小説 沖縄サンバカーニバル2004

20年前の沖縄・コザを舞台に、現在も続く沖縄サンバカーニバル誕生秘話

第3話 7月17日(土) FMコザ①

 

 

第3話 7月17日(土) FMコザ①
パルミラ通りにあった頃のFMコザ

「みんな元気かーい! さあ、『ヒカリのピカッと音楽』が始まるぜぃ!」

 地元で活動する男性ギタリスト、桃原ヒカリさんがDJを務めるのは、FMコザで毎週土曜日、夕方6時から放送されている音楽トーク番組。FMコザは今年の4月にFMチャンプラーから名前が変わったミニFM局だ。

「今夜のゲストは中央パークアベニューのブラジル料理店、サンバ居酒屋オ・ペイシのアキさんでーす!」

「こんばんはー、みなさん。ボア・ノイチ・ジェーンチ!」

 そして、わたしはこの番組に月1回のペースで呼んでもらえることになった。ラテン音楽をかけるコーナーで、ブラジルの話をして欲しいとのことで。わたしとしても、ようやく今年から開催しようと準備している沖縄サンバカーニバルの告知ができるので、まさに渡りに船だ。放送スタジオはお店からすぐのパルミラ通りにある。だから、リサちゃんにはちょっと悪いけど、お店を30分だけ抜けさせてもらってる。

「さて、ドリームショップ1号店としてオープンして、かれこれ4年になるけど、どう、沖縄にはもう慣れたー」

「そうですねー、最近ようやく『はっさびよー』と『あぎじゃびよー』との違いがわかるようになりました。7歳の息子から教えてもらったんですけどね」

「はっはっは、じゃあ息子さんはもうウチナンチューだねー」

 ヒカリさんはわたしと同じく30代前半。本職は同じアベニューで音楽スタジオを経営している。ちょっとずんぐりとした体形で、長い黒髪を後ろでまとめている。耳と鼻にはピアスがじゃらじゃら、二の腕にはタトゥーがびっしり。ただし、見た目にかなわずギター片手にチャリティー活動もしているそうだ。ちなみに嘉手納基地前のこの街には、タトゥーのお店が何件かある。「琉球彫よし」が人気だと言ってたかな。

「ほかにはどう、それこそ『はっさびよー』って驚いたこととかない?」

「そういえば、その息子が今年、小学校に入学したんですけど、入学式で国家斉唱、ご起立下さいって言われるでしょ」

「えっ、もしかして立っちゃったの?」

「だって、知らなかったですよ。内地では普通に立ちますし、君が代だってきちんと歌いますし」

「はっはっは、県外の人にはありがち、ありがち。でもその場合は『あぎじゃびよー』かなー、あれどっちだろー」

 確かに、「おかしいな?」というより「やっちゃたー!」て感じではあった。

「ほかにもっとない、なんかナイチャーあるあるみたいになってきたけど」

「そーですねー、その反対に、基地の友達に映画見に連れて行ってもらったことがあったんですけどねー」

「基地の中の映画館、キャンプ・フォスターのかな?」

「はい、それで映画が始まる前に星条旗が画面に映って、アメリカの国歌がかかって…」

「今度は立たなかった」

「だって、映画館じゃないですか。ワールドカップの応援に行ったわけでもないのにー」

「はっはっは、ちょっとちょっとー、話面白く作ってなーいー?」

 もちろん、慌てて立ちはしたけどね、はは。

「さてさて、今日はサンバのことを話してもらおうねー。えっとブラジルには5年間?」

「はい、サンパウロにいました。最初は研修ビザで入って、住んで3年目に息子が生まれたんで、永住権が取れたんです」

「で、現地のサンバチームに参加してたって聞いたけど」

「ええ、シース・ノービというチームで、わたしはパシスタといっていわゆるサンバ・ダンサーを、夫はバテリアという打楽器のグループにいました」

「で、ダンスコンテストに出て入賞したとか」

「はい、頑張ってなんとか3位に入賞しまして、それでカーニバルではバテリアの前で踊らせてもらえたんですよー」

「いや、すごいすごい、それって名誉なことなんだってね。言葉も壁もあったんじゃない?」

「外人枠で選ばれたところもあったでしょうから、言葉はかえって下手な方がよかったかもしれませんねー」

 まあ、言葉の壁は、沖縄の方言の方が厚いんじゃないかなー。文法の教科書がないからねー。

第3話 7月17日(土) FMコザ①
2000年3月8日付けカルナバル紙のシース・ノービ優勝の記事「日本女性バテリアの前で活躍」

「ところで、今日、是非とも言いたいことがあるってなに?」

「あのですねー、サンバってなんか裸踊りみたいに思われているじゃないですか。よく、サンバチームに入りませんかって誘うと、あんな格好じゃ恥ずかしくて踊れないって逃げられたりして。でも、それってほんと違うんです」

「違うって?」

「それはですねー」

 わたしが言いたいのは、まずサンバというと多くの人がダンスだと思っていること。まあ、まったくの間違いではないけど。ただし、アフリカ音楽がアメリカに伝わってロックが生まれたように、ブラジルに伝わって生まれたのがサンバ。だからロックとサンバはいわば腹違いの兄弟なのだ。ロックがダンスだけではないように、サンバもダンスだけではない。

「前にお店でお客さんから、奥さんはサンバチームで頑張ってるみたいだけど、旦那さんにはやることあるのかって聞かれて。夫は作詞作曲もするし、楽器も演奏しますって答えたら、それってサンバなのかってびっくりされて」

「あー、なんとなくわかる。テレビなんかでリオのカーニバルが紹介されると、セクシーな女性ダンサーばっかり映し出されて、これぞサンバだって語られちゃうからねー」

「そうなんですよー。なんでもかんでも陽気なブラジル人って紹介されて。でも、カーニバルのパレードって、参加チームが優勝目指して頑張る真剣勝負なんです。陽気なだけじゃダメなんです。うちの夫が言うにはカーニバルって、あることにすっごく似てて燃えるっていうんです」

「あること? その燃えるあることって、何?」

「高校の体育祭なんですって」

「体育祭かー。えー、なんか急に身近な話」

「クラスごとに分かれて、1年かけてエール作って、アーチ作って、いっぱい練習して、優勝を争って」

「あーそれかー。俺なんか3年の時、泣いた覚えあるなー」

 うちの夫は応援団長をやってて、しかもエールの作詞作曲もしたというから、その話をするともう止まらなくなる。

「さてと、そろそろ時間なんで最後に、気になる沖縄サンバカーニバルの開催、どうなったか教えてちょうだい!」

「はい、11月の沖縄国際カーニバルの二日目に、沖縄サンバカーニバルという県内初めてのサンバのイベントを開催する予定です」

「去年までは民俗芸能大パレードだっけ、あれに一般参加してたそうだけど、あれじゃダメなの?」

「大パレードだと、ほかのチームと音源が混ざっちゃってダメなんです」

 特にエイサーと鉢合わすとぐちゃぐちゃになってしまうのだ。エイサー同士が競い合うことはガーエーと言って醍醐味なんだそうけど、サンバとエイサーじゃガーエーにもならないしね。

「それで、わたしたち一団体で空港通り全面が使えないかと実行委員会にお願いしてまして。でも、他のイベントとの時間調整が難しいらしく、まだ完全に開催決定ではなんです」

「そうかー、それで決定したらどんなイベントにしたいの?  そうそう、テーマがあるんだってねー、サンバカーニバルには」

「テーマはいま話し合っている最中なんですけど、沖縄だからこそのテーマ、もっと言えばコザだからこそのテーマにしたいと思ってます」

「そうだねー、コザで生まれたサンバ、どんなかなー、楽しみだねー。では、最後にメッセージを。この放送、ミニFMだけど、一応、読谷や首里まで届いてるからねー」

「はい、毎週日曜日午後1時から、お店の前の遊歩道で練習してますので、ダンスや歌、打楽器に興味がある人、是非とも遊びに来てください!」

「それではアキさんから今夜のおすすめのサンバ、曲の紹介お願いします」

「わたしがバテリアの前で踊らせてもらった、2000年のサンパウロのカーニバルの優勝曲です。シース・ノービで『ケン・エ・ボセ・カフェ?』。コーヒーがいかにブラジルを豊かにしたかを歌った、明るい曲です」

「ラジオ聞いてるみんな、明日、日曜日はアべニューに集合だぜぃ!」




 第4話に続く




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです