小説 沖縄サンバカーニバル2004

20年前の沖縄・コザを舞台に、現在も続く沖縄サンバカーニバル誕生秘話

第5話 7月19日(月) イチマブイ

第5話 7月19日(月) イチマブイ
嘉手納基地に降りたつ米軍哨戒機 国体道路より撮影 

 お店の製氷機から氷をすくってアイスボックスに詰め込むと、夫が運転する中古の日産セレナは嘉手納基地のフェンスに沿って国体道路を進んでいく。飛行機の進入路を横切る時に、助手席に座るわたしからは着陸態勢の哨戒機がサンルーフいっぱいに見えた。

 嘉手納ロータリーから国道58号線(ごっぱち)に入り、大湾の交差点で一旦左折。地元のスーパー、サンマートに寄って、詰め放題300円のお惣菜弁当をふたつ買う。レジのおばちゃんから、

「いっぱい詰めたねー」と今日も笑われる。

 再び車を走らせ県道6号線に入り、坂を下って琉舞道場の看板を左へ。行き止まりまで進めば、そこに広がるのはユーバンタの浜。東シナ海が見張らせる小さいが美しいビーチだ。

「さあ、着いたぞー、ゆっくりしよー」

 夫はハッチバックを開けて、クーラーボックスとキャンピングチェアを取り出す。わたしはお弁当とおまけにもらった味噌汁をこぼさないように持ちながら、CDラジカセを運ぶ。

 そう、毎週月曜日は、わたしたち夫婦が朝から海に出かける日。お店は月曜定休というわけではないけど、どうせ暇なことはわかっている。来て常連さんだけだ。だから、昼間の仕込みはほとんどしない。定休日のことを言うならば、うちはお正月以外、年中無休。その代わり、カーニバルの時期にまとめて2週間お店を閉めて、家族でブラジルに行くことにしている。

 ユーバンタの浜は読谷村の楚辺という部落の中にある。観光地では決してなく、周りには民家と畑しかないので、泳いでいる人など誰もいない。週末に近くの米軍住宅に住むアメリカ人家族を見かけたことはあるけど、今日は月曜日だ。

第5話 7月19日(月) イチマブイ
読谷村楚辺のユーバンタの浜

 つばの広い帽子をかぶり、キャンピングチェアに深く腰かける。ラジカセのスタートボタンを押して水平線をぼんやり見つめる。そしてゆっくりと読みかけの本を開く。

「ふーっ、ほーんと、沖縄に来てよかったー」そう思う瞬間だ。

 わたしが沖縄に初めて来たのは、大学1年生の時。ダイビング部の合宿で、本島を経由して慶良間へ行った。ほぼ20年前のこと。夫とはその頃からもう一緒だった。

 海に潜って、日焼けして、友達と騒いで。民宿では手作りのサーターアンダキーを遠慮なくほうばった。生まれて初めてのルート・ビアーは、恐る恐る口にした。それだけのことで大笑いをした。あの頃は、ただただ楽しい島だった。

 そして、お店をやろうと沖縄にやってきたときも、きれいなビーチのある観光地でと思っていた。夫は那覇が現実的だと言ってたけど、わたしはリゾートホテルが建ち並ぶ恩納村とか、若者に人気の北谷の美浜とか、そして、ここ読谷も考えていた。それがわたしの中での沖縄だった。

 ところが夫がドリームショップグランプリに応募し選ばれてから、すべてが一変したのだ。わたしたちは海のない、いや基地のあるアベニューにお店を開くことになった。そして4年が経った。

 結論から言えば、アベニューでよかったと思う。

「昨日の練習で思ったんだけど、いまのメンバー、アベニューじゃなかったら集まらなかったと思うの」

「あの通りは、サンバの練習しても怒られないしなー」

 夫は日焼けするんだと、短パン一丁で白い砂浜に寝転んでいる。

「わたし、1年の家賃補助が終わったら、やめたらって言おうと思ったけど、結局言わなかったな」

 お店を開いてしばらくして、店から歩いてすぐの高台のマンションに空室が出たというので、ここぞとばかりに申し込んだことがある。5階の2LDKのその部屋からは、太平洋が一望できるのだ。海といっても4キロも先だけど、それでも見えるのがうれしかった。そのことをお店の常連のシロさんに話すと、

「やっぱりナイチャーはばかだなー、海なんてすぐに見飽きちゃうぞー。その分、家賃高く取られてるのにー」

 確かに引っ越してからそう経たないうちに、ベランダから海をゆっくり見ることはなくなった。やることがたくさんできたし、海が見たいときはこんな風に車で行けばいいんだから。

 夫はしばらくするとバケツと熊手を持って浅瀬へと入っていく。貝を獲るようだ。ちゃんとTシャツを着ていくところはウチナンチューっぽくなってきた。この浜では地元でアサリと呼ばれる、細長い紫色の貝がよく取れる。丸一日きちんと砂抜きをする必要があるけど、バターで蒸し焼きにするとなかなかいける。30分もすると、重たそうなバケツをうれしそうに運んできては、

「ほら見て見て、今日は大漁だ、こんなに獲れたぞ」

 ここでは他にも、ハマグリと呼ばれるシジミほどの大きさの白い貝もとれる。お吸い物の出汁にするとおいしい。この貝は手で掘るのではなく、波打ち際を足の親指でさすると簡単に出てくると、地元の年配が教えてくれた。夫は、そんなことで時間を費やすのが楽しいという。

 わたしには、潮騒に乗って流れるサンバが心地いい。今日もクラーラ・ヌーネスという女性歌手を聞いている。彼女の海辺を歌った曲が好きだ。海風がページをめくろうとする、足の指先をヤドカリがくすぐる。

 しばらくぼんやりしていると、ガチャガチャと音がした。見ると、夫がクーラーボックスから缶ビールを取り出して、山盛りのお惣菜をつまみにぐびぐびやっている。しまった、今日も帰りの運転はわたしか。


 ユーバンタとは、夕日のきれいな崖(バンタ)という意味。三方を崖で囲まれていているので、周りの土地からは低くなっている。南側の崖の上にはゲートボールのコート、北側の上には大きな民家が建っている。

 そして、その民家がある方の崖には、深く掘られたトーチカ(※1)の跡がいまでもいくつか残っている。もちろん日本軍のものだ。

「米軍は無血上陸したというから、多分使われなかったんじゃないか。砲弾で破壊された跡もないし」

 歴史物の本が好きな夫が、そんなことを話してくれたことがある。

※1 コンクリートを固めて造った小型の防御用陣地

第5話 7月19日(月) イチマブイ
地元でアサリと呼ばれる紫色の貝 奥の白い小さな貝が通称ハマグリ

 離島の慶良間を占領したアメリカ軍は、その後、ここ読谷の海岸に上陸。沖縄本島を南北に分断するために、太平洋側の石川まで進んだ。それでわたしが夢で見た石川収容所ができたのだ。とはいっても、そのことは、この前読んだ本でようやく知ったばかり。アベニューに来てから、戦争の話をたびたび耳にするようになり、わたしなりに色々調べるようにもなった。

「大学時代は沖縄のこと何にも知らなかったよね」

 再び砂浜に寝転んだ夫に話かける。

「ダイビングしてると海底に日本兵の亡霊が出るから気を付けろ、なんて、バカなこと言って笑ってたなー」

 だけど、と夫は言う。

「まあ、人は変わるよ。いま聴いているクラーラ・ヌーネスだって、ブラジルに行くまで俺たち全く知らなかったじゃん。でも、NHKの歌番組に出てたらしいよ。俺たちが高校時代かなー。」

「お互い、サンバが好きになったの、大学卒業してからだもんね」

 ただし、ブラジルの歌姫と称されたクラーラ・ヌーネスは、わたしたちが大学に入るか入らないかの頃に、40歳の若さで他界している。

 そうやってしばらく海を見ながら話しをしていると、ゲートボールの崖の上から呼ぶ声がした。

「うーりゃー、お前たち来てたのかー」

 ダイビング部のふたつ上の先輩の案野明則さんだ。先輩は大学を中退して沖縄に住みつき、このそばに自宅兼ダイビングサービスを構えている。この浜を知ったのも、もちろん先輩のおかげ。体格がよく年中日焼けしている顔に、銀縁の眼鏡。話す時には白い前歯を必ずのぞかせる。うーりゃーというのが学生時代からの口癖だ。

「これ、ミーコの家でたくさんとれたから持ってけ」

 浜辺に降りて来て、スーパーのビニール袋に入ったゴーヤーをくれた。大ぶりのものが5本。嘉手納の奥さんの実家の庭には、沖縄の古い家らしく広い自家製菜園があるそうだ。

「こんど、イベントに出るって?  海が荒れてたら写真撮りに行ってやるよ」

 プロの水中カメラマンもしている先輩は、わたしたちがイベントに出るときに写真を撮りに来てくれることがある。ただ水中カメラマンといっても、きれいな魚の写真ばかりを撮ってるわけではなく、海中の電話ケーブルの状態とか、人工漁礁の様子とかの撮影も多く、倉敷さんの仕事を手伝うこともあるそうだ。

 それと、高校ではコーラス部に入ってたということで、サンバチームのボーカルをお願いしたいこともあった。ただし土日は海に行くことが多いので過去に2、3回といったところだけど。

 案野さんは用事があると、すぐにどこかへと行ってしまった。去り際、「それとな、もうちょっと車寄せとけよ」と言われた。この浜の周りには駐車場がないので、毎回、先輩の家の前に停めさせてもらっている。それで、わたしたちがこの浜に来ていることに気が付いたんだろうけど。

 少し陽が傾きかけると、その陽に照らされて沖合を飛ぶ旅客機が目立つようになってきた。次々と飛んでくる機体は海面すれすれだ。高度300メートルと本に書いてあったかな。「この辺りは嘉手納基地の離着陸のコースがあるために、旅客機はそのコースの下を飛ばなくてはならい」なんて文章を思い出す。嘉手納ラプコンという空域があるそうだ。

 そうだなー、この4年間で沖縄のいろいろなことを知ったし、実際に見てきた。だけど、だからといって反戦運動など考えたことはない。でも、昨日の練習のように、いろんな国の人が一緒になって笑ったら楽しいってことだけはわかる。そして、わたしにはその程度のことしかできない。でも、それでいいと思う。

「そろそろ帰ろー」

 夫が椅子をたたみ、軽くなったクーラーボックスを携えて歩いていく。わたしもラジカセを持って後を追おうとすると、ふと、「てぃん」という音が聞こえてきた。三線の音だ。もう一度「てぃん」。トーチカのある崖の方からだ。確かその辺りには赤犬子(あかいんこ)の墓があったはず。三線の神様とされる伝説上の人物の石碑だ。

 よく見ると、そのかたわらに、まさに三線を抱えた人が立っていた。背は高く、ふくよかな体つきだ。そしてまた「てぃん、とぅ、てん」とつま弾く。

(リンスケさんに似ているけど。ちゃんと両足で立ってる。でも、あれはやっぱりリンスケさんだ)

 その人影は、レコードのジャケット写真で何度も見たことのある、紅型(びんがた)の着物に紫の頭巾をかぶったリンスケさんだった。夫に呼びかけようとして、目をそらし、でも、もう一度確かめようと墓に目を向けると、そこにはもう誰もいなかった。

第5話 7月19日(月) イチマブイ
照屋林助

 お店のカウンター正面の18インチのテレビには、今日もカーニバルの映像を流している。ブラジル滞在中の5年間はもちろん、沖縄に来てからもブラジルに旅行するたび、現地のテレビ中継は欠かさずビデオに録画しているのだ。だからテレビの横には、120分テープが山のように積み重ねられている。

 いま画面に映っているのは2003年のサンパウロのカーニバル。モシダージ・アレーグレが「水」をテーマにパレードして、15年ぶりの準優勝に輝いた年の映像。

 水が人の営みの本質だということを、黒人宗教の神様を通して歌にしている。だから参加者の衣装には、宝貝だったり獣の牙だったりと、アフロ系の装飾が目立つ。褐色の肌に直接白の塗料でボディペインティングしたダンサーも見られる。山車の上に大きく作られた海の神様や川の神様の像は、芯の強そうな黒人女性を象っている。

「わたしも黒人宗教って、よくわからないんですけど、カンドンブレーって聞いたことありますか?」

「あーなんか聞いたことがありますよ、あれでしょ、『黒いオルフェ』でしょ」

 ユーバンタの浜から帰ってきて、のんびり店を開けていると、今日も一番に倉敷さんが来てくれた。アロハシャツを着て、いつもの様にカウンター席に座っている。

「そうそう、あの映画の中に出てくる儀式がそうです。アメリカではブードゥー教になるんですかね。西アフリカから奴隷とともに伝わったそうですよ」

「なんか不思議な映画だったよねー。えっ、だから理屈ではわからない、不思議なことはあるって言うわけ、ははは」

「笑わないで聞いてくださいよー、ほんとに見たんです。リンスケさんでした。今度は夢じゃなかったんです」

「べつに嘘だなんて言ってませんよ、よかったじゃないですか、また会えて、ねー」

 倉敷さんは笑うだけで、もちろん信じてはいない様子。そんな話をしていると、シロさんが、そしてこの時間には珍しく、同じ通りの照屋楽器で働いている照屋林栄さんが来てくれた。

「ということで、何はともあれ、オ・ペイシがアベニューで商売できるのも、リンスケさんのおかげなんで、われわれ常連も感謝ですよねー」

 いままでの話のいきさつを、わたしに代わって倉橋さんがふたりに話し終わると、

「いや、リンスケさんのせいで、こんな寂れた商店街に店を出すはめとなったともいえる」

 横に座るシロさんからは、皮肉とも冗談ともつかないひと言。すると、ちょっと真顔になって倉敷さんが、

「まさか、リンスケさん、お亡くなりになりになったってわけじゃないですよねー」

「いやいや、大丈夫です、でも叔父は糖尿が悪化して足切ってから、昔ほど元気はないですけどねー」

 ふたりに挟まれながらカウンター席に座る林栄さんは、リンスケさんの弟さんの二男で、甥っ子に当たる。30過ぎでリンスケさんに似て、体格がよく少しふくよか。丸顔に眼鏡をかけているところもそっくりだ。

 するとシロさんが、うちはもともと親父が葬儀用の花を売ってたから、その手の話はいろいろ聞いていると前置きしてから、

「それ、ほんとの話だったらイチマブイじゃないかな、アキさん、マブイってわかるでしょ」

「沖縄の人がよく落とすやつでしょー、くしゃみしてとかさー」

 わたしに代わって夫がそう答えながら、厨房から出てきた。手には今日もらったゴーヤーをリングイッサと呼ばれるブラジル・ソーセージと炒めた小皿が。常連の3人にそれぞれ振る舞うらしい。

「よくは落とさないよー、ユージさん、バカにしてるんじゃないのー沖縄を。マブイは魂だから、イチマブイは生霊。おれも高校生の時見てさー。昔、この辺のちょっと金持ってる家の子は、熊本の全寮制の高校に行ってたんだけど、ある日、夜中に目を覚ましたらおれの部屋の隅に立ってたんだ」

「いったい誰なんですか?」と、わたし。ちょっと気味が悪い。

「同じクラスメートなんだけど、おれ、いじめてたのかなー。それでうらみつらみを晴らそうと出たんじゃないかな」

「となると、アキさんはリンスケさんに、なんか悪いことしたんじゃないの」と倉敷さん。さっきは全然信じてなかったくせに。

「してるわけないじゃないですか、直接お会いしたのは1回だけなのに」

「じゃあ、アキさんって、もしかして霊感強い方?」

「いや、そんなこと言われたこともなければ、考えたこともないですよ」

 だけど、前にリサちゃんから聞いたことがある。アベニューの北の端に建つコリンザという商業施設にはどうしても入れないんだとか。その場所は昔、大半が墓地だったそうで、

「あそこ、入ろうとするとなんか見えちゃうんで、あたしだめなんです」。

 中部工業高校裏の比謝川周辺もだめらしい。そこには昔、火葬場があったからだと言ってた。リサちゃんは霊感が強いんだろう。ということは霊感はあるってことかな。

 すると、林栄さんがにやにやしながら、

「アキさん、シロさんの頭が薄くなっちゃたの、どうしてかわります」

「変な質問、正解したって外したって、シロさんに怒られるだけじゃないですか」

「正解は、猫の交尾を見たから。沖縄では、猫の交尾見るとはげるんですよ、ははは」

「バカをいっちゃいけないよ、林栄。犬のは見たことあるけど猫のなんて見たことないよ。それにいま、迷信の話してるじゃないだろー、イチマブイの話だって」

 薄くなった前髪を照れくさそうにかき上げるシロさんに、わたしはさっきの話の続きを聞いてみた。

「で、その寮の生霊の話、イチマブイでしたっけ、その後どうなったんですか」

「まあ、そんなことがあったから、おれも反省して、なんやかんやで仲良くなったかなー」

「では、イチマブイで決定ということでいいですか、みなさん」

 倉敷さんが話のまとめに入ろうとする。一同、笑いながらグラスに手を添える。

「リンスケさんからお店頑張れってことでいいじゃないですか。シャッター街を救いたまえ、オ・ペイシに乾杯!」

「カンパーイ!」

「アキさん、とにかく楽しい方に考えたらいいよ、うちの叔父、そういう人ですから」

 林栄さんがそう付け加えてくれた。


 それからは夫もビール片手に話に加わって、倉敷さんがホンダのビートを中古で買った話、長嶋ジャパンは中畑監督代行でいいかなど、しばらくはたわいのない世間話が続いたのちに、

「それより、今日も自殺があったらしいですよ、330号線の沖銀の斜め前あたりで」

 たまたま通りかかった林栄さんは、救急車が来ているところを見たらしい。

「どんな人だったんですか?」

「近くの専門学校の学生らしいって。就職難でも苦に自殺したんじゃないかって」

 これでわたしがこの街に来てから、知っているだけで4回目。毎年1回の割合でこの近所で自殺があるって多すぎやしないだろうか。

「そうそう、アキさん、知ってる? 防災無線って放送」と、今度はシロさん。

 わたしが「5時になったらよい子は帰りましょうという放送でしょ」と、答えると、

「それじゃなくて、『本日午後3時、なになにさんが行方不明となりましたが、心当たりの方お知らせください』ってやつ。アレ全部じゃないけど、ほとんどが自殺なんだよ」

「あんなの、しょっちゅうじゃないですか」

「そう、だから、しょっちゅう自殺が起きてるってこと。沖縄は他県より多いからねー」

 シロさんは市役所の健康福祉部にいるので、いろいろと詳しい。

「なんか、もっと違う話しましょー、今日はなんか息苦しい話ばっかり」

「アキさん、沖縄に住んでればもっとわかってくるはずよー。でもその息苦しさ、オレたちは昔から感じてることさー、ははは。この街、いろんな人のマブイさまよってるからねー」

「もー、怖いこといわないで下さいよー」

 シロさんは笑いながら携帯を操作しだした。そして指の動きが止まったかと思えば、真顔になって、

「ありゃー、嫁さんからだ。月曜日から飲むなんて信じられないってメールが来たよー」

「ほーら、人をからかうから、ばちが当たったんですよ」

 シロさんが一番怖いのは、やっぱり奥さんのようだ。まあ、よくある笑い話だけどね。




第6話に続く 


第5話 7月19日(月) イチマブイ
ブラジルの歌姫と呼ばれたクラーラ・ヌーネス




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです