小説 沖縄サンバカーニバル2004

20年前の沖縄・コザを舞台に、現在も続く沖縄サンバカーニバル誕生秘話

第2話 7月16日(金) ドリームショップグランプリ

「ははは、アキさん、それとっても贅沢な夢だって。ブーテンさんと、リンスケさんにフォーシスターズ。いま、そんなステージがあったらチケットとれませんよ、絶対に」

 昨晩見た夢の話をすると、倉敷さんはやはり大笑いをした。今日は仕事が早く終わったと開店時間の30分前にふらっとやって来ては、いつも通りカウンター席の一番奥に座っている。

「誘えばばよかったですねー、倉敷さん、リンスケさんの大ファンですからねー」

 カウンターの中でオリオンの生ビールの樽をサーバーにセットしながら、わたしも面白おかしく受け応えする。夫のユージは奥の厨房で野菜を切りながら会話に耳を澄ましているようだ。

 ここは「サンバ居酒屋オ・ペイシ」というブラジル料理店。「オ・ペイシ」とはポルトガル語で魚という意味で、沖縄市の中央パークアベニューという商店街のビルの一階にある。テーブル席が7つ、カウンターには4席。

 サンパウロに5年間滞在した経験のあるわたしたち夫婦は、現地で覚えた料理と、趣味で習っていたサンバを組み合わせたお店をやってみようと、4年前に沖縄へやってきた。わたしは加藤亜紀、そして夫は祐司。

「でもフォーシススターズは、そのころ一番上のお姉さんですら生まれてませんよ」

「そうでしたっけ、でも四姉妹のコーラスが聞けて良かったです、ははは」

 カウンターに座る倉敷俊介さんは、東京の海洋土木調査会社から沖縄に単身赴任で来ていて、辺野古の米軍基地建設にも関わっているそうだ。だから長身の体から伸びる二本の腕は漁師のように日焼けして、40代ながら花柄のアロハシャツがよく似合っている。キープしているブラジルのラム酒ピンガをロックで飲んでくれるで、接客の手間がかからずありがたい。

「それはそれは。アキさんに本を貸した甲斐があったというものですよ」

「ありがとうございます。ああいう本を読むと、地元を見る目が変わってきますねー。リンスケさんのことは少し知ってましたけど、ブーテンさんのことは初めて知りましたから」

「命のお祝いをしましょー、のところでしょ」

「それそれ、なんたってわたしステージの真ん前ので見ましたから、ははは」

 倉敷さんから何日か前に「てるりん伝」という本を借してもらった。リンスケさんの半生について書かれた本だ。

 わたしたちがリンスケさんと呼んでいる照屋林助さんについては、ご存じの方もいらっしゃるはず。

 沖縄古典民謡の重鎮、林山氏を父に持つかたわら、1950年代に放送されたラジオのお笑い番組「ワタブーショー」では、戦争で傷ついた人々の心を癒し、人気を博したそうだ。ついた愛称はてるりん。

 その後も三線の工房を構えながら、「網走番外地」や「ウンタマギルー」といった映画に出演。ポリカインという水虫の薬のCMは全国に放送され、わたしも見た覚えがある。だから音楽家漫談家とくくるより、タレントといった方がいいのかな。

 そして、ブーテンさんこと小那覇舞天さんとともに、戦後間もなくの難民収容所でも、家族を失った家々を訪ねては「いつまでも悲しんでいても仕方がない、生き残ったことをお祝いしよう」と歌と三線で励ましていたということを、そのお借りした本を読んで知った。 

 ちなみに、フォーシスターズはブーテンさんが名付け親の四人姉妹の民謡グループ。だけど、デビューは1960年だった、はは。

「ところでリンスケさんは、この店、来てくれたの?」

「オープン初日にお客さん第1号で来てくれました。そのときもう車椅子だったんですけど。それで、ブラジル料理で一番有名なのは何って聞かれて」

フェイジョアーダ出したの? あの豆と肉の煮込んだやつ、脂っこくなかったのかなー」

「いま思えば無理して食べてくれたのかもしれませんねー、でもおいしいって言ってくださって。それで、それっきりです」

「そーだねー、ずいぶん前に、入院しちゃったからねー、糖尿だっけ、太ってたから心配だねー。そうそう、ちゃんとお見舞いには行ったの?」

「いや、そこまで親しくないですから、かえってご迷惑じゃないですか」

「行けばいいのに、なんたってこの店出せたのも、リンスケさんのお陰なんでしょ」

 そうなのだ。リンスケさんのお陰といえば、お陰ではある。

第2話 7月16日(金) ドリームショップグランプリ
2004年頃の中央パークアベニュー、コリンザ(現BCコザ)屋上より撮影

 わたしたちが沖縄にやって来た2000年、ここ沖縄市の胡屋地区ではシャッター街化、つまり商店街に空き店舗が目立つようになり問題になっていた。

 胡屋地区とは米軍の嘉手納基地の門前町として、ベトナム戦争時代に大いに栄えたところ。基地と国道330号線に挟まれた南北1キロほどの地域に、北から順に中央パークアベニュー、沖縄市一番街、空港通り、中の町社交街と、大きく4つの商店街がある。 

 どこもアメリカ兵を目当てにした洋品店や宝飾品店、Aサイン・バーやAサイン・レストランと呼ばれた、米軍の許可を受けた飲食店が軒を連ねていたんだけど、それが70年にアメリカがべトナムから撤退し、73年以降、変動相場制だっけ、それによってドルの価値が下がっていくと、アメリカ兵があまり基地の外に出歩かなくなったそうだ。

 すると、次第に商店街は寂れていき、それならば地元の人を呼ぼうといっても、ジャスコやサンエー・シティといった郊外型のショッピングモールが、北谷や具志川など沖縄市周辺に次々とできているので、すでに時遅し。無料駐車場が無かったこともあり、特に中央パークアベニューと沖縄市一番街の衰退はひどかったらしい。そこで、商店街のための活性化事業が、行政を挙げていろいろ企画されていった。


 そのひとつにドリームショップ・グランプリという企画があった。これは、どんなお店をするかといった企画書を書いて応募し選ばれると、開店資金50万円の賞金と一年分の家賃全額がもらえるというもの。

第2話 7月16日(金) ドリームショップグランプリ
ドリームショップグランプリ 募集ちらし

 夫がテレビの地域ニュースでそのことを知り、「ほんとは那覇でやりたいけど、どこでお店やっても、潰れるときは潰れるからなー」と応募。企画書にはブラジル料理のお店を拠点にサンバチームを作り、商店街でサンバ・カーニバルを開催すると書いた。もちろん女性サンバ・ダンサーの写真もたくさんつけて。すると、見事グランプリに選ばれたという次第。あとで聞いた話では、お店の内容より、サンバ・カーニバル開催が決めてだったらしい。

 そして、そのときの審査委員長がリンスケさんだったというわけなのだ。

 リンスケさんは沖縄市の文化人が集まって「建国」されたコザ独立国の初代大統領に選任されるなど、地元のシンボル的存在。ということで記念すべきドリームショップ・グランプリ第1回目の審査委員長を務められたそうだ。  

 そうそう、コザとはこの辺りの古い呼び方。74年に美里村と合併するまでは、この街はコザ市だった。

 そしてオープン初日の9月8日、リンスケさんがお祝いだとお店に来て下さった。そしてその際、

「ここはチャンプルーの街だから、好きなことをなんでもしなさい。あなたたちが楽しんですらいれば、それを見に人が寄って来てくるから。サンバカーニバルでしたっけ、私も参加してみたいものだねー」

 確かそんな様なことを言われたっけ。ちなみに、リンスケさんの自宅はここ中央パークアベニュー、通称アベニューの一本裏の道にあり、現在は次男のリンボウさんが、てるりん館という小劇場と三線の工房を継いでいる。それと、長男は有名なりんけんバンドのリーダー、照屋林賢さん。

「倉敷さん、他にオススメの本あったら貸してくれませんか」

「そうだねー、とりあえず次は映画のウンタマギルー借りたらいいよ。ツタヤにあったから。最初のシーンでリンスケさんのワタブーショーが再現されてていいんだ。いま読んでいる本と照らし合わせて見たらいいよ」

「ワタブーショーって、コミック・バンドみたいなやつですよね、違うか、ボードビルか」

「ぼくら世代からいうとクレージーキャッツかなあ、アキさんは30代だから、わからないかー」

第2話 7月16日(金) ドリームショップグランプリ
てるりん館

 やがて開店時間の6時。いつものように「遅れてすみませーん!」と言いながら、リサちゃんが出勤してくる。

 我那覇リサちゃんはハーフで、お父さんはプエルトリコ系のアメリカ人だそうだ。短いソバージュ風の黒髪に、ぱっちりとした目とうっすら光る褐色の肌は、塩ビの着せ替え人形みたい。おおらかな性格からなのか、遅刻をしてもまったく悪びれることはないんだけど、まあ、ぺこぺこされるよりはいいか。

 ここアベニューはシャッター街とは言われてるけれど、週末はまあまあ人通りはある。なので金曜日と土曜日には、リサちゃんにウエイトレスのアルバイトをお願いしている。特に米軍のペイ・デイに当たる毎月1日と15日のあとの週末は、嘉手納基地や軍港のあるホワイトビーチからアメリカ人のお客さんが結構やってくるのだ。そして今日は16日の金曜日。

「やー、リサちゃん、昨晩はアキさんの夢の中で踊りまくったらしいねー」

「何の話ですか倉敷さん、やだー、もう酔っぱらってるんですかー」

 リサちゃんが倉敷さんの肩をポンとはたく。だけど昨晩わたしの夢の中で踊っていた赤い羽根のサンバ・ダンサーは、確かに彼女なのだ。

 もともとリサちゃんは、お店のオープンとともに立ち上げたサンバチームのダンスメンバー。ウエイトレスの方は、たまたま忙しいときに手伝ってもらったのが始まりだった。だから、お店にお客さんがいないときには、営業時間中でもふたりでダンスの練習をしたりする。その様子をガラス越しに見た客さんが入ってきてくることもあるんだけど、それが若い女の子だったりすると、

「筋がよさそうですねー。どうですか、一緒にサンバしましょー」

 と誘うのも、彼女の立派な仕事なのだ。

 開店と同時に、ひと組の外人客がきていたので、早速、リサちゃんには注文とりをお願いした。彼女は普通に英語が話せる。さっき、おおらかと言ったけど、おっとりではなく案外はきはきしている。だから外人客には受けがいい。

「3番のお客さんBセットふたつです。それとブラーマとガラナお願いします」

 ブラーマはブラジルビール、ガラナはアマゾン原産のフルーツのソーダ。どちらもこの辺りではうちのお店でしか扱ってないドリンク・メニューだ。 

 料理の注文伝票は厨房の夫に渡し、ドリンク類はわたしがカウンターの中で用意をする。

「ところでアキさーん、奥に方に座ってる人、どこ出身だと思います。カーボ・ベルジだって。知ってます?」

「確か大西洋の島だったかな、ポルトガル領の」

「じゃあ、ポルトガル語も話すんだ」

「一応、公用語だからね。それで来てくれたのかな、あとであいさつしに行くね」

 5年間のブラジル生活で、わたしは英語とともにポルトガル語もそこそこしゃべれる。それで来てくれるお客さんもいる。ちらりと見ると肌の色の濃い、人懐っこい顔つきの青年だった。

「最近、いろんな国の人来ると思いません。昔はアメリカ人以外はメキシコ人くらいしか見なかったけどー」

「そういえば、おととい、コロンビア出身の女の子が来たよ。アメリカではいま兵隊が足りないから、軍隊に入れば市民権がすぐにもらえるんだって」

「やっぱイラク戦争と関係あるんですかねー。それに最近この街、ラテンづいてますよね。アキさん、ふん、あたしたち絶対サンバ、沖縄ではやらせましょうねー」

 リサちゃんは、会話の途中に「ふん」と入れることがある。子供の頃の話し方が残っているらしいけど、なんだか可愛らしく感じられる。


 やがて七時を過ぎると、シロさんがやって来てくれた。倉敷さんの横に座り生ビールを注文すると、すぐにタバコに火をつける。

「なになに、今日はナイチャーふたりでリンスケさんの話をしていたの。うーん、おれら地元の人間は、あの人をそんなに意識したこと無いけどねー。ご近所さんだから当たり前すぎちゃうのかなー」

 シロさんは仲間弘行さんというのだけど、おでこが禿かかっているところが、最近ドラマで人気の佐野史朗に似てるとシロとあだ名されている。40代半ばで、沖縄市役所の健康福祉部に勤務。わたしのことをナイチャー、つまり内地出身と呼ぶんだけど、よく言われるような悪意はなく、むしろ親近感の表れだと感じる。実家が復帰前から葬儀用の花屋を営んでいて、自分も配達を手伝っていたから地元のことには詳しいそうだ。

「おれが前に聞いたのは、リンスケさんのお父さんが戦後すぐに照屋楽器を始めたとき、弟さんは外語大卒で英語がしゃべれたけど、リンスケさんはしゃべれなかったから、外人客の多い楽器屋は継がずに三線屋を始めたっていう話かな。昔はこの通り、英語しゃべれないと商売にならなかったからね」

 照屋楽器は同じ商店街、というか、うちからすぐ北に5軒先だ。いまの店はリンスケさんの弟さんの長男が継いでいる。

「いまも英語は大事ですよ、ひどい日は外人のお客さんだけで、売り上げがドルだけのこともありますからねー」

「そうだろうねー、アキさんもリサちゃんも英語ぺらぺらだから、この街に向いてるよ」

 わたしが英語を話せるのは、父親の仕事の関係で高校時代シンガポールにいたから。一方、リサちゃんはというと、中学生になってから先生に「あなた見かけが外人なんだから、英語話せないときっと損するわよー」と言われたからだそうだ。小学校の頃にいじめにあっていたことを思い出して、急になんだか悔しくなって、キリスト教の教会の無料英会話教室に通ったと言ってた。

 だけど、だからこの街に向いていると言われてもなー。沖縄に来てから、こうして嘉手納基地の門前で商売していると、いろいろ思うところがある。毎日のように基地関係者の窃盗なり暴行なりと、よくないニュースがテレビで流れるけど、かといって基地がなければ商売が成り立たないし。それでこの街のことをもっと知らなくちゃと、いろいろと本を読みだした。倉敷さんから本を借りたのも、そういうわけなのだ。

「わたしね、こうしてこの街で米軍相手に商売していると、時々、自分は基地賛成派なのかなって思ったりするんですよ」

「ははは、リンスケさんの次は基地問題かー。沖縄に来てもう四年だよなー、そんなこと、もうあんまり気にしなくていいんじゃないかー」

 シロさんはそっけなくそう言うと、ビールを口に含む。倉敷さんからは、

「アキさん、罪を憎んで人を憎まず、基地を憎んで客を憎まずでいいんじゃない」

「倉敷さんは割り切れていいですよね、なんたって日の丸バックに辺野古に基地作ってるんですから」

「なに言ってんの失礼な、僕たちは海洋調査だけですよー。たまにブイを浮かしてるだけだってー」

「まあ、わたしも声を上げて基地反対ってわけではないんですけど、ただ辺野古は反対なのかといわれれば反対。わたし大学のダイビング部で泳ぎが下手で、いっつも先輩にサンゴ折るなよーて怒られていました、自然破壊って」

「ははは、実際、埋め立て始まったらそんなレベルの話じゃないですよ。まあ、この街で商売するならノンポリが一番じゃないの」

「そんな、ばかみたいじゃないですか」

「じゃあ辺野古までいって反対運動にでも参加したらどうです、今日だってキャンプ・シュワブの前にプラカード掲げた反対派がいっぱいやってきてましたよ、反戦反戦って」

 そこまではできないなーと思う。すると、シロさんがここぞとばかりに口を挟んできた。

「アキさん、これ知ってる。基地なのに、キャンプ・ハンセンとはこれいかに」

「もー、使いまわしのおやじギャグは結構です」

 キャンプ・ハンセンは金武町にある米軍基地。沖縄では定番のジョークなんだそうだ。


 そのうち、8時になりリサちゃんのアルバイトはここまで。彼女の本業は中の町社交街にあるスナックのホステスで、9時までには出勤しなくてはならない。うちのお店にいるときは、それほど派手な恰好ではないけれど、夜の町ではワンピースに着替え、ばっちりメークをしてるらしい。

  何やら彼女のお母さんは、中の町ではナンバーワンと言われたほどの有名ホステスだったらしく、彼女もそれに負けじと頑張ってるんだとか。

「もう、あたし上がりますけど、倉敷さん、シロさん、いっぱい飲んでいってくださいね」

「なんだー、リサちゃんあんまり話しできなかったよー、ところでアキさんから聞いたけど、新しい彼氏できたって」

「もー、アキさんおしゃべりですよねー。それより倉敷さんもシロさんも、たまには中の町のお店に遊びに来てくださいねー、サービスしますよー」

「彼氏持ちに誘われてもなー、まあいいか、今度行きましょうよシロさん」

「バカいうなって、リサちゃんのお店行ったら、奥さんに怒られちゃうよー」

 ちなみにリサちゃんには二十歳(はたち)の時に産んだナナという8歳の娘がいる。リサちゃんはシングルマザー、うちは共働き。お互い深夜まで仕事なので、そのナーナーとうちの息子、勇魚とは、近くの安慶田夜間保育園で預かってもらっているという間柄でもある。


「ところでアキさん、あの人の格好、どうなってるの?」

 シロさんがちらちらと見てるのは、ブラジルのカーニバルのビデオ。カウンター席の正面には18インチのテレビがあり、ビデオを流しっぱなしにしている。サンバ居酒屋ということで、これは一応、お店の売りでもある。

 その画面いっぱいに踊っているのは、ボディーペイントをした黒人の女性ダンサー。顔だけ残し、全身に虹色の渦巻き模様が描かれている。赤く塗られた乳房に、乳首がちょこんと飛び出しているのがはっきりわかる。サンパウロのモシダージというチームの一九九七年のパレードだ。(youtube

「すごいなー、これ下はどうなってるの」

「ちゃんとつけてますよ。あたりまえですけど、全裸だと退場させられちゃうんです。えっと、タンパ・セストっていうんですけど、日本語だとフタ、フタになるのかな」

「フタ?  あそこのフタ?」

「それじゃー、リボン仮面みたいなもんですかね」倉敷さんも、喰いつくように画面を見だした。

「ちがうよ、リボンの志士だよ」と、シロさん。

「なんですか、それ?」一応わたしもお付き合いで尋ねてみると、

「ケッコウ仮面だよー」と、奥の厨房から夫の声。

「ユージさん、聞いてたんだー」

 思わず顔を見合わせ、ハハハと笑うカウンターのふたり。ケッコウ仮面とは30年前の少年向けのお色気漫画らしい。このスケベ中年どもめ。

 すかさず倉敷さんがロックグラスを掲げ、

「さあ、難しい話もしましたけど、飲み直しましょう。今夜はケッコウ仮面にカンパイ!」

 そのとき、店の前でアメリカ人が大声を上げながら駆けていく気配がした。続いて「ドン!」という大きな音。すぐに夫が厨房から飛び出し、店の外を見に行く。

「あー、また看板倒されちゃったよー」

 そうなんだよねー。この街ではぺイ・デイあとの週末は、酔っ払いの外人が暴れるからねー。




 第3話に続く

第2話 7月16日(金) ドリームショップグランプリ
ブーテンさんが名付け親のフォーシスターズ

第2話 7月16日(金) ドリームショップグランプリ
サンバ居酒屋オ・ペイシのフェイジョアーダ




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです