小説 沖縄サンバカーニバル2004

20年前の沖縄・コザを舞台に、現在も続く沖縄サンバカーニバル誕生秘話

第15話 9月8日(水) 通り会会議

 ウンケーの夜から風力を強めた台風18号は、5日の日曜日の夕方には名護市の上空を通過。この日はもちろんサンバチームの練習会は中止にしたけど、お店の方は開けることにした。

 沖縄って台風が来ようが構わず飲みに来る客がいる。ただし、さすがにこの日は誰も来なかった上、お店が一時停電する事態にも。この辺り、ちょっと風が吹くとすぐ停電しちゃうんだよなー、ろうそくは常備品だ。

 その後のニュースで知ったけど、北海道まで勢力を弱めなかったこの台風では、全国で死者が41名も出たそうだ。そんな中、写真好きの泉井さんは金曜日の飛行機で無事帰れたようだ。

 数日経っていただいたお手紙には、勇魚とナーナーの写真が同封されていて「今度は11月にサンバカーニバルの写真撮りに来ますね」と綴ってあった。

第15話 9月8日(水) 通り会会議

 さて、いよいよ今日は通り会の店主を集めての、沖縄サンバカーニバル開催の説明会。

 アベニューの第3班といえば、先日「土着人ふぇすた」でサンバクィーンコンテストを開催したところだけど、その近くに通り会が経営する駐車場があり、敷地に事務所が建っている。会議室は2階にあり、説明会はそこで行われることになっている。

 アベニューの通り会の会員は、現在、約40店舗ほど。幸江さんの方で案内状を全店舗に配ってもらったけど、もちろん積極的にこの説明会に参加する店舗があるとは思えない。そこで、ある程度、サンバカーニバル開催に協力してくれそうな店舗の目星をつけて、直接、挨拶に行ってお願いをしていた。

 そういったわけで、集まってくれたのは照屋楽器の林栄さんはもちろんだけど、ダンススタジオ・ケンの健司さんとめぐみさん、BCスポーツからは金城さんの二女でお店で働く由美さんが。その他、チャーリー多幸寿の店長の仲本早苗さんなど、飲食関係のお店が4軒、シェイラーズ・バザールのテディーさんら物販のお店が3軒。ただし、ヒカリさんからは事前に欠席の連絡をいただいていた

 夫はというと、今日は沖縄警察署で行われている飲酒運転撲滅の勉強会に参加している、というかさせられてる。この6月に刑法が改正されて、飲酒運転が厳罰化されたことを受けてらしい。これには各通り会から必ず1店舗は、お酒を提供する店が参加しなくてはならないことになっていて、今回、サンバカーニバルの説明会を開くかわりに、誰も行きたがらないその役を仰せつかったというわけ。

 司会はなんやかんやで幸江さんがやってくれることに。そして最初に、別件で事務所にいた通り会会長の比屋根さんが、挨拶してくれることになった。

「えー今回、アベニューの企画として、沖縄国際カーニバルでサンバカーニバルをやることになりました。やっぱり4年前にドリームショップ・グランプリで、オ・ペイシを選んでよかったんじゃないですか、ねー、みなさん」

 林栄さんから以前、聞いたことがあるんだけど、ドリームショップ・グランプリについては、新しいお店に賞金を出すより、昔から頑張っているお店に補助金を出すべきではというような要望があったそうだ。会長は、そのことを言ってるのかな。

「コザはずっと、アメリカー、アメリカーで売ってきましたけど、これからは、ラテンアメリカ、ペルーやブラジルもはやるんじゃないですか。わたしは、ブラジルには2度ほど行ったことがあるんです。で、やっぱり国土は広いし、料理は安くておいしいし。あれ、なんて言ったっけブラジルのバーベキュー、アキさん」

シュラスコですか」

「そーそー、そのシュラスコがおいしくて、どこの店に行っても食べ放題なんだよな。それに、あの、なんだっけライムのカクテル」

「カイピリーニャですか」

「それそれ、これが甘くておいしくて、何杯もいけちゃうんだけど、しまいには酔っぱらうんだよ。まあーとにかく、皆さん、こちらのオ・ペイシをいろいろ助けてあげて、沖縄県内で初めてのサンバカーニバルの開催に協力してあげてください。よろしく」

 そういって、会長は次の用事があると言って退室していった。ドアを閉める前に振り向いて、

「健司、しっかり通り会に協力するんだぞ。それと、めぐみは健司の言うことを聞いていればいいから、いいな」

「わかってるよ、おやじ」

 健司さんの返事はどことなく弱々しく、心無さげに感じられた。

「トートーメーもそれはそれで大変よね。健司君ひとり息子だから。あと、会長、ブラジルの話が始まると止まらないから、今日は短くてよかったわ」

 幸江さんがわたしにだけ聞こえるよう、耳元でそうささやいた。

第15話 9月8日(水) 通り会会議
シュラスコ

 そういえば、前に幸江さんから聞いたことがあるんだけど、比屋根会長がブラジルに2回も行ったというのは、ブラジルに住む基地地主から、土地を買い集めることが目的だったそうだ。

 ブラジルへは沖縄からたくさんの人が移住しているけど、コザからも多くの家族が渡っていった。そういった人たちの中には、軍用地の所有者ももちろんいた。

 その後、沖縄が日本に復帰して法律が変わると、支払われることになった借地料の手続きがされないまま、移住者の軍用地が何年もほったらかしになっているケースが多々あったそうだ。

 そこで、不動産取引に詳しい会長は、ブラジルに行ってコザ出身の家族を訪ねては、土地取引の書類にサインを集めて回ったようだ。軍用地は転売可能。安定した借地料が入るので優良物件として取引される。だって、基地はなくならないからね。嘉手納基地の滑走路の土地が一番高いといった話が、まことしやかに語られている。

 そして、この話をするたびに幸江さんがいうには、

「わじわじーするくらい、買い集めたんだって」

 あまり土地取引の知識もなく、あっても遠い日本のこと。そういった移民やその子孫から、「ムカムカするくらい」軍用地を手に入れたんじゃないかという話だ。

第15話 9月8日(水) 通り会会議
軍用地売買仲介業者

 それはさておき、説明会はまずは幸江さんから、市の文化観光課との間で交わされた決定事項が報告された。

 開催日は11月6日土曜日、夜6時から6時半までの30分間。場所は空港通り全面。予算は20万円。これは支給されるものなので、清算書の提出はいらない、などなど。

 次に、わたしから実際の運営方法を説明することとなった。

「それではお配りしたコピーを見てくれますか」

 そこには、今年のテーマが「缶から三線」であること。テーマ曲の歌詞全文と、その内容は、沖縄の戦後が代用品に象徴されるたくましさで始まったということ。そして、それは二度と戦争を起こさないための誓いでもあること。その他、予算はほぼ山車の製作に使われるということや、参加人数の見込みなどが書かれている。

「いーですよ、もう読みましたけど、 何をしたらいいかだけ言ってくれれば。できる限り協力はしますから」

 とは林栄さん。みんな、はなから協力するつもりで来ているので、議論することはないし、仕事中なので、早く帰りたいというのもあるんだろう。

「アキさんはサンバのプロなんだから、もう、なんでもお任せしますね。私たち詞とか読んでもわからないし。テーマが平和についてならいいと思います」

 これはチャーリー多幸寿の早苗さん。

「わかりました。まず、飲食店の皆さんには、県外から来る参加者に対して、飲食代の割引を行ってもらえませんか」

 すでに県外のサンバチームに呼びかけを行っていて、今年は少なくとも30名は来てくれる見込み。サンバ好きにとっては、沖縄を観光しながらサンバのイベントに参加するというのは、それこそ2倍の楽しさがあるようだ。

「了解です。県外参加者だってわかる証明書みたいなものを作ってくれたら対応しますね。いいアイディアだと思います。この街のお祭りなんだから、この街でお金使ってもらいましょう」

 チャーリー多幸寿は観光客に人気なので、参加者も喜ぶはず。

「それと、ミッキーさんのところで、打ち上げをさせていただくことになっています。さすがにうちのお店は当日バタバタしますんで、仕込みどころじゃないんで」

「はいよー、まかちょーけー。お願いがあるというから、てっきりビキニで踊れって言われるかと思ったのにさー、もー残念!」

 一同から笑い声が上がる。大衆食堂ミッキーは、もともとは空港通りにあったのが、今年になって、うちのお店と照屋楽器との間に移転してきた。わたしよりも少し年上の江美子さんが作る沖縄家庭料理は、地元の人だけでなく米軍関係者にも人気のようだ。

「飲食店以外のお店の方は、何でもいいですからもう売らないもの、使わないものがあったら、寄付してください。カーニバルといっても、要は仮装行列なんで、それに利用できるものがあったらお願いします」

 すると照屋楽器からは、傷のついたドラムのスティックと中国製のマイクが、インド人のテリーさんからは、「羽根をむしってサンバの衣装につかったらいいよ」と香港で買い付けてきたという中国風の扇が。

 喜納Tシャツからは、売れ残ったTシャツを提供してもらえることに。白Tシャツで背中にはすでにプリントが入ってるけど、前面は無地なので、サンバチームのロゴを入れたいなら代金は1枚300円でいいとのこと。300円なら県外参加者に記念にプレゼントするのもいい。ただし、あとで見せてもらったら背中のプリントは「ゴーヤーマン参上!」。3年前の朝の連ドラのバッタもんの匂いがぷんぷんした。

第15話 9月8日(水) 通り会会議
ゴーヤーマン

 BCスポーツからは新しく作ろうと思っていたチームの旗を、格安でお願いできることになった。米軍用の記念ワッペンを作っていた刺繍用の機械があるので、お手の物とのこと。

「いやー、やっぱり代用品でサンバカーニバルをするのがクザンチュ流よね」

 幸江さんがここぞとばかりに声を発した。

 ダンススタジオ・ケンからは、当日、ダンサーのリハーサル用にスタジオを貸してくれるという申し出があった。大変ありがたかったんだけど、当日はわざと遊歩道でやった方が、見物客も来てお祭りが盛り上がるので、これはお断りした。もちろん健司さんもその方がいいと言ってくれた。

 それと、10月に入ったらアーケードにかかっている有線放送のBGMを、サンバにしてもらえることにもなった。

 そうして一時間もすると話すことも無くなってきたので、とりあえず仕事中の人にはお店に戻ってもらおうと、幸江さんが会のまとめに入った。

「今日はお集まりいただきありがとうございました。えー、アベニューはシャッター街なんて言われてますけど、サンバカーニバルが開催できるだけの底力はあるんだってこと、みんなで示しましょうね。あと、この街は、もとをただせば何にもないところに、よそ者が集まってできた商店街なんですから、まあ、アキさんもあと10年もしたら、この商店街をしょって立つよそ者のひとりになるんでしょう。だから、あたしからいうのもなんですけど、オ・ペイシのこと、サンバカーニバルのこと、どうぞよろしくお願します」

 思いかげずそう言われたので、わたしはとっさにぺこりと頭を下げた。会の参加者からは温かい拍手をいただいた。幸江さん、いろいろありがとう。


 さて、会は一応お開きになったけど、健司さんとはまだ話さなくてはならないことがあった。もちろん、ダンススタジオの生徒さんがパレードに参加できないかということだ。

 これについて健司さんからは、同じ日に民俗芸能大パレードに参加するので、そのあと、夜7時まで子供たちを留めておくことは難しいという話に。

 そこでわたしの方からは、当日参加できる場所を作るので、もし参加できる人がいれば自由にそこに入って下さいとお願いした。

「でも、ちゃんと歌を作ってパレードするなんてすごいですね。わたし、このテーマ曲の歌詞いいと思いますよ。先月、アキさんが出てるラジオ聴きましたけど、沖縄からもっともっと声を上げていかなきゃだめですよね」

 そう話してくれるのは健司さんの彼女のめぐみさん。彼女は泡瀬干潟の埋め立て反対運動に参加している。

「お祭りなんで、あんまり反戦ソングみたいにはしたくはないんですけど。あっ、歌詞のほとんどは夫は書いたんですけど、ちょっと重たい歌詞もあるかなと、少し直しを入れようかとは思ってます」

「とんでもないです、よく調べてると思いますし、逆にもっと強く歌った方がいいですよ、沖縄の人が戦後、ほんとうに苦労して、いまでも基地に苦しんでいることを。それと、ユージさんが書くんでしたら、来年は泡瀬干潟のことをテーマにできませんか。前にテレビで見たんですけど、ヨーロッパでは反政府運動なんかでデモ行進するとき、サンバ隊が出るんだそうですね」

「めぐ、もういいよ、そんなことばっかり言ってると、またおやじに怒られるぞ」

 健司さんが煩わしそうに話を遮った。

「すみません、アキさん。こいつ、言いたいことばっかり言って」

「何よ健君、何でもかんでもおやじに怒られるってばっかりで。あなたには自分の考えがないの」

「考えてるよ、考えてるって」

「うそよ、あなた最近別人になった」

「うるさい!」

 健司さんが突然声を荒げた。まだ会議室に残っていた幸江さんが、驚いて目を見開いた。

「あ、すみません、大声出しちゃって。めぐ帰るぞ、すみません、失礼します」

 そう言い残して、健司さんはめぐみさんを引っ張るようにして会議室を出て行った。

「あのふたり、ちょっとうまくいってないのかなー。最近、いつもあんな感じなのよねー」

 ふたりっきりになった会議室で、幸江さんがちょっと心配そうにつぶやいた。

「健司君、もともとは泡瀬の干潟を守る会にも顔を出していて、めぐみさんとはそこで知り合って、スタジオの仕事も手伝ってもらうようになったんだけど、会長は当然、埋め立て推進派だからねー、うーん」

 そういえば前に夫が、健司さんたちのステージのプラカードが変だったと言ってたのは、ほんとは「泡瀬干潟を守ろう」としたかったのを、健司さんに、というか比屋根会長のひと言でやめさせられたってことだろうか。


 沖縄サンバカーニバルまで、あと60日。




 第16話に続く 

第15話 9月8日(水) 通り会会議
チャーリー多幸寿

第15話 9月8日(水) 通り会会議
大衆食堂ミッキー




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです