回はサンバクィーン・コンテストをすることにした。
これはわたしを含めた4人のパシスタが、バトゥカーダと呼ばれる打楽器だけの演奏に合わせてひとりずつ踊り、誰が一番か決めるというもの。合間合間にインタビューを入れたり、応援の拍手をもらったりと、案外、バンド演奏するよりもお客さんの受けがよかったりする。
また、どんな形でも11月の沖縄国際カーニバルには出場するので、そろそろサンバクィーン、つまりバテリアの前で踊るダンサーを決めなければという事情もある。ただし、わたしとジャニースは過去に選ばれたことがあるので、内々の話だけど、今回はいずみちゃんとリサちゃんのどちらかが選ばれることになっている。なのにだ。リサちゃんが練習に来ていない。なにやってるんだ、あの女はー。
とりあえず、パシスタ3人で「出ハケ」の練習、つまり誰がどの順番でステージに上がり、何をしてどのタイミングで下がるのかを確認する。その際、立つときはきちんと足を交差させ胸を張る。お辞儀は右手を胸に当てて膝を折り曲げるなど、エレガントな動作が大切。ラジオでも話したけど、サンバは決して裸踊りではないからね。
ひとり当たりの持ち時間は2分としたので、夫は腕時計をちらちら見ながら、細かく指示を出していく。
「入退場はもっと時間をかけていいよ、お客さんから拍手もらう時間もいっぱい欲しいし。あと、一番の楽器は人間の声なんだから、みんな、とにかく声を出そうよ。ブラジルに何年もいたけど、無言でサンバしている人なんて見たことないよ」
なんて偉そうなことを言うのは、高校時代、応援団長だったからなんだろうね。ダンサーはステージに上がる時には元気よく一声を、バテリアもダンサーの踊りを盛り上げるため掛け声を、としつこく念を押す。
ちなみに当日の司会は尚ちゃんが担当。アメリカ人も見に来るだろうから英語の司会は当然、ジャイミがすることになっている。もちろんバテリアと兼任になるけれど。
ところで、こうやって遊歩道で練習をしていると、通り掛かりにせよいろんな人が見てくれる。立ち止まって見てくれるのはアメリカ人が多いかな。それも多分、立ち振る舞いから見て田舎町出身の。それでいつものように卓が「一緒にやってみませんか」と迷彩服の3人組に声をかける。すると、その中のひとりが「OK、OK」と言いながらスルドを叩き出した。
ドン ドン チャ… ドン ドン チャ…
リムも使ってなかなかリズミカルに叩いてる。あれ、このリズムって…。
「これ、クィーンだぞ。はは、まあいいか。みんな合わせようぜ」
夫はバテリアにそう呼びかけると、楽しそうに手に持ったタンボリン叩き始めた。わたしもダンサーたちに向けて、ステップ、ステップ、クラップ、とやって見せた。さすがに女の子はノリがいい。すぐにみんな同じようにやり始めてくれた。見ればジャニースの夫のベンジャミンも。すると、見物人の数が増えだして、ちょっとした人の輪ができたと思ったら、
♪
ウィ ウィル ウィ ウィル ロック ユー!
ウィ ウィル ウィ ウィル ロック ユー!
サンバチームのメンバーも、見物人も、みんなが一緒になって歌いだした。
「ジャイミ、この続き歌ってよ、お前イギリス人だろ」
さびの部分だけでは面白くないと、せかしだす夫。
「早く、ハリ・アップ!」
するとジャイミはかなり困った顔をしながら、
「ノー! この歌の歌詞、イギリス人だって全部知らないよー。アイ・ドント・ノー・エニモアー」
夫とジャイミとの滑稽なやり取りに、日本人もブラジル人もアメリカ人も、みんなが大笑いだった。
さて、そんなこともあり、練習はさらに活気づいてきたんだけど、30分ほどすると、突然、夫が両手を大きく振ってバテリアの演奏を止めさせた。
「うーん、残念だけど、みんな、しばらく休憩しよー」
見ると、アベニューと国道との交差点から警察のバイクが近づいてくる。いや、今日も近づいてくると言った方がいいのかな。やって来たのは生活安全課の花城信江さんという若い婦警さん。もう何回も注意を受けているので顔見知りだ。ショートヘアーがボーイッシュでかわいらしいけど、いまはそんなことを言ってられない。
「すみませんが、ご近所からまた苦情が来ているので、少し練習止めてください」
ご近所とは国道の向こう側に建つライオンズマンションのことだろう。うちのお店は交差点から三軒目なので、まあ、うるさいのかもしれないなー。
それでも警察には練習を禁止するまでの権限がないのか、いつも30分ほど中断すること、絶対5時までには終わることをなどを条件に、許してもらってはいる。
「ゴリー、婦警さんにちゃんと謝るんだよー」
「何言ってるんですか、責任者はユージさんでしょ、まったく」
文句を言いながらも、卓は花城婦警から素直に注意を受けている。遊歩道に置かれた楽器もどけなさいと指導されながら、なぜか照れ笑いしているようだ。というのも花城婦警は卓の顔見知り。それどころか、高校の剣道部の1学年先輩なんだそうだ。
「3学年で部員5人しかいなくて、もちろん男女合同だったんです」とのこと。そりゃ仲が良いいだろうなー。
ちょうどその時、離陸したばかりのF15戦闘機2機が、轟音を響かせながらアベニューの上空を横切った。みんな一斉に空を見上げる。
「婦警さん、あっちの方がうるさいですよー、注意しないんですかー」
「ユージさん、やめてくださいよー、もー、ごめんなさいねー、信江先輩、リーダーあんなバカでー」
卓が泣きそうな顔をして謝っていた。
今日は、ほかにもいろんな出来事があった。
悪い方の出来事はというと、結局、リサちゃんは練習には顔を出したものの、すでに5時を回り、楽器の片づけをしている時だった。
「アキさん、ごめんなさい、ちょっと別の用事が出来ちゃって」
リサちゃんは赤いノースリーブのワンピース姿で、卵型の色の濃いサングラスをかけている。うちでアルバイトしている時とは別人で、ホステス、いやいや、どちらかというとギャルの恰好だ。
横にいるのはアントーニオというそうだ。最近、新しい彼氏ができたとは聞いていたが、どう見ても彼女よりも若い白人男性。名前からするとラテン系かな、呼び名はトーニオ。着ているマイアミ・ドルフィンズのTシャツせいか、なんとなく子供っぽく思える。
「で、今度のコンテスト出るの、出ないの。出るなら段取り覚えなくっちゃだめだって」
わたしがリサちゃんに詰め寄ると、
「出ます。ほんと、すみません、来週は必ず練習に来ますから」
そう言い残すと、ペコリを頭を下げて、トーニオに肩を抱かれながら一番街の方へ行ってしまった。うーん、なんだかなー。
その一方で、いい方の出来事はというと、大学生の男の子が彼女を連れて練習に見学に来てくれた。浜田悠仁さんといって、琉大の3年生。サッカー好きだそうで、
「ブラジル代表のロナウジーニョが試合の後、移動のバスの中でサンバの演奏しているのを見て、かっこいいと思いました」
体格がいいので夫はスルドをさせたいようだ。早速、卓がいろいろと手ほどきをしてた。
彼女の方は大城由紀ちゃん。ちょっと背が低いけどアイドルのようなかわいい顔つきで、ショートカットを茶色く染めている。ユキちゃんは大学では体操部に入っていて、器械体操をやっているそうだ。今日は彼氏に連れて来られただけと言うけど、来週の練習には踊れる格好で来たらと誘ってみた。
もうひとついいことがあった。練習が終わると、隣のお店のBCスポーツの金城さんが、
「疲れてるだろー、さー食べなさい」と黒糖ピーナッツを差し入れてくれた。金城さんは70手前。ベトナム戦争時代からこの通りで商売をしているので、言ってみれば大先輩だ。ちなみに、うちのお店の大家さんでもある。
「あんたたちがサンバをやってくれると、この街にカリーが付くよー」
カリーがつくとは「縁起がよくなる」でいいのかな。「うるさいよー」とは言わず、誰かが楽しくしていればこの商店街にも福が来ると言ってくれる。同じこと、確かリンスケさんにも言われたっけ。
第5話に続く
BCスポーツ店
黒糖ピーナッツ
※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです