小説 沖縄サンバカーニバル2004

20年前の沖縄・コザを舞台に、現在も続く沖縄サンバカーニバル誕生秘話

第20話 10月4日(月) 通夜

 台風22号は沖縄本島に近づくことなく大東島の東を北上したため、月曜の朝には風はすっかり収まった。小学校も休校にはならなかったので、息子は元気よく登校していった。ただし、気の重い朝だった。

 この日は夕方の6時にリサちゃんと待ち合わせをして、健司さんのお通夜に出かけることにした。夫は葬儀の方に出席するという。

 健司さんの自宅は、もちろん比屋根会長の自宅でもあるけれど、アベニューのちょうど真ん中あたりの4階建てのビルで、1階は洋品店、2階は健司さんのダンススタジオ、そして3階から上が住居になっている。お通夜は4階で行われていた。

 外階段を上がっていくと、ドアは開けっ放しになっていて、幸江さんがお茶を運んでいるのが見えた。彼女の喪服姿を目にすると、朝からの緊張がさらに高まった。

「ふたりとも来てくれてありがとう、どうぞ上がって」

 幸江さんは通り会の事務員なので、親族に交じってお手伝いをしている。

 中に通されると、和室がないのか洋間の床の上にご遺体が安置されていた。顔に布はかぶせらてなく、額には包帯が巻かれている。その横に座った母親が、包帯から飛び出した健司さんの髪の毛を撫でていた、それも繰り返し、繰り返し。交通事故と聞いていたけど健司さんはきれいな顔をしていた。

 祭壇はなかったので、とりあえず正座して手を合わせ「ご冥福を」と心の中で唱える。そしてリサちゃんはと目を向けると、同じく手を合わせていた。だけど、そのままじっと動かない。わたしがひと呼吸もふた呼吸もした後、ようやく彼女はゆっくりと目を開いた。

 比屋根会長にあいさつしようと壁際まで中腰で進むと、その横にはめぐみさんがうなだれていた。セミロングの髪で顔は見えない。会長が肩に手を当ててあげていた。わたしたちは小さな声であいさつをする。会長は「忙しいのにありがとう」と言ってくださった。いつもはいかついはずの会長が、ひと回りもふた回りも縮んでしまったかのようだった。

 親しい親戚だろうか、ソファーに座って雑談している弔問客もいたけど、わたしたちにはとうてい居場所はなかったので、そそくさとその場を辞した。お店に戻る道すがら、わたしは前に見た石川収容所の夢を思い出していた。あの時も、子供を亡くしたお母さんが髪を撫でていた。でも、さっき目にした光景は夢ではない。


 それから1時間ほどしたのち、幸江さんが喪服姿のままお店にやってきた。ドアの前で塩で体を清めたのち、カウンター席に座る。

「ふー、あとは親族だけでやるからって帰されたけど、やっぱり疲れたよー。今朝はヌジファからお手伝いしてるから」

 交通事故だったので、その事故現場から魂を自宅まで連れて帰る儀式を、朝からとり行ったそうだ。

「お疲れ様です。なんかわたし健司さんのお母さん見てたら、いたたまれなくなりました」

「あたしもだよー。でも今日はずっと忙しかったから、泣いてる暇はなかったけどねー」

「ただ、会長とめぐみさんが仲直りしていたのが救いでした」

「うん、うん」

「で、そのー、健司さんに何があったんですか」

「うーん、聞いた話では夜中、彼女と電話していて喧嘩になって、健司君、彼女の家まで行こうとしたみたい、北中城(きたなか)の。その時、事故起こしたって。泡瀬のゴルフ場の下、走っている道あるでしょ、あの道のカーブで」

 すると「あの道、ひとつも信号ないですからね」と、夫も話を聞きに厨房から出てきた。

「だけど、このこと、あまり話さない方がいいんだろうけど、そのね、ブレーキ痕がなかったんだよ、あたし事故現場に行って見て来たから。だから」

「じゃあ、そのー、自殺ってことですか」

 夫はそう口にしたものの、ばつの悪そうな顔をした。

「自殺かどうかはわからないらしいの、遺書はなかったっていうし、昨晩、風も強かったでしょ」

「自殺じゃなきゃいいですけど」と、わたし。そう言ったものの、じゃあなんだったらよかったのかと自問し、気が滅入る。

「健司君、会長と彼女との板挟みになって、いろいろと悩んでたみたいだったからねー。ここんところ声を荒げること多かったっていうし。ところでどうしたの、この子」

 幸江さんの横にはリサちゃんが座っている、というか彼女も喪服姿のままで突っ伏している。お通夜に行った後、8時まではうちのお店にいさせてと来たんだけど、座ったとたん、すぐにこんな風になってしまった。

「リサちゃんも母親だからねー、みんなショックだよ」

「彼女、色々と悩みがあるみたいだから」

 すると、わたしが意味深なことを言ったのに反応したのか、リサちゃんは急にすくっと起き上がった。

「アキさん、何度も言いますけど、ふん、あたしそんなにバカじゃないです。多少騙されたって全然平気ですよ。でも、今日わかりました。死で言葉遊びしてはダメだってことを。死んだ人に、死なれた人に失礼だって」

 すると「大丈夫なの、リサちゃん」という、わたしの問いかけには答えずに、

「それでは、幸江さん、アキさん、あたし仕事に行ってきます」

 そう言って立ち上がると、リサちゃんはポーチを手にして店を出て行ってしまった。

「いったいどうしたの、リサちゃん」

 幸江さんが不思議そうな顔をするけど、わたしにもなんだかわからない。だけど、悪い方向ではないことは、確かだと思った。


 月曜日だからかお客さんが来なかったので、そのあとも、幸江さんといろいろと話すことができた。リサちゃんがいま抱えている悩みについても聞いてもらった。幸江さんからすると「まあ、この街ではよくある話じゃないの」といった感じだったけど。

 ただ、ここんところいろいろありすぎて、話をするうちに今度はわたしの体の力が抜けてきた。

「わたしこの前、ヘリが落ちたとき、誰か死んでたらトップニュースになったのに、みたいなこと言っちゃったんです。わたし、多分、人の死ってよくわかってないんです」

「はは、バカだねー、誰だってわかってないよ」

「祖父母のお葬式には出たことありますけど、両親は健在ですし、仲のいい友達も。だから人の死で泣いたことがないんですよ」

「そっかー、あたしは流産した時は、一晩中泣いたもんだよ。うん」

 思わず余計なことを言ったと、わたしはとっさに頭を下げた。

「はは、あんたが謝らなくてもいいさー」

 そうだった。幸江さんは、一度は乗り越えたんだ。だからわたしより、いつも強いんだ。

「すいません。でも、そんなんですよ、わたしなんて。だから戦争反対だとかって、偉そーに言う資格あったのかなって」

「考えすぎだって、言わないより言った方がいいに決まってるじゃない。うん、こういうときはさ、しみったれてないでさー、そうだ、みんなで太鼓叩いて、サンバ踊ってた方が健司君だって喜ぶよ」

「サンバですか、こんなときにですかー」

「しっかりしなよー、アキさん、あんた頭で考えすぎなんだよ。理屈じゃないよ。そうだ弔い合戦だよ。今度のサンバカーニバルは」

 そういえば、さっきお通夜に行ったとき、健司さんのご遺体の横にリンスケさんが座っていたような気がした。はっきり目に見えたわけではないけど、そう感じたのだ。三線をもって、何か弾こうとしていた。

 だけど、わたしは早くその場を去りたかったので、そのことを考えないようにしていた。なんでリンスケさんが、そこにいたのかを。

「なんでだろ、なんでいたんだろ」

「なにが? アキさんもどうしちゃったの」

「いえ、ごめんなさい。うん、そうですよね。確かに、確かに弔い合戦ですよね」

「そうだよー、しっかりしなって」

「わたしたちが、今度はわたしたちが、人の悲しみを喜びに変えられたらいいですよね」

「はは、アキさん、今度ってなによー。バカだねー、なに泣いてるのよー」

「泣いてなんていませんよ、ほら、笑ってるじゃないですか」

 わたしの頭の中には、さっきリサちゃんが口にした台詞が張り付いていた。そうだ、頭の中での言葉遊びはやめよう。いま感じたことを歌にしよう。 


 沖縄サンバカーニバルまで、あと33日。




 第21話に続く



第20話 10月4日(月) 通夜
2004年当時のサングリーン道路 泡瀬ゴルフ場のためボール除けのネットが続いていた




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです