1970年頃の空港通り
10月に入りカーニバルまでいよいよ1か月。
夫は「そろそろやらなくちゃなー」と、ここんところ毎日のように近所のベスト電器に行っては、冷蔵庫やら洗濯機やらが入っていた段ボールをもらってきている。
段ボールは、仮装にはもちろん、トラックの車体を隠すための装飾にも使うので、いくらあっても足りないんだそうだ。
「タダだから、いっぱい集めてくるよ」と出掛けて行くけど、この木曜日に中日ドラゴンズが、5年ぶりにリーグ優勝を果たしたもんだから、ずいぶんと鼻歌交じりだ。
わたしはというとカーニバルの資金集めのために、カンパのお願いで商店街を回り始めた。やはり市からの予算20万円などは、山車を作るだけで消えてしまう。アベニューは幸江さんの方で取りまとめてくれているので、わたしはもっぱら空港通りを回っている。カンパは一口1000円。はじめは500円にしようかとも思ったけど、この街の商店主は結構気前がいい。
「サンバやるんだってー、いや上等さねー。時間と場所教えてねー。応援に行くから頑張ってくださいよー」
サンバカーニバル開催の話はすでに広まっているようで、みなさん、楽しみにしてくれていて大変助かる。ただ、カフェや質屋、インド人が経営するテーラーなどは昼間も開いているで、あいさつ回りは楽なんだけど、バーやライブハウスなどは夕方にならないと従業員がいない。
だから今日は練習会が終わってから、そういった夜のお店を中心に回ることにした。他のメンバーには頼めないことなので、みんなにはお店の2階に上がって、夫の作業の手伝いをしてもらっている。
思えば、空港通りを夕方に歩くのは久しぶりだった。いつもならお店の開店の時間だからね。そして初めてこの通りの夕景を目にしたときのことを思い出した。なにか絵本の1ページに入り込んだような気がしたものだった。
それは、ただ四角く作っただけのコンクリートの建物が、揃えたように2階建てなこと。そして電信柱が1本もないこと。
だからすっぽりと抜けた空が暮れかかると、古いネオン管に照らされたひとつひとつの建物が、赤や青の原色のまま、きれいに夜空に浮かび上がって見えるのだ。まるで光る積み木が並んでいるかのように。
やがて夜が深まるとともに、英語の会話が溢れてくる。今日は日曜日なのでアメリカ人の人出は多い。リストを見ながら当たりをつけたお店を何件か回る。たいていのアメリカ人店長はグッドラックと言って10ドル札を渡してくれる。
そうやって空港通りを回っているときも、わたしは頭の片隅でずっとリサちゃんのことを考えていた。この前、ナーリーさんから言われたことがずっと引っ掛かっている。
「M・L・G(マリーン・ロジスティック・グループ)は後方支援部隊で、武器や食料の調達や土木工事を受け持つんです。もちろん戦闘に巻き込まれることもあるかもしれませんけど、前線で命令を受けて戦う部隊は別にいるんです。すべてを知ってるわけじゃないですけど、多分、トーニオは、イラクに行くにしても、上官からは何も言われてはいませんよ」
ロジスティックとは日本語では兵站(へいたん)と言うんだそうだ。医療従事者もここに所属するらしい。だから上官から恋人と連絡を取るなと言われたというのは、まず作り話だろう。
「どうしよう、リサちゃんそのこと知ってるのかなー、教えてあげた方がいいよねー」
わたしがそう尋ねると、ナーリーさんは、
「そんな男なら別れた方がいいですよ、だけど、お金とか騙されてなきゃいいけど。リサちゃん、人がいいから」
やがて最後にしようと決めた地下1階のライブハウスをあとに、階段を上り通りに出たときだった。道の反対側のお店から、ゆっくりと出てくる女性が見えた。大きなサングラスをしているので顔は見えないけど、間違いない、リサちゃんだ。出てきた店の看板には大きくPAWN(ポォーン)と書かれている。店の外に立って彼女を待っていたのはトーニオだった。
「リサちゃん!」
大声で呼ぼうかなと思う前に、わたしは赤信号の横断歩道を渡っていた。タクシーのクラクションが「プァンプァンー」と鳴った。
「リサちゃん、何やってるの、こんなところで」
「はは、アキさんこそ何やってるんですか。いま轢かれそうでしたよ」
「お金が必要なの」
「いえ、大丈夫です」と、リサちゃんは目をそらす。
「いまなんか売ったんじゃないの」
「ほんと大丈夫です。来週からは練習にも出ます。今日はすみません、もう行きます」
そういってリサちゃんはトーニオの手を取って、足早に歩き出した。
「リサちゃん、ちょっと、リサちゃん」
道にたむろするアメリカ人グループをかき分けながら、手を伸ばし彼女の腕を掴む。振り向く彼女のサングラスの左右には、空港通りの七色のネオンがくっきりと写し出されていた。
「アキさん、アキさんには関係ないです。アキさんたち、なんか調べてるみたいじゃないですか。やめてください。わたしはこの街で生きてきたから。生まれたときからずっと」
今週末も台風が近づいているらしい。時々すっと速い風が吹く。
「カモン、リサ!」
少し先を行くトーニオが彼女を促す。
「どこにいくの」
「関係ないです」
彼女は足早に彼の横に並ぶと、肩を掴まれながらどんどん歩いていく。追うべきかかどうか迷っているわたしは、自然と距離を離されていく。リカーショップの前の信号が赤だったので、追いつけるかと思い足を速めたけど、ふたりは無視してそのまま渡ってしまった。国体道路をまたぐ高架を進めばゲート・トゥー、つまり嘉手納基地第2ゲートだ。
(わたしはそこには入れない)
吹っ切れたように赤信号の前で立ちすくむ。
彼女がフェンスの中へ、わたしにとってはフェンスの外へ行ってしまうのをぼんやりと目で追った。
空港通りのライブハウスの天井に貼られた1ドル札
店に戻ると幸江さんが、1番テーブルの外人ふたり組みの注文をとってくれていた。客席の半分ほどが埋まっている。
「アキさん、お帰りなさい、お疲れ様、どうだった」
「今日は5軒からもらえました、2千円と30ドル、でも、すみません、手伝ってもらっちゃって」
「いいよー、ユージさんとは生ビールとおつまみで手を打ってるから、それにあたしもなんかお手伝いさせてもらいたいのよ」
「ひどいんですよ、僕の注文は全然とってくれないんだから」
カウンターには日曜日にしては珍しく倉敷さんが座っている。夫との山車の打ち合わせにでも来たのだろう。
「なんてね、冗談ですよ、幸江さんには、なんとお酌までしていただきました」
「そりゃそうさー、基地建設やめてもらわなくっちゃいけないからねー」
ふー、幸江さんはいつも元気そうでいい。いまのわたしにはその元気、少し分けてもらいたいよー。
「僕も考えたんですけど、実はですね、調査結果を遅らせば遅らせるほど、うちの会社の利益が膨らむんです。例えば反対派がカヤック出してうちの調査船を現場に入れなくしても、次年度の予算は入りますからねー」
「そうかー、そうすれば逆に基地反対ができるんだ。じゃあ、私とあなたとは利益が一緒なんだー」
「反対まではできませんけど、遅らせることなら多少はできますよ、ははは」
「それよりアキさん、なんかあったの。あんた全然笑わないね、気のせいかな」
幸江さんにはわかるのかな、ごめんなさい、いまはまだうまく言えない、あとできちんと話します。
やがて深夜零時を回る。倉敷さんと幸江さんは、そのあと意気投合してずい分飲んでいたけど、11時には帰り、もうお客さんは誰もいない。だけど、なんとなく店を閉められずにいた。BGMを止めたからだろう、外に吹く風の音がどんどん強く聞こえてきた。ニュースでは台風22号が大東島に接近していると言っていた。
その風がシュンと少し湿った音と共に店に入ってきた。入り口のドアが開けられたのだ。そこには、予感していた通りリサちゃんが立っていた。思わず、ほっとした。
「遅かったじゃないの」
わたしはわざと、つっけんどんに話しかけた。リサちゃんは迷わず、わたしのいるカウンター席に座る。
「今日はあたし、ふん、言わしてもらいます」
「どうぞ、どうぞ」
「アキさんのこと、ホント嫌いです」
「そう、いいよ、わたしはリサちゃんのこと好きだから」
「そういうところが嫌なんです。ふん、わからないでしょうね、もー、ナイチャー、ナイチャー、ナイチャー、うー、ナイチャー、ナイチャー、うー、ナイチャー…」
リサちゃんは、きつく目を閉じてそう叫び続けた。ただ、わたしから見れば、駄々っ子のようにしか思えなかった。リサちゃんの目じりに涙がにじんだのが見えた。そんな彼女の横顔が愛おしく思えた。
「気が済んだ、ねえ」
「アキさん、さっきは、ほんと、ほんとごめんです」
よかった。
「アキさんって東京の大学出でしょ、上智でしたっけ。誰かから聞きました。頭がよくて、3か国語話せて、ユージさんさんもいて、勇魚もいて、自分のお店持ってて」
「うん」
「なんかアキさんといると、見下されているような気がして。いつも怒られてるし、でも言っていること間違ってないし」
「間違うことはあるよ」
「だから、そういうところが嫌いです。それじゃー、アキさん、トーニオ、クリスマスには沖縄に帰ってくるって。それ信じちゃダメですか」
「リサちゃん、ちょっと聞いてくれる」
「大丈夫、あたしもそんなにバカじゃない!」
いらだちを蒸し返したリサちゃんが両手でカウンターをパンと叩く。すると突然、店内の照明がすべて消えた。
「あっ、停電、まただ」厨房から夫の声がする。製氷機の振動がガス欠の車のように止まる。わたしたちふたりの会話も、なんだかばつが悪くなった。
「アーケードの街灯は、まだついてますよ」と、リサちゃん。
「うん、この店の建物、国道から電線引いてるから、こっちだけ消えちゃうことよくあるの。国道の方が風通しがいいからね」
夫が厨房から出てきて、火のついたろうそくをカウンターに持って来てくれた。
「もうお店おしまいだから、リサちゃんガラナ飲む、それともビール。今日はわたしも飲んじゃおうかな」
リサちゃんの横顔が炎に照らしだされる。目じりの涙がオレンジ色にちいさく光る。
「アキさん、ライカムわかります、国道の交差点。あそこほんとは英語でRYCOM(ライカム)なのに、道路標識はローマ字でRAIKAMU(ライカム)になってるの」
「わかるよ。RYUKYU COMAND( 琉 球 米 軍 司 令 部 )があったから、その略称なんだよね」
「あたし、英語名でLISA(リサ)ってつけてもらったんだけど、日本ではRで始まるRISA(リサ)。ね、なんか中途半端でしょ」
「そうかー、そうなるんだね」
「アキさん、あたしたち、ヘリが落ちたから平和の歌を歌うんでしょ。でも、戦争とか平和とかいわれても、あたしは子供のころからどっちかわかんないところで生きてきた」
「うん」
「基地がなかったら、あたしもナーナーも生まれなかったでしょ。だから思うの、あたしは生まれていけなかったの」
「なわけないでしょ」
「あたしは自分が好き。いまではこの褐色の肌も、ブラウンの瞳も。癖毛は嫌だったけど、足は人より随分長いと思う」
「スタイルいいよね、リサちゃんは」
「スタイルだけじゃないですよ、性格もいいです」
「はいはい」
「ぶん!」と音がして、ドアの隙間からふわっと風が吹き込む。
「あ、しまいますれてた」
夫があわてて歩道に出るが、立て看板は遠くまで飛ばされてしまっているようだ。追いかけるように走って行く。
「戦争の反対って平和なの」
「うん」
「平和の反対って戦争なの」
「うん、そうよね、ちゃんと考えたことない」
「あたしにとっては両方おんなじ意味。アキさんだって、平和だかなんだかいいながら、基地の前で商売してるじゃないですか。わたし、平和とか戦争とかでなくて、別んところで生きていく」
「うん、うん、それでいいと思う」
「戦争があるから、トーニオと会えたし、戦争があるから、あの人はイラクに行ってしまうし」
てぃん
店のどこかで三線がなった気がした。こんな時、またリンスケさんなの。でも、辺りを見回してもリサちゃんしかいない。するといきなりドアが開いて、幸江さんが店に飛び込んできた。さっきまでの酔っぱらった顔ではない。
「大変、さっき会長から電話があって、健司君が、健司君が…」
「どうしたんですか」
「車ぶつけて…、即死だって」
沖縄サンバカーニバルまで、あと35日。
第20話に続く
ライカム交差点の標識
※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです