1908年第1回ブラジル移民781人を乗せた笠戸丸 沖縄からは325人が乗船
うちはブラジル料理のお店なので、もちろんブラジル人のお客さんは少なくない。ジャニースのようにアメリカ軍関係者と結婚して基地に住んでいる人がほとんどだけど、基地とは関係のない日系ブラジル人も来てくれる。
日系人は見かけは日本人と変わらないので、日本語ができる人だと、最初はブラジル人ってことはわからない。でも、料理の注文の仕方や「ブラジルはどこにいたんですか」なんて具体的な質問をされると、わたしの方からも「お客さん、ブラジルの方ですよね」ということになる。
とはいえ、10年以上前に日系人の就労ビザの取得が緩和され、群馬県にはブラジル人街ができたなんてニュースを聞くたびに、沖縄にもどんどん日系人が来そうなもんだけど、これがほとんど来てないらしい。かつてこの話をシロさんにすると、
「だって、しょうがないよ、沖縄には仕事がないんだから」
だから、沖縄由来の日系人だったとしても、やはり本土で働いていること多くなる。
サンパウロにいたときに聞いた、ある県系3世の笑い話。彼は日本語が話せると、自信満々で日本へデカセギに行ったつもりだったけど、
「現場監督から、お前は何を言ってるかわからないと言われて、クビになりそうになったよー」
彼の話す言葉は、移民1世のオバーから習ったウチナーグチだったそうだ。
今日もそろそろ7時になろうというのに、お客さんはカウンターにシロさんひとり。ただリサちゃんが開店前からダンスの練習に来てくれている。というのも、明日は商工会議所の親睦会に呼ばれているのだ。踊る曲は2曲。どちらもカーニバルのサンバだけど、見栄えのするステージにしたいので、曲のさびの部分には揃いの振り付けを入れることにした。だけどリサちゃんがまだ覚えられていないので、前日特訓というわけ。シロさんが「俺にかまわず好きにしていいよー」と言ってくれたので、客席の真ん中にスペースを作り、さすがに音量は控えめにして練習している。
やがて、7時過ぎにようやくふたり目のお客さんが来てくれた。ナーリーさんだ。
「おー、リサちゃん。コンテスト見たよー。優勝おめでとー」
ナーリーさんこと米須一成さんは、レガッタシャツの上に胸をはだけたアロハシャツ。オールバックの髪形に、二の腕にはタトゥーが入っているから、知らない人が見たらチンピラそのもの。だけど、根は優しく、30過ぎだけど少年のような仕草を見せることがある。
彼は日系ブラジル3世。もちろんブラジル生まれだけど、家族でマイアミに働きに行ってたことがあるので、もちろん英語も話せる。10年ほど前から沖縄で暮らし始めたそうだ。
「リサちゃんは見かけブラジル人みたいだから、カーニバル盛り上がるんじゃない」
「じゃあナーリーさんは日系人の友達、いっぱい呼んできてくださいねー」
ナーリーさんは、去年の沖縄国際カーニバルの大パレードに参加してくれたので、リサちゃんとも親しい。バテリアをしないかと誘ってもいるけど、残念ながら笑っちゃうほどリズム感がなくて、夫は何度も指導し、何度も断念している。
「ナーリーさんもそろそろ練習に遊びに来てよ、あとリサちゃん、もう練習終わろう。外人ふたり組が看板見てるから、ちょっと話しかけて来て」
立て看板には日本語と英語のメニューが1枚づつ貼ってある。
「はいはい、あたし今日アルバイトお休みなのにー。ナーリーさん、アキさんって人使い荒いでしょー」
「あははは,アキさんは昔から怖いさー、オレの支払いにも厳しいしー」
カウンター席の後ろにはふたつテーブル席があって、ナーリーさんは向かって左側の6番テーブルにいつも座る。そして必ずコロナビールを注文するので、ライムを三日月に切っていると、
「アキさん、これこれ。このビデオのパレード、うちの叔母さんが出たんですよー」
今日もカウンターのテレビには、カーニバルのビデオを流している。いま映っているのは98年のサンパウロのカーニバル。バイ・バイというこの当時の常勝チームが、ブラジル日本移民90周年をテーマにパレードしたものだ。
「いやー、あのバイ・バイが日本人をテーマにパレードするって聞いて、そんなことがあるんだって驚きましたよ」
すでに2杯目の生ビールを飲んでいるシロさんも、言われて映像を眺めだした。
「へー、なんか不思議な感じがするねー。ブラジルでサンバっていったら、日本と関係ない遠い外国の話だと思ってるから。でもさー、漢字とかめちゃくちゃじゃない」
シロさんが指摘するのは、ダンサーの着る法被(はっぴ)の襟に、縦に書かれた平和という文字。偏とつくりがバラバラになって、平、禾、口の三文字になってしまっている。
「それにあの山車。あれ原爆雲だろ。原爆雲の上でダンサーが踊ってたりするのも、どうなんだろうねー」
日本移民90周年をテーマにパレードしたヴァイ・ヴァイ
「まあ、しょうがないですよ。誰か言ってましたけど、あえて誇張した衣装や山車を作るのがカーニバルなんですって。だからド派手な侍や忍者ばかり出てきますよ。わたしたちだってメキシコ人といわれれば、サボテンの前でヒゲに帽子にマラカスじゃないですか」
「ははは、そりゃそうかもしれない」
結局この年、このチームが優勝を飾ったのだから、この演出はカーニバルとしては間違ってなかったんだろう。
それに、日本が世界のどこにあるかも知らないブラジル人の友人から、「パレードを見て日本の歴史に興味を持ったわ」なんてことを言われたから、やってくれて良かったと思う。
「うちの叔母さんは、ラジオ体操のグループで出たって言ってました」
「あー、そうだったんですね、確か最後の方、阿波踊りのあとに映ってますよ」
「え、そのラジオ体操って何?」と、シロさん。
「日本人街の地下鉄の駅前広場で、毎朝ラジオ体操をするグループがあるんですよ。それで、そのままパレードに出ないかって招待されたみたいで。だからパレード中、サンバに合わせてラジオ体操してたって、ちょっとおかしいでしょ」
「ははは、面白いねー。なんでもありなんだ、カーニバルって。それに、これもいいねー」
シロさんが見入っているのは、胸をあらわに踊る褐色の肌の「芸者」だった。
「ところで、ユージさんが欲しがってたバーベキューグリル、日曜日に持ってきますよ」
ナーリーさんは運送会社に勤めていて、特に米軍関係者の引っ越しの仕事を専門にしている。当然ながらアメリカ本土に帰国する引っ越しを受け持つことも多く、その際、家具や遊具の処分を頼まれるそうだ。
そういった処分品の中にはまだまだ使えるものも多く、息子用に三輪車だったり、ビーチパーティー用にクーラーボックスだったりと持ってきてくれるのだ。当然アメリカ製なのでサイズはかなり大きめ。以前、電動ミキサーももらったけど、日本の電圧でもちゃんと使えている。
今回のバーベキューグリルというのは、夫が店の前でブラジル風の串焼きを販売してみたいと頼んでいた。
「バーベキューグリルかー。話聞いてると、アキさんたちも沖縄っぽくなってきたねー」と、シロさん。
「空港通りでアメリカ兵向けに、屋台で焼き鳥売ってるじゃないですか、紙コップに入れて。まあ、それの真似なんですけど」
「いやー、そっちじゃなくてさー。ほら、昔、この辺りは家具屋さんが多かったって知ってる?」
言われてみると、確かに国道沿いに奥間ベッド店という看板は出ているし、その近くのボーリング場の横にも、材木置き場があった気がする。
「それはさー、アメリカ本土から大きなものが運ばれてくるとき、木枠で囲われてくるんだけど、昔はその木枠を基地からもらってきて、それで家具を作ってたんだなー」
「基地から物をもらってくる点では一緒ってことですね、まあそうかも」
「一緒、一緒。ねえ、戦果アギヤーってわかる?」
「聞いたことあります。戦後すぐ、沖縄の人が飢えていたとき、米軍の倉庫に忍び込んで、食べ物を盗んでたって話ですよね」
「そうそう、それをみんなで分け合ったという話。アギヤーはもともと追い込み漁のことなんだけど、この場合、魚じゃなくて軍事物資を取ったんだねー。ちょっと違うけど、ナーリーは平成の戦果アギヤーだねー」
「いやいや、シロさん、それ誉め言葉になってないですよ、オレは盗んでないですから」と、首を横に振るナーリーさん。
「そーかなー、コロナビールの話、林栄から聞いてるぞー」
実はお店をオープンさせた当所、夫が基地に出入りするナーリーさんに頼んで、PXでコロナビールをケースで買ってきてもらっていたことがある。もちろんお店で売るために。日本の酒屋さんでは1本250円くらいで売っているのが、PXでは80セントぐらいで買える。当時のドル相場で計算しても100円しない計算だった。わたしは始めからやめなさいと言ってたんだけど、そのうち、林栄さんにボトルの裏側に日本語の記載がないのを見つけられて、
「これって密輸になるから、ユージさん、捕まるよー」
アベニューで代々、真面目に商売する照屋楽器さんに言われてはと、さすがの夫も慎むことにしたんだけど。
国道330号線沿いにあった奥間ベット店
このコロナビールの一件は褒められたものではないけど、この通りに来てから、どういうかな、沖縄の人たちのたくましさ、というか、したたかさを日々感じている。戦後から続くお店が、どうしていまも生き残っているのかなと思うと特に。
「シロさん、ちょっと聞いてくれます。ナーリーさんもリサちゃんも。みなさんからアイディアが欲しくって」
リサちゃんはひと組だけだけど手伝ってくれたので、カウンターでまかないのご飯を食べてもらっていた。
「沖縄サンバカーニバルのテーマなんですけど、その戦果アギヤーはともかく、なにか沖縄のたくましさをテーマにできないかなってずっと考えていて」
「沖縄のたくましさねー。ナイチャーは沖縄のちょっとしたことで驚いたりするけど、まあ、付き合ってあげようか。基地がらみのテーマにするの?」
いままでさんざんカーニバルのビデオを見せた甲斐あってか、シロさんも乗り気になってくれているようだ。
「そうなっちゃうかな。でも、もっとプラス思考で。木枠が家具になったりする話、おもしろいですし、あと前に、ひめゆりの塔に行ったときに平和祈念館で、米軍のパラシュートで作ったっていう、シルクのウエディングドレスの展示を見て、たくましいなーと思って」
「アベニューなんだから、やっぱりAサインはどうです。ニューヨークレストランとかまだあるし」
と、ナーリーさん。そのことは、わたしもすでに考えたんだけど、
「いや、Aサインはちょっと重たいよ」
すかさずシロさんが意見する。シロさんはAサインのお店がレストランだけじゃないことを言ってるんだろう。アベニューは夜の町でもあったからね。
「もっと、子供に話しても面白がってくれるのがいいですねー、参加者集めるにも話がしやすいのが」そうわたしが提案すると、
「それなら、缶から三線ってどうですか」
と、リサちゃんがまかないを食べる手を止める。
「あたしもテーマずっと考えてて、沖縄っぽくて楽しいのって何かなーって考えてたら、ナーナーが学校で缶から三線もらってきて」
沖縄の小学校では缶から三線の組み立てキットが教材として配られ、図工の時間に作り、音楽の授業で演奏される。
「あー、いいんじゃない、リサちゃん。『みんなのうた』でビギンの曲、流れてるよね」
ナーリーさんが言いたいのは『カンカラ三線うむしるむん』だろう。最近、小学校の課題曲になっている。
「そういうイメージだったら、基地っぽくならないかもねー」
これにはシロさんも賛成してくれているようだ。
わたしが読んだ本では、戦後、石川や屋嘉などの収容所で、空き缶と木材、パラシュートの紐などを利用して三線が作られ、人々の心の傷を癒したと書いてあった。屋嘉節という有名な民謡は、収容所内で缶から三線で作曲されたという。
だから本来、戦争のイメージが強いものなんだけど、今日に至っては簡単に作って楽しめる楽器として、特に子供たちに人気なようだ。
うん、いいかもしれない。今度の日曜日は、練習会のあとにテーマ会議を予定しているので、リサちゃんから提案してもらおう。
「でも、缶から三線がサンバのテーマなんて、おれらウチナンチューからするととっても変。フランス料理屋でゴーヤーチャンプルーが出てくる感じかなー。ほんと何でもありなんだねー」
シロさんは、3杯目はキープしている泡盛の水割りを口にしだした。
学校教材用としても利用される缶から三線
やがて8時を回り、リサちゃんは中の町へと出勤していった。リサちゃんが店のドアを閉めるのを見届けてから、
「そういえばアキさん、リサちゃん彼氏できたみたいだね」
ナーリーさんは先週のコンテストで、リサちゃんが彼氏といるところを見かけたらしい。
「アントニオっていうんですって。海兵隊(マリーン)だったかなー」
「よかったじゃないですか。でも、前に見たことあるなー、どこでだったっけ」
そう言いながらブラジルが懐かしくなったのか、2本目は珍しくブラーマを注文してくれた。
沖縄サンバカーニバルまで、あと94日。
第10話に続く
ブラーマビール 当時のデザイン
※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです