小説 沖縄サンバカーニバル2004

20年前の沖縄・コザを舞台に、現在も続く沖縄サンバカーニバル誕生秘話

第7話 7月30日(金) ペイ・デイの夜

 シャッター街にお店を出したんだから、さぞかし大変な思いをしてるんだろうと言われるけど、まあ、確かにこの4年間、山あり谷ありだったかな。

 2000年9月、ドリームショップ1号店としてオープンした時には地元のマスコミ各社が大きく報じてくれて、連日満席御礼といった盛況ぶりだった。それに合わせて名古屋からブラジル人ミュージシャンを呼んできて、2週間だけだったけどライブを開催したら、これまた大当り。そういったいろんな相乗効果があって、その年の年末までは、びっくりするぐらいの売り上げがあった。

 ただし、いま思えば、それはブラジル料理やサンバが、ただ単に物珍しかっただけの話。あの店は1回行けばいいやという感じで、年が明けたころからお客さんはどんどん減っていって、すぐに売り上げゼロの日がやってきた。来ても1日ひと組だけだったり。

 そんな中、お客さんになってくれたのが米軍関係者。どうやらアベニューにブラジル料理のお店ができたということが、マスコミではなく口コミで少しずつ広がっていったようだ。彼らの中には中南米出身者も多く、豆料理などブラジル料理が難なく口にあう。気が付くと日本人のお客さんにとって代わっていった。ただし、ほとんど週末しか来てくれないけどね。

 まあ、そういうわけで、平日など待てど暮らせどお客さんが来ないときは、もうどうしようもない。昨日もあのカップルが帰ったあと、夫は暇だ暇だといってカーニバルのビデオを消して、テレビのお笑い番組を見ていたほど。

 そんな時、いきなりお店のドアが開いたので慌てて立ち上がり、椅子につまずく夫。

「客が来てびっくりする店って、どーなってるの」

 なんて、照屋楽器の林栄さんに笑われていた。

第7話 7月30日(金) ペイ・デイの夜
Dサイン証贈呈式(沖縄タイムス2000年7月7日付け)

 そうはいっても、うれしい悲鳴を上げたくなるほど忙しい日もあることはある。

 今日は7月30日の金曜日。米軍はペイ・デイの週だけど、それに加えて日本は夏休みに入り観光シーズンに突入。しかも連日の晴天。すべていい条件が重なった。そうそう、ペイ・デイが土日に当たる時には、給料は金曜日に前払いされるのだ。

「忙しくなりそうですねー、空港通りの方は、もう結構人出てますよ」

 リサちゃんも珍しく、遅刻せずに来てくれた。

 さて、6時や7時といった比較的早い時間に来てくれるのはアメリカ人。若者グループというよりは家族連れが多い。6時半からふた家族が揃って会食会をするという予約があり、テーブルを3つくっつけて8人掛けの席を作っておいた。

リオ・デ・ジャネイロには何度か行ったことがあるよ、懐かしいなー」

 そのグループの体格のいい方のお父さんは、うちのメニューを家族にいろいろと説明しながら注文してくれる。メインにはもちろんフェイジョアーダを選んでくれた。

 ところで、わたしが「ブラジルにはどんなお仕事で?」と聞いては見たものの、そこは軍人なのであまり話したがらない。あとでそのことを夫に話すと、

「リオではギャングと警察との抗争が激化してるから、米軍の特殊部隊(グリーンベレー)がアドバイスに行ってるらしいねー」

 と、ひとり納得していた。ほんとかなー。

 もうひと組、若いアメリカ人夫婦が来てくれた。彼らもうちのお店をきちんとしたレストランとして選んでくれたようで、コース料理とブラジル産の赤ワインを頼んでくれた。

「なんかの記念日で来てくれたみたいですよ。ラブラブでした」と、接客してくれたリサちゃん。こういったお客さんは、たいていチップを置いていってくれる。最後まできちんと接客してくれたので、チップはそのままリサちゃんにあげた。

 一方、日本人の観光客は、20代のグループが多いかな。一応、お店は「るるぶ」や「まっぷる」といった観光ガイドに掲載されているので、それを見て来てくれる。ただし、ブラジル料理を目当てというよりは「サンバ体験ができるお店」の紹介文が、引っかかってくれてるようだ。だから、どちらかというと、きちんとした食事というよりはお酒や一品料理を頼んでくれる。

 7時を過ぎたころから、日本人のお客さんがひと組、ふた組とやってきてくれて、アメリカ人のお客さんとも重なって8時前には満席となった。

「おい、もう注文がもうバラバラだよー、他の席と同じ注文をとってきてよー」

 厨房の夫は、1度に3つの鍋を火にかけながら怒鳴っているけど、こればかりは仕方がない。お客様は神様なのだ。炊いたご飯が底をついたというので、わたしは近くのしまちゃん弁当というお弁当屋さんに白米だけを10人前買いに行く。

「今日は儲かってるみたいだねー」

 弁当屋のご主人が声を掛けてくれる。やはり店が流行ってるときは気持ちがいいものだ。

 やがて8時を過ぎ、切りのいいところまで手伝ってくれたリサちゃんが上がり、アメリカ人のお客さんもひと組、ふた組と帰りだすと、ようやくわたしの本領発揮だ。わたしは客席を回りながら。特に女性客に話しかける。

「どうですか、サンバステップ習っていきませんか?」

 サンバステップは見たことがあるけど、どういう風に踊るのかなと興味を持ってくれる人は多い。というか、そういう人だからうちのお店を選んでくれてるんだろうけど。

「初めてでも踊れるんですかー?」

「もちろん、踊れますよ。さ、どうぞ、どうぞ」

 厨房から夫が出てくると客席を壁際に寄せて、ちょっとしたダンススペースを作る。すると、それぞれのテーブルからひとり、ふたりと立ち上がってくれるので、即席のサンバ教室が出来上がる。すかさず照明を暗くして、BGMの音を上げる。曲はもちろんカーニバルのサンバだ。

「はい腰をひねって、みぎー、ひだりー、右ー、左ー」

「できましたかー、次は足を、まえー、うしろー、前ー、後ー」

 お客さんは多少お酒も入っているので、たいがいノリはいい。「キャーキャ、キャッキャ」と声が上がる。冷房が入っているとはいえ汗をぬぐう人も。濃密な10分間の最後には、ひとりひとりキメのポーズを作ってもらう。

「はーい、みなさん、ほんとお疲れ様でしたー」

 すると一斉に拍手が起きる。お客さん同士が仲良くなって話を始めだす。「サンバ居酒屋」をやっててよかったと思えるひとときだ。

 BGMの音を落とし、客席を元の位置に戻したころ、倉敷さんとシロさんがやってきた。

「さっき入ろーと思ったら、いっぱいだったから、別んところ行って時間潰してきたよー」

「すみませんねー、なんかサービスしますよー」

「いや、そんなことより、今日はお客さん入ってよかったねー」

 シャッター街の実情を知ったる常連さんからのこういうひと言、ほんと心に染みるんだよねー。


 やがて観光のお客さんも帰り、倉敷さんとシロさんがカウンター席でグラスを傾けるだけになった11時過ぎ、リサちゃんから電話があった。

「ナーナーが熱を出したみたいで。保育園から連絡あったんですけど、ちょっと行けないんですよ。すみません、今日もお願いできませんか」

 うちの息子も預かってもらっている安慶田夜間保育園は、通常は午前2時まで面倒を見てくれるんだけど、体温が37度5分を超えると保護者が引き取らなくてはならない規則になっている。以前も同じことがあってナーナーを引き取って、うちの家に寝かせたことがある。

「リサちゃんのお母さんはいけないんだよね」

「ずっと腰を悪くしてまして」

「わかった、いいよ、まかせて。で、明日のイベントには来るんでしょ。3時からよ」

 リサちゃんは先週の練習会には遅刻はしてきたものの、一応ステージの「出ハケ」を覚えて帰っていった。

「イベントにはちゃんと出ます。ほんとすみません、ナーナーのことお願いします」

 まあ、しょうがないか、今日は頑張ってくれたし。お店の方も、常連さんだけだから大丈夫だろう。夫は付き合いですでにビールを飲んでいるので、車の運転はできないしなー。

 自宅の駐車場から車を取り出し、夜間保育園へと向かう。消灯で薄暗くなった教室には子供達が並んで眠っている。新幹線やキティーちゃんなど、色とりどりの模様の毛布がかわいい。

「37度5分ちょうどで、ナーナーは平熱が高い方なんで大丈夫だと思いますけど、一応規則なのですみません」

 今日の夜勤の担当は、うちの息子が一番好きだという美奈子先生だった。

「いえいえ、大丈夫です。いつもありがとうございます」

「アキさんはすぐ来てくれて助かります。呼んでも来ない親の方が多いですからねー」

 ここに通う児童のお母さん方とはもちろん顔見知りだけど、わたしを含めて全員、遅くまで飲食店で働いている。だからまあ、すぐに来るのは難しいだろうなー。

 もう一度、子供たちの寝顔を見る。クリスは白人系のハーフ、お母さんの宮城さんは小料理屋のママ。愛ちゃん、麗ちゃん姉妹はアフリカ系のハーフで、お母さんの京子さんはリサちゃんと同じ店で働いている。京子さんはもともとは横須賀の人なんだけど、いじめを気にして沖縄に来たんだそうだ。でも、聞いた話では沖縄のいじめもひどいらしいけど。そしてナーナー。ナーナーの父親もアフリカ系だと聞いている。もちろんここにはハーフじゃない子供たちのもいるんだけど、不思議とわたしと仲のいいお母さんの子供はハーフだったりする。

「ところでこんな時になんですけど」と、美奈子先生。

「今年も運動会で園児がエイサー踊るんですけど、保護者の参加をお願いしてまして」

 この夜間保育園では毎年10月に、併設の幼稚園と合同で運動会があるのだ。ただ、地元出身じゃないんでエイサーなんかやったことないですよと答えると、

「いえ、男の人に頼みたいんで、旦那さんに聞いてもらえませんか。お父さんいるの、アキさんのとこだけなんです」

 そうか、そう来たか。そう言われると断り切れないなー。

 ナーナーは美奈子先生に抱っこしてもらい、子供ふたりを車に寝かせる。もちろん今夜はこのまま家に連れて帰ろうと思う。

 国道330号線を運転していると、海兵隊(マリーン)らしき若者3人組が、大声を上げながらふらふらと歩いているのが見えた。そのひとりがロングネックのビール瓶をコンクリート塀に投げつける。そのバリーンという破裂音をフロントグラスで聞きながら、わたしはつい、

「ああ、今日はどこも儲かっているんだろうなー」と、独り言を言った。

 あれっ、これって、ちょっと感覚おかしくなってるぞー。

 ところで、今日のお昼、幸江さんに言われた通り日めくりカレンダーを作って、さっそくボトルキープの棚に吊るしておいた。


 沖縄サンバカーニバルまで、あと100日。




 第8話に続く 


第7話 7月30日(金) ペイ・デイの夜
地元グルメ誌掲載記事




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです