小説 沖縄サンバカーニバル2004

20年前の沖縄・コザを舞台に、現在も続く沖縄サンバカーニバル誕生秘話

第8話 7月31日(土) 中央パークアベニュー

 結局、昨日の夜、リサちゃんがナーナーを迎えに来ることはなかった。

 夜中の3時まで起きていたわたしは「あの女、どこほっつき歩いてるんだ」と何度もつぶやいたけど、ナーナーの寝顔を見るのも楽しかった。女の子がうちにいるのもいい。ただし、朝起きるとおねしょをしていた。やられたね、でもかわいいもんだ。

 その朝の10時になって、ようやくリサちゃんから電話があった。

「ごめんなさい。店が終わったあとも色々あって。ほんとすみません」

「まあいいわ、お互い様よ。で、いまから迎えに来るの」

「それが、ちょっといけないんです。イベントには必ず行きますから、それまで預かってくれませんか」

「どうしたの、預かるくらい別にいいけど、もしかして、やっぱり男」

「すみません、でも今回は、あのー、マジなんです」

 マジって、この前練習に来ていた彼氏のことなのね。トーニオだっけ。そりゃあ、リサちゃんが結婚していい家庭を作ることには大賛成だけど、そっか、あの人か。

 今朝、勇魚は目を覚ますと、布団にナーナーが寝ているのでびっくっりしていた。けど、保育園ではいつも一緒なので、早速、姉弟のようにくっついている。ナーナーはリサちゃんと同じく褐色の肌にばっちりとした瞳。リサちゃんはナーナーのお父さんの話はしたがらないんだけど、ナナはアフリカ系の言葉で「恵み」といった意味があるんだそうだ。娘のために父親の写真を1枚だけ捨てずに持っていると言っていた。

 せっかくなので、お昼は「家族4人」で美里にある太陽市場に行くことにした。ここは大人950円でランチ食べ放題で小学生未満は無料。わたしからは何にも言わないのに、小2のナーナーは小1の勇魚の口を片手で押さえて「あんた、小学生って言っちゃダメよ」と言い聞かせながらお店に入っていった。  

第8話 7月31日(土) 中央パークアベニュー
ランチバイキングで人気の太陽市場




 さて、今日のイベントは「土着人ふぇすた」といって、中央パークアベニューの通り会主催の夏祭り。

 子供向けにバルーンアートをするクラウンは外部から呼んだようだけど、基本的には商店街の各店が屋台を出したり特売をしたり、うちのような店はステージをしたりと、なかなか手作り感のあるお祭りだ。

 アベニューは南側の国道330号線との交差点から北側のコリンザまでで、全長は約500メートル。主だった交差点ごとに、商店街は四つの班に分けられている。そして第3班には通り会の倉庫があるので、この地区の車道を部分的に通行止めにし、機材を運び出して小さいながらステージが作られる。うちのチームのほかに、ダンス教室の発表会や、FMコザのヒカリさんのアコースティックライブもあるらしい。

 せっかくなので、ここでアベニューについてもう少し。

 アべニューはもともとBC通りとして、1950年代始めに都市計画で作られた商店街。BCとはビジネスセンターの略で、センター通りと呼ばれたことも。アーケードと遊歩道が作られ、中央パークアベニューとして生まれ変わったのが83年。その後シャッター街化が問題になっていくんだけど、この通りには戦後間もなくから続くお店がまだまだ残っている。現存するお店で一番古い照屋楽器は1951年の創業。

「はじめは何にもない返還地に、木造平屋を建てて始めたらしいですよ」とは照屋楽器の林栄さん。現在はもちろんコンクリートの2階建て。

 ニューヨークレストランやチャーリー多幸寿(タコス)は、いまでは日本人観光客も訪れるし、アメリカ兵向けにワッペンを製作するクレージーストアや玉橋刺しゅう店も盛業中だ。

第8話 7月31日(土) 中央パークアベニュー
1960年12月撮影のBC通り 照屋楽器店は照屋レコードとある(沖縄公文書館所蔵)

 うちの大家さんのBCスポーツも、もともとは刺しゅう屋さんだったそうだけど、その技術をいまでは部活のユニホーム製作に転用して商売を続けている。

 香港から移り住んできたインド人店主の雑貨店も2軒あり、うちのすぐ隣のシェイラーズ・バザールのテディさんは、

「英語が使えるからすぐに商売になったよ。ただ、永住権をとるために、沖縄の女性と結婚するのに苦労したけどね」

 と、笑いながらながら話してくれたことがある。ただし、奥さんの真理さんは、なかなかの美人だけど。

 ミラが働くフィリピン・パブなどはAサイン・バーの名残。ほかにも古いお店はまだまだあるけど、今日のようなイベントがあると協力金を積極的に出すのそういったお店だそうで、幸江さんが言うには、

「昔いっぱい儲けさせてもらったから、いまはあんまり儲かってなくても、恩返ししなくちゃねーって気持ちがあるよの」

 新しいお店は、もちろんそんなことを言ってる余裕はないんだけどね。


 食べ放題でお腹を膨らましたあと、わたしたちは午後1時にはアベニューに着くようにした。

 多少風はあるものの今日は天気に恵まれ、普段では見られない子供連れなどが遊歩道を賑やかしている。アメリカ人家族もちらほらと目につく。すでにステージのある第3班の方からは、重低音のドラムの効いた音楽が聞こえてきた。

「確かいま頃、ダンス教室の発表会やってるはずだから、見に行こうぜ」

 夫がそう言うのでお店には寄らず、すぐに4人で音のする方へと向かう。

第8話 7月31日(土) 中央パークアベニュー
土着人ふぇすた(沖縄タイムズ2000年9月15日付け)

 アベニューのちょうど真ん中あたりには、ダンススタジオ・ケンという教室があって、クラシックバレエをはじめジャズ・ダンスなど、いろいろなジャンルの講座を開いている。

 経営しているのは比屋根健司さんといい、30手前のなかなかのイケメン。わたしも以前、サンバ教室を開いたらと誘われたことがあったけど、お店の営業時間と重なるので泣く泣くお断わりしたことがある。

 今日はその健司さんのスタジオの小学生と中学生の生徒さんが、ヒップ・ホップを披露することになってるそうだ。

 ステージのある第3班までは、うちのお店は第1班だから歩いて2、3分。のんびり歩いていると、クラウンのパフォーマンスに人の輪ができていた。小さい男の子がバルーンでできた刀をもらって喜んでいる。

 さらに進むと、かき氷の屋台や、景品がもらえる輪投げなどにも人が集まっていた。聞くところによると空き店舗を利用したお化け屋敷が一番の人気らしい。通りが賑わうと、ほんとうにうれしい気持になる。

 ステージ前につくと、といっても道路に直接スピーカーが並べられているだけだけど、かなりの人だかりができていた。観衆の頭越しに、小学校の高学年くらいの男女8名が横2列になり、振り付けをぴったり揃えて踊っているのが見えた。前列の子供たちはさすがに切れがいい。

 そのステージのまん前には生徒さんのご両親だろう、後ろの見物客の邪魔にならないようにとしゃがみ込んで声援を送ってる。お父さん方はビデオ撮影に一所懸命だ。

「いーよなー、ヒップホップは、いっぱい子供がいて」

 夫がステージを見ながら、わたしに話しかけてくる。

「でもさーアキ、ああいう、だらしない服装がかっこいいのかねー。しかも友達とお揃いっていうのが」

 子供たちの衣装を見ると、だぶだぶのTシャツにハーフパンツ。上下とも真っ黒で、胸に赤いワンポイト。

「いまどきの日本の子供って、横並びなのがいいんじゃない、振り付けも衣装もみんなで揃えるのが」

 ブラジルのカーニバルでは、パシスタはひとりひとりが個性を出しながらソロで踊るのが基本。衣装の色やデザインも、自分の体形や肌の色を考えながら選ぶ。だから、他の人と同じになることはまずない。

「だからサンバチームには子供が入ってこないのかなー」

 夫が言いたいのは、前にキッズサンバというダンスグループを作ろうと募集したんだけど、結局、頓挫してしまったのだ。だけど、

「ユージ、ナーナーのこと忘れてるよ」

 すぐ横でナーナーが一緒にステージを見ている。彼女は大きなイベントの時には、子供ながらきちんとビキニを着て参加してくれる。

「これは失礼。未来の大スターを忘れるなんて」

 夫はちょっと照れながらナーナーの頭をなでる。

「ナーナーはサンバが好きだよねー」と、わたしがわかりきった質問をすると、

「うん、いずみちゃんもジャーニースもいるし」と、笑いながら答えてくれた。

 
 発表会のステージは、その後、中学生のグループが出て、最後は小学生を最前列に全員で踊って締めくくられた。キメのポーズを作る時、小学生8人が「美・ら・海・を・大・切・に・!」と、ひと文字づつ書かれたプラカードを頭上に掲げた。観客からは大きな拍手が送られた。

 その拍手が落ち着いたころ、わたしは舞台袖にいる健司さんにあいさつに行くことにした。すると彼もわたしを見つけてくれてたようで、こちらに近づいて来てくれる。

「アキさん。ご無沙汰してます。通りでも全然会わないですねー」

 横にはめぐみさんもいっしょだ。東江めぐみさんはダンス教室の事務のかたわら、講師もしている。彼女とは初対面のはずだと思い、夫に紹介すると、

「確かめぐみさん、去年、泡瀬でお会いしましたよね、干潟監察会の時」

「ああ、そうですね、来てらっしゃいましたよね、そちらのお子さんと。勇魚君でしたっけ」

「いやー、よく覚えてますね」

「いいお名前だなと思って、クジラですよね」

 そういえば去年のいま頃、夫と息子は、沖縄市の東岸に広がる泡瀬干潟の自然観察会に参加していた。「泡瀬の干潟を守る会」という、干潟の埋め立て工事に反対する団体が主催するものだったけど、めぐみさんはその団体のお手伝いをしているそうだ。

「11月のお祭りで、今年から沖縄サンバカーニバルを開催しますので、是非とも協力してくださいね」

 お互いバタバタしていたので、わたしたちはそれをあいさつ代わりに、その場を立ち去ることにした。

 お店に戻る道すがら、夫は何か引っかかったのか「あのふたりつき合ってるの」と聞いてきた。そうみたいよと答えると、

「だから、最後にとってつけたように、美ら海を大切にってプラカード上げたんだ」

「よかったんじゃない、美ら海水族館もできたんだし」

「そうじゃなくて、ほんとは『泡瀬干潟を守ろう』にしたかったに決まってるじゃん」

 この時わたしは、夫の言ってることを聞き流していた。

第8話 7月31日(土) 中央パークアベニュー
泡瀬干潟

 わたしたちのステージは午後3時から。今回開催するサンバクィーン・コンテストの出場者はわたしを含め4人。だけど前にも話した通り、わたしとジャニースは過去に選ばれたことがあるので、実際はリサちゃんといずみちゃんの一騎打ち。もっと言えば、チームに入ってきた順番で、今年はリサちゃんで、来年はいずみちゃんという暗黙の了解もできている。

 それでも一応は、審査員を用意することにした。幸江さんがドリームショップグランプリ事務局代表という肩書で、照屋楽器の林栄さんにもお店で飲んでいるときにお願いした。そして通り会会長の比屋根さんにも。

 比屋根勇信会長は、50代ですでに白髪。今日の服装はかりゆしウエアだけど、いつもはスーツを着込んでいるので、ちょっといかつい印象がある。それでも「今日はよろしくお願いします」とあいさつにいくと、

「悪いねー、最近、飲みに行けなくて。今度、女房を連れて行くよー」 

 と、話せば人懐っこい感じもする。

 地元で不動産会社を経営していて、この通りにも何軒か賃貸用の店舗を所有しているそうだ。ちなみにダンススタジオ・ケンの健司君のお父さんでもある。

 ステージ開始15分前になると、バテリアは打楽器類をステージ横に置いて用意をしだす。すでに緑のアロハシャツに白ズボン、そして青い線の入ったパナマ帽という出で立ちだ。

 ダンサーはというと、さすがにお店からステージまでビキニ姿では移動できないので、ステージそばの通り会の倉庫で着替えることにした。もちろん、わたしたち3人は着替え終わっている。ジャニースは白いビキニ。いずみちゃんはオレンジ。わたしは緑。そしてあとひとり、そう、リサちゃんがまだ来ていないのだ。

「どうしたんですかねー」と、いずみちゃん。

「ほんと何やってんだろうねー。今朝、電話もらって、来るって言ってたから大丈夫だとは思うけど。でもね、いずみちゃん、来なかったらあなたがクィーンだから頑張ってね」

「まあ、待っててあげましょうよ。ちゃんと来ると思いますよ。携帯かけてみましょうか」

 いずみちゃんはこういうときは、いつも冷静なのだ。

「携帯通じないのよ、それに、あの子いつも遅刻ばっかだから、いい加減わからせないと」

「アキさん、多少遅れたって、お祭りなんだから怒る人なんていませんよ、そう焦らないでください」

 すると、ダンサーと一緒にこの倉庫を控室にしている尚ちゃんが、

「お店にいるんじゃないですかー、わたしー、見てきましょうねー」

「お願いできる」と頼むと、すぐお店に向かって走って行った。

 そして午後3時。ジャイミがヘピーキで合図を出すと、バトゥカーダと呼ばれる打楽器だけの演奏で、まずはオープニング。この前入ったばかりの悠仁はすでにスルドを叩いている。ユキちゃんは早くダンサーにしたいんだけど、さすがに間に合わなかったので、勇魚と一緒にショカーリョを。ナーナーもその隣にいる。

 バトゥカーダが終わると、夫があいさつに立った。ほんとは尚ちゃんの司会で始めるはずだったけどしょうがない。

「ドリームショップ1号店としてアベニューに温かく迎えられて4年がたちます。今年は11月の国際カーニバルで、初めて沖縄サンバカーニバルを開催することになりました。皆さんのご協力、どうぞよろしくお願いします」

 すると、すぐ横の審査員席にいる幸江さんが、

「ユージさん、あんた、固いかたい。ここはアベニューだよ。サンバだ!  まつりだ! イェーでいいよー」

 観衆からはくすくすと笑い声が広がる。その様子を、倉庫の入り口から見ていると、第1班の方から尚ちゃんとリサちゃんが走ってくるのが見えた。

 すでにリサちゃんは真っ赤なビキニ姿だ。サンバシューズを手に提げているから、裸足で走ってるんだろう。大きな羽根飾りは尚ちゃんが両手で抱えている。遊歩道を歩いている人たちは、追い越されるたび、驚いたような顔で彼女たちの後姿に目をやっている。

「すみませーん、はー、遅れましたー、はー」と、リサちゃん。もちろん、かなり息が上がっている様子。

「何やってたの、もー、ほんと心配させないでちょうだいよー」

 わたしは言葉尻をわざと強くしてそう言った。だって、昨夜から迷惑かけすぎじゃない。

「すみません、はー、集合、お店だと思ったら開いてなくて、はー、でもBCスポーツのおじさんに頼んで、試着室で着替えさせてもらいましたー」

「もー、おっちょこちょいなんだから。あと、商店街ではパレオぐらい羽織りなさい」

「すみません、はー、持ってませんでしたー」

「それと携帯は」

「すみません、バッテリー切れでー」

「もー、すみませんばっかりじゃない。でも、いいわ、とりあえず間に合って」

 そして何事もなかったように尚ちゃんがステージに上がり、司会を務める。

「はいたーい、みなさーん。わたしー、ちょっと太めさんですけどー、ははは、今日はいっぺー美らかーぎーが出場しますよー、応援よろしくお願いしますねー」

 こういうしゃべりは、さすがに夫にはできないなー。尚ちゃんのしゃべり方はなんだか温かい。ただし、ジャイミには意味がよくわからなかったんだろうね。「ウェルカム・トゥー・アワー・サンバ・ショー」とだけ訳したので、わたしはさっきまでのいらいらをよそに、思わず笑ってしまった。

 さて、結果から言えばリサちゃんがもちろん優勝。でも、インチキで勝ったわけではなく、これはきちんと審査員から出された評価。やはり彼女のバネの効いたステップはいずみちゃんのより随分魅力的だった。それと、何より彼女はコザ小、コザ中、コザ高と生粋の地元育ちなので、かなりの数の知り合いが見に来てくれたようだ。彼女が出場する番のときだけ、

「リーサー、ガンバレー!」

 男女問わず大きな声援と拍手が起こり、コンテストを盛り上げてくれたのだ。

 そして表彰式となり、司会の尚ちゃんからひと言お願いしますとマイクを差し出されたリサちゃん。

「えっと、あたし、ずっとこの街で育ってきたから、アベニューを元気にしたいんです。みなさん、北谷なんかに行かず、コザで遊んでくださいねー」

 すると通り会の関係者からも「リサちゃん、いいぞー!」

 こういったリサちゃんの、なんだか人懐っこいところがうけるんだろうね、遅刻してきたくせに、全部彼女に持っていかれてしまったなー。


 ところで、最後にダンサー4人がステージに並んで審査発表を待っているとき、わたしは誰が見に来てくれたのかなと観衆の顔を確かめていた。ジャニースの夫、ベンジャミンはもちろんベビーカーと並んでステージ近くにいた。1回しか会ったことがないけどリサちゃんの彼氏、トーニオも遠巻きに見ている。お店によく来るお客さんも何人かいた。

 そうするうち、わたしに手を振る女の子がいた。フィリピン人のミラだった。周りには同僚と思われる女の子が4、5人。キャミソールに短パン、足元はビーサンと、みんな同じ格好なのはどうしてだろう。わたしが後で会いましょうという意味で、ついブラジル式に人差し指をくるくる回して見せたけど、当然伝わらず、彼女はバイバイと手を振り行ってしまった。だけどよかった、見に来てくれたんだ。

 ステージは予定通り30分で終わり、先輩の案野さんが「うーりゃー、喜べ、朝から波が高かったから来てやったぞ」と、最後に集合写真を撮ってくれた。今日はダイビングの船が出せなかったようだ。

「ステージ見てたけど、まあよかったんじゃないか。夏のシーズンが終わったら、また歌ってやるから呼んでな」

「はい、先輩、是非とも」

 そうなのだ、いまのところ沖縄サンバカーニバル当日は、先輩にボーカルをお願いしようと夫と話し合っている。


 やがて後片付けをすますと、お店で反省会をしようということに。反省会といっても、もちろん飲み会だけど。

「べつに店のもの注文しなくていいから、みんなビールでもおつまみでも何でも買ってきておいでー」

 そういう夫も、近くの売店で買った発泡酒をすでに飲んでいる。卓は土地勘のない悠仁とユキちゃんを気にかけてか、ふたりに近くの売店を案内しに行った。ムーネーとジャイミはブラジルビールが飲みたいとそれぞれ頼んでくれたので、割引価格にしてあげた。

 そんな中、リサちゃんは、すぐに行かなくてはと言ってきた。

「すみません、夜まで、またナーナーお願いできませんか。9時には迎えに来ます」

 店の入り口には、トーニオが立って待ってる。リサちゃんはその彼氏が抱えた大きな紙袋を受け取ると、

「これ、たいしたものじゃないですけど、昨日からのお礼です」

 と、わたしに押しつけるように渡してきた。そして「すぐに迎えに来るからね」と言い聞かせながら、そばにいたナーナーをぎゅっと抱きしめると、すぐに彼氏とお店を出て行った。

「リーサー、あれ、どうなんですかねー。ナーナー、大丈夫ですかねー」尚ちゃんはちょっと呆れている様子。

「まあ、いつものことよ、それより何が入っているか見てみようか」

 ふたりで紙袋の中身を確かめると蛍光色のキャンディーやマシュマロなどがどっさり。見慣れない英語のパッケージだから、基地のPX(売店)で買ってきたんだろうね。ナーナーと勇魚に食べさせてということかな。それとは別に、四角い紙箱も。

「アキさん、これ、シナボンのシナモンケーキ。最近、人気みたいですよ。大きいから切って食べましょう」

 尚ちゃんは、まだ、みんなで食べようとは言ってないのに、もう食べる気満々だ。だから太っちゃうよの。

 結局、3個入っていたシナモンケーキを、そこにいた人数分に切り分けて食べると、男性陣は甘すぎるーと苦戦してたけど、女性陣には「シナモンの味が絶妙なんですよねー」。

 なんやかんやで、すでに帰ってしまったリサちゃんの株がまた上がることとなった。うーん、なんだかなー。


 それと、この日はちょっとお酒の入ったムーネーが、卓をずい分いじくった。

「アキさん、今日、花城婦警来てたの見ましたかー」

 確かに、彼女がアベニューを歩いているところは見かけた。あえてこちらから挨拶はしなかったけど、騒音の苦情がまたきて、駆り出されたのかなーなんて思ってはいた。

「でも今回うちは関係ないよね、通りのお祭りだもん」

「それなのに、わざわざゴリから話しかけに行ったみたいですよー」

「はー、何言ってんですかー、挨拶ぐらいしますよー、同じ高校やしー」

 卓は顔を赤らめると、椅子から立ち上がる。

「なんか、ゴリ、でーじ楽しそうやったさーねー」ムーネーもここぞと立ち上がる。

「このバカたれがー、なに言ってるー」

 そういうことか。ただし前々からわたしも夫も、そのことには気が付いていた。


 沖縄サンバカーニバルまで、あと99日。




 第9話に続く 


第8話 7月31日(土) 中央パークアベニュー
2004年発売開始のオリオン麦職人

第8話 7月31日(土) 中央パークアベニュー
キャンプ・フォスターにあるシナボンシナモンロール




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです

第9話 8月5日(木) 沖縄とブラジル

 

 

第9話 8月5日(木) 沖縄とブラジル
1908年第1回ブラジル移民781人を乗せた笠戸丸 沖縄からは325人が乗船

 うちはブラジル料理のお店なので、もちろんブラジル人のお客さんは少なくない。ジャニースのようにアメリカ軍関係者と結婚して基地に住んでいる人がほとんどだけど、基地とは関係のない日系ブラジル人も来てくれる。

 日系人は見かけは日本人と変わらないので、日本語ができる人だと、最初はブラジル人ってことはわからない。でも、料理の注文の仕方や「ブラジルはどこにいたんですか」なんて具体的な質問をされると、わたしの方からも「お客さん、ブラジルの方ですよね」ということになる。

 とはいえ、10年以上前に日系人就労ビザの取得が緩和され、群馬県にはブラジル人街ができたなんてニュースを聞くたびに、沖縄にもどんどん日系人が来そうなもんだけど、これがほとんど来てないらしい。かつてこの話をシロさんにすると、

「だって、しょうがないよ、沖縄には仕事がないんだから」

 だから、沖縄由来の日系人だったとしても、やはり本土で働いていること多くなる。

 サンパウロにいたときに聞いた、ある県系3世の笑い話。彼は日本語が話せると、自信満々で日本へデカセギに行ったつもりだったけど、

「現場監督から、お前は何を言ってるかわからないと言われて、クビになりそうになったよー」

 彼の話す言葉は、移民1世のオバーから習ったウチナーグチだったそうだ。


 今日もそろそろ7時になろうというのに、お客さんはカウンターにシロさんひとり。ただリサちゃんが開店前からダンスの練習に来てくれている。というのも、明日は商工会議所の親睦会に呼ばれているのだ。踊る曲は2曲。どちらもカーニバルのサンバだけど、見栄えのするステージにしたいので、曲のさびの部分には揃いの振り付けを入れることにした。だけどリサちゃんがまだ覚えられていないので、前日特訓というわけ。シロさんが「俺にかまわず好きにしていいよー」と言ってくれたので、客席の真ん中にスペースを作り、さすがに音量は控えめにして練習している。

 やがて、7時過ぎにようやくふたり目のお客さんが来てくれた。ナーリーさんだ。

「おー、リサちゃん。コンテスト見たよー。優勝おめでとー」

 ナーリーさんこと米須一成さんは、レガッタシャツの上に胸をはだけたアロハシャツ。オールバックの髪形に、二の腕にはタトゥーが入っているから、知らない人が見たらチンピラそのもの。だけど、根は優しく、30過ぎだけど少年のような仕草を見せることがある。

 彼は日系ブラジル3世。もちろんブラジル生まれだけど、家族でマイアミに働きに行ってたことがあるので、もちろん英語も話せる。10年ほど前から沖縄で暮らし始めたそうだ。

「リサちゃんは見かけブラジル人みたいだから、カーニバル盛り上がるんじゃない」

「じゃあナーリーさんは日系人の友達、いっぱい呼んできてくださいねー」

 ナーリーさんは、去年の沖縄国際カーニバルの大パレードに参加してくれたので、リサちゃんとも親しい。バテリアをしないかと誘ってもいるけど、残念ながら笑っちゃうほどリズム感がなくて、夫は何度も指導し、何度も断念している。
「ナーリーさんもそろそろ練習に遊びに来てよ、あとリサちゃん、もう練習終わろう。外人ふたり組が看板見てるから、ちょっと話しかけて来て」

 立て看板には日本語と英語のメニューが1枚づつ貼ってある。

「はいはい、あたし今日アルバイトお休みなのにー。ナーリーさん、アキさんって人使い荒いでしょー」

「あははは,アキさんは昔から怖いさー、オレの支払いにも厳しいしー」

 カウンター席の後ろにはふたつテーブル席があって、ナーリーさんは向かって左側の6番テーブルにいつも座る。そして必ずコロナビールを注文するので、ライムを三日月に切っていると、

「アキさん、これこれ。このビデオのパレード、うちの叔母さんが出たんですよー」

 今日もカウンターのテレビには、カーニバルのビデオを流している。いま映っているのは98年のサンパウロのカーニバル。バイ・バイというこの当時の常勝チームが、ブラジル日本移民90周年をテーマにパレードしたものだ。

「いやー、あのバイ・バイが日本人をテーマにパレードするって聞いて、そんなことがあるんだって驚きましたよ」

 すでに2杯目の生ビールを飲んでいるシロさんも、言われて映像を眺めだした。

「へー、なんか不思議な感じがするねー。ブラジルでサンバっていったら、日本と関係ない遠い外国の話だと思ってるから。でもさー、漢字とかめちゃくちゃじゃない」

 シロさんが指摘するのは、ダンサーの着る法被(はっぴ)の襟に、縦に書かれた平和という文字。偏とつくりがバラバラになって、平、禾、口の三文字になってしまっている。

「それにあの山車。あれ原爆雲だろ。原爆雲の上でダンサーが踊ってたりするのも、どうなんだろうねー」

第9話 8月5日(木) 沖縄とブラジル
日本移民90周年をテーマにパレードしたヴァイ・ヴァイ

「まあ、しょうがないですよ。誰か言ってましたけど、あえて誇張した衣装や山車を作るのがカーニバルなんですって。だからド派手な侍や忍者ばかり出てきますよ。わたしたちだってメキシコ人といわれれば、サボテンの前でヒゲに帽子にマラカスじゃないですか」

「ははは、そりゃそうかもしれない」

 結局この年、このチームが優勝を飾ったのだから、この演出はカーニバルとしては間違ってなかったんだろう。

 それに、日本が世界のどこにあるかも知らないブラジル人の友人から、「パレードを見て日本の歴史に興味を持ったわ」なんてことを言われたから、やってくれて良かったと思う。

「うちの叔母さんは、ラジオ体操のグループで出たって言ってました」

「あー、そうだったんですね、確か最後の方、阿波踊りのあとに映ってますよ」

「え、そのラジオ体操って何?」と、シロさん。

「日本人街の地下鉄の駅前広場で、毎朝ラジオ体操をするグループがあるんですよ。それで、そのままパレードに出ないかって招待されたみたいで。だからパレード中、サンバに合わせてラジオ体操してたって、ちょっとおかしいでしょ」

「ははは、面白いねー。なんでもありなんだ、カーニバルって。それに、これもいいねー」

 シロさんが見入っているのは、胸をあらわに踊る褐色の肌の「芸者」だった。


「ところで、ユージさんが欲しがってたバーベキューグリル、日曜日に持ってきますよ」

 ナーリーさんは運送会社に勤めていて、特に米軍関係者の引っ越しの仕事を専門にしている。当然ながらアメリカ本土に帰国する引っ越しを受け持つことも多く、その際、家具や遊具の処分を頼まれるそうだ。

 そういった処分品の中にはまだまだ使えるものも多く、息子用に三輪車だったり、ビーチパーティー用にクーラーボックスだったりと持ってきてくれるのだ。当然アメリカ製なのでサイズはかなり大きめ。以前、電動ミキサーももらったけど、日本の電圧でもちゃんと使えている。

 今回のバーベキューグリルというのは、夫が店の前でブラジル風の串焼きを販売してみたいと頼んでいた。

「バーベキューグリルかー。話聞いてると、アキさんたちも沖縄っぽくなってきたねー」と、シロさん。

「空港通りでアメリカ兵向けに、屋台で焼き鳥売ってるじゃないですか、紙コップに入れて。まあ、それの真似なんですけど」

「いやー、そっちじゃなくてさー。ほら、昔、この辺りは家具屋さんが多かったって知ってる?」

 言われてみると、確かに国道沿いに奥間ベッド店という看板は出ているし、その近くのボーリング場の横にも、材木置き場があった気がする。

「それはさー、アメリカ本土から大きなものが運ばれてくるとき、木枠で囲われてくるんだけど、昔はその木枠を基地からもらってきて、それで家具を作ってたんだなー」

「基地から物をもらってくる点では一緒ってことですね、まあそうかも」

「一緒、一緒。ねえ、戦果アギヤーってわかる?」

「聞いたことあります。戦後すぐ、沖縄の人が飢えていたとき、米軍の倉庫に忍び込んで、食べ物を盗んでたって話ですよね」

「そうそう、それをみんなで分け合ったという話。アギヤーはもともと追い込み漁のことなんだけど、この場合、魚じゃなくて軍事物資を取ったんだねー。ちょっと違うけど、ナーリーは平成の戦果アギヤーだねー」

「いやいや、シロさん、それ誉め言葉になってないですよ、オレは盗んでないですから」と、首を横に振るナーリーさん。

「そーかなー、コロナビールの話、林栄から聞いてるぞー」

 実はお店をオープンさせた当所、夫が基地に出入りするナーリーさんに頼んで、PXでコロナビールをケースで買ってきてもらっていたことがある。もちろんお店で売るために。日本の酒屋さんでは1本250円くらいで売っているのが、PXでは80セントぐらいで買える。当時のドル相場で計算しても100円しない計算だった。わたしは始めからやめなさいと言ってたんだけど、そのうち、林栄さんにボトルの裏側に日本語の記載がないのを見つけられて、

「これって密輸になるから、ユージさん、捕まるよー」

 アベニューで代々、真面目に商売する照屋楽器さんに言われてはと、さすがの夫も慎むことにしたんだけど。

第9話 8月5日(木) 沖縄とブラジル
国道330号線沿いにあった奥間ベット店

 このコロナビールの一件は褒められたものではないけど、この通りに来てから、どういうかな、沖縄の人たちのたくましさ、というか、したたかさを日々感じている。戦後から続くお店が、どうしていまも生き残っているのかなと思うと特に。

「シロさん、ちょっと聞いてくれます。ナーリーさんもリサちゃんも。みなさんからアイディアが欲しくって」

 リサちゃんはひと組だけだけど手伝ってくれたので、カウンターでまかないのご飯を食べてもらっていた。

「沖縄サンバカーニバルのテーマなんですけど、その戦果アギヤーはともかく、なにか沖縄のたくましさをテーマにできないかなってずっと考えていて」

「沖縄のたくましさねー。ナイチャーは沖縄のちょっとしたことで驚いたりするけど、まあ、付き合ってあげようか。基地がらみのテーマにするの?」

 いままでさんざんカーニバルのビデオを見せた甲斐あってか、シロさんも乗り気になってくれているようだ。

「そうなっちゃうかな。でも、もっとプラス思考で。木枠が家具になったりする話、おもしろいですし、あと前に、ひめゆりの塔に行ったときに平和祈念館で、米軍のパラシュートで作ったっていう、シルクのウエディングドレスの展示を見て、たくましいなーと思って」

「アベニューなんだから、やっぱりAサインはどうです。ニューヨークレストランとかまだあるし」

 と、ナーリーさん。そのことは、わたしもすでに考えたんだけど、

「いや、Aサインはちょっと重たいよ」

 すかさずシロさんが意見する。シロさんはAサインのお店がレストランだけじゃないことを言ってるんだろう。アベニューは夜の町でもあったからね。

「もっと、子供に話しても面白がってくれるのがいいですねー、参加者集めるにも話がしやすいのが」そうわたしが提案すると、

「それなら、缶から三線ってどうですか」

 と、リサちゃんがまかないを食べる手を止める。

「あたしもテーマずっと考えてて、沖縄っぽくて楽しいのって何かなーって考えてたら、ナーナーが学校で缶から三線もらってきて」

 沖縄の小学校では缶から三線の組み立てキットが教材として配られ、図工の時間に作り、音楽の授業で演奏される。

「あー、いいんじゃない、リサちゃん。『みんなのうた』でビギンの曲、流れてるよね」

 ナーリーさんが言いたいのは『カンカラ三線うむしるむん』だろう。最近、小学校の課題曲になっている。

「そういうイメージだったら、基地っぽくならないかもねー」

 これにはシロさんも賛成してくれているようだ。

 わたしが読んだ本では、戦後、石川や屋嘉などの収容所で、空き缶と木材、パラシュートの紐などを利用して三線が作られ、人々の心の傷を癒したと書いてあった。屋嘉節という有名な民謡は、収容所内で缶から三線で作曲されたという。

 だから本来、戦争のイメージが強いものなんだけど、今日に至っては簡単に作って楽しめる楽器として、特に子供たちに人気なようだ。

 うん、いいかもしれない。今度の日曜日は、練習会のあとにテーマ会議を予定しているので、リサちゃんから提案してもらおう。

「でも、缶から三線がサンバのテーマなんて、おれらウチナンチューからするととっても変。フランス料理屋でゴーヤーチャンプルーが出てくる感じかなー。ほんと何でもありなんだねー」

 シロさんは、3杯目はキープしている泡盛の水割りを口にしだした。

第9話 8月5日(木) 沖縄とブラジル
学校教材用としても利用される缶から三線

 やがて8時を回り、リサちゃんは中の町へと出勤していった。リサちゃんが店のドアを閉めるのを見届けてから、

「そういえばアキさん、リサちゃん彼氏できたみたいだね」

 ナーリーさんは先週のコンテストで、リサちゃんが彼氏といるところを見かけたらしい。

「アントニオっていうんですって。海兵隊(マリーン)だったかなー」

「よかったじゃないですか。でも、前に見たことあるなー、どこでだったっけ」

 そう言いながらブラジルが懐かしくなったのか、2本目は珍しくブラーマを注文してくれた。 


 沖縄サンバカーニバルまで、あと94日。




 第10話に続く 


第9話 8月5日(木) 沖縄とブラジル
ブラーマビール 当時のデザイン




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです

第10話 8月6日(金) YMCA

 今日のイベントは沖縄市商工会議所の親睦会、というか立食パーティー

 ドリームショップ・グランプリは商工会議所が主体となった企画だったので、この4年間、何かとイベントに呼んでもらっている。そりゃー、幸江さんがいうように客寄せパンダかもしれないけど、毎回、きちんと出演料がもらえるのでほんとありがたい。

 会場はコザ運動公園の体育館。役所関係の100人、200人といった大きな立食パーティーはここで行われることが多い。夏でもてびちの入ったおでんや、ブタの丸焼きがなどがドンと並ぶ。

 今年はコザ市美里村が合併し沖縄市が誕生した1974年から、ちょうど30周年。沖縄市商工会議所は、団体の発足自体は戦前に遡(さかのぼ)るんだろうけど、本土復帰して新しい日本の法律の適用を受けてから創立30周年ということらしい。

 今回は5時に市長の簡単な挨拶と乾杯があって、そのすぐあとにステージをするよう頼まれていた。ただしバテリアのメンバーのほとんどが仕事中なので、音源を使ってダンサーだけですることに。出演するのはわたしとリサちゃん、そして職場を早退してくるいずみちゃん。

 いずみちゃんは郵便局の職員だけど、商工会議所のイベントだというと簡単に上司の許可が下りたそうだ。それと、ナーナーもステージに立ってもらうことにした。

 4時には4人とも会場入りし、ちょっと老朽化した女子更衣室でスポーツ選手になった気分で着替えていると、幸江さんが部屋を訪ねてきた。

「今日は一応、世話になっている商工会議所だから、あんたたち、いつも以上に頑張んなさいよ、アベニューの宣伝ためにも」

 幸江さんは、通り会の事務員として出席するものの、会場設営の手伝いにも駆り出されたらしい。手にはパーティー用のサンドイッチがひと皿。差し入れに持ってきてくれたようだ。

「それと、この街のお偉いさんがいっぱい来るから、顔を売り込むことね。サンバカーニバル立ち上げるんだから、何かと寄付してもらったらいいよ」

「あたし、今日来る人、結構知ってますよ。うちのお店のお客さん多いはずです」

 リサちゃんが働く中の町のお店は、会社の管理職クラスが接待に使うことも多いそう。中の町のナンバーワンホステスを目指しているという彼女としては、今日はキレキレのダンスを披露したいところだろう。

「そういえばアキさん、新里の社長さん来るって言ってたから紹介しますね」

「そうよ、打ち上げ用の島酒(しまー)、頼んだらもらえるはずさー」

 リサちゃんと幸江さんが言うには、新里酒造の社長は気前がいいので、カーニバルのあとの打ち上げ用に島酒、つまり泡盛がもらえるんじゃないかということ。ほかにもサンエーの役員さんやA&W(エンダー)の社長さんも来るらしい。

 そんな会話をしていると、今度は思いかけずダンススタジオ・ケンの健司さんが訪ねてくれた。片手に2本ずつ、さんぴん茶のペットボトルが4本。

「あれー、健司さんもなんか出し物をするんですか?」わたしが少し意外な顔をして見せると、

「いえいえ、今日は何というか、あいさつ回りなんですよ」

 確かに落ち着いたよもぎ色のかりゆしシャツにスラックスという、沖縄での正装だ。あとから聞くと会場へは幸江さんと一緒に来たらしい。

「ちょうどあたしが通り会の事務所から車を出すところに、会長から健司君乗せってって頼まれて。結構、いやいやそうだったねー」

「いやとは言ってませんけど、父親はなんか威圧的でして。ボクはなんかこういうところは苦手なんですよねー」

「さっき聞いたけど、会長から市議会選に出ろって言われているみたい」

「あんまり言わないでくださいよー。選挙まであと2年ありますし、父親が騒いでるだけです。とにかくアキさん、顔を見に来ただけです。ステージ頑張ってくださいね」

 ふたりは受付を手伝いに行かなくてはと、すぐに部屋から出ていった

「健司さん、髪の毛黒くしたみたいですね」

 リサちゃんがサンドイッチをつまみながら、わたしにそうつぶやいた。そういえば前は結構な茶髪だったっけ。

第10話 8月6日(金) YMCA
てびちのおでん

 そうこうしているうちに5時になり、仲井真沖縄市長の挨拶が始まった。

「本日はみなさんお集まりいただき、誠にご苦労様です…」

 わたしたちは受付横の出入り口へ移動し、いつでも入場できるようにスタンバイする。

「さて、国内外とも厳しい社会経済環境下ではありますが、本市の未来を創る三大プロジェクトの推進には、今後とも全力を傾注してまいります。先ず、東部海浜開発事業につきましては、中断しておりました埋め立て工事の再開に向け…」

 選挙演説のような感じで始まった挨拶を聞いていると、いずみちゃんが、

「アキさん、この三大プロジェクトって知ってます」と聞いてきた。

 泡瀬干潟の埋め立てと、こどもの国の整備、それと胡屋十字路にコンサートホールを作ることだそうだけど、わたしは泡瀬とコンサートホールのことは知っていた。

泡瀬干潟の埋め立て、まだやろうとしてるんですね。あんなところ埋め立てたって企業誘致なんてできないのにー」

 いずみちゃんは泡瀬に住んでいるので、すでに干潟を突き刺すように作られて、いまはほったらかしになった土砂運搬用の仮設橋を毎日見るのだそうだ。

「なんか、夫も自然破壊だって言ってたことがあるなー。以前はよく、泡瀬にあさりを獲りに行ってたし」

沖縄市って基地に賛成だし、泡瀬埋め立て推進だし、それを商工会議所も後押ししているみたいで、なんかおかしいですよね」

 それを横で聞いていたリサちゃんは、

「でも、そういうのがないと中の町は潤わないんですよ。あたしも時々わかんなくなるときありますねー。借金抱えたホステスには、絶滅する海藻の移植うんぬんなんてどうでもいい話ですから」

「リサちゃんは、賛成なの、というか借金あるの」と、わたしが尋ねると、

「賛成ではないです。借金もないです。それでも、お客さんは大切です。でも、やっぱり自然は大切です」

 中の町のナンバーワン候補は、行政のしがらみの中で生きてるんだねー。


 やがて、乾杯の一声がとどろくと、わたしたちの出番となった。BGMがかかり、出入り口の扉が大きく開く。

「じゃあ、みんな行くね」

 わたしを先頭にひとりずつ会場へと飛び出していく。そして、お客さんの間を縫うように踊りながら、ひな壇へと向かう。大きな拍手とともに指笛が鳴らされる。振り向くとナーナーも小さな背筋をピンと伸ばして堂々と踊っている。リサちゃんが作ってあげた青いビキニに、頭と背中の羽根飾りがかわいい。

 ひな壇にたどり着くと、ナーナーをひとり前にして、大人は後ろに横一列に並ぶ。今回は十分間で二曲を踊る段取り。一曲目は何度も練習した曲なので、みんな体が勝手に動いていく。

 わたしはサンバを踊る時、いつもブラジルの街並みを思い浮かべている。地下鉄の乗り換え駅、青空市場(フェイラ)の雑踏、黒人の目、白人の目。いろいろな目に見つめられていると感じたとき、強い気持ちで自分を大きく見せようと心がける。日本人のわたし頑張れ。すると手足がもう5センチ大きく動く。顔が上を向く。

 なーんて、かっこつけちゃったけど、今日みたいに立食パーティーで踊るのはなかなかやりにくいもの。みなさん料理を取るのに夢中になってたり、名刺交換をしながらペコペコ頭を下げていたりと、ちゃんと見てくれるわけではない。健司さんですら比屋根会長に連れられて、あいさつ回りをしているではないか。ただ、幸江さんだけはもっと踊れーって顔をして、しっかりこちらを睨みつけてるけど。

 ということで、2曲目はひな壇を降りてお客さんの中に交じって踊ることにした。その方が盛り上がるのだ。もちろんこれは想定内。ただ、お客さんの中には肌に触れてきたり、タバコの火に無頓着な人がいるので、わたしはちょっと苦手なんだなー。

 それでも出演料がもらえるしと、もう一度、ブラジルの街並みを思い浮かべる。手足が動く、笑顔が出る。2曲目は新しく振り付けをつけた曲だけど、いずみちゃんは頑張って覚えてきたようだ。お互い立ち位置を変えようと合図すると、淡々とそれに従ってくれる。

 ナーナーにはずっとひな壇にいるように伝えていたけど、その通りにひとり頑張って踊っている。振り付けは無理にしなくていいよと言ったせいか、その分、自由に大きく踊っているようだ。小2にしてはほんとしっかりしている。

 ところでリサちゃんはと探してみると、片手にビール瓶を持って、知り合いを見つけてはお酌して回っているようだ。前にもそれと同じことをして注意したことがある。でも、こっちを見る気配などまったくないので、注意のしようもない。

 やがて、2曲目も終了し、わたしといずみちゃんはひな壇に戻って、ナーナーと3人、膝を折りぺこりと頭を下げる。するとリサちゃんが音響の係の人のところに駆け寄って、MDを渡しているのが見えた。

「アキさん、すみませんが、もう1曲付き合ってください」

 わたしが何を始めるのと質問をする間もなく、流れてきたのはホーンセクションのイントロ。すぐに西城秀樹のYMCAだとわかった。

「さー、みなさーん、歌いさびらー、踊(うどぅ)やびらー」

 リサちゃんがひな壇横のマイクスタンドを使って、歌いましょー、踊りましょーと呼びかける。するとお客さんの中から拍手がわき起きる。聞きなれた曲だからか食事する手も、名刺を渡す手も一斉に止まったようだ。すぐに4人のほろ酔いの男性客がひな壇に押しかけてきた。わたしたちは、わけのわからないまま曲に合わせてステップを踏み続け、やがて秀樹の歌声は、あと少しでサビの部分へと。

「さー、みなさん、いきますよー」

 リサちゃんの掛け声で、ほろ酔いの4人は両手をまずはYの字に広げた。そして会場全体ではないけど、多くのお客さんがYMCA。会場に照れ笑いの交じった歓声が響く。そして、もう二度、三度とYMCA。やがて音響の係の人が盛り上がったところでタイミングよく曲を止めてくれて、ようやくステージが終了。拍手に混じって「イェー!」という叫び声がした。

 そのあとはステージ恒例の記念撮影。プロのカメラマンの仕切りで、真ん中に仲井真市長、その両脇をわたしたち、周りには一緒に撮りたいというパーティー参加者が30名ほどが並ぶ。先ほどの4人はすでにYMCAの文字を作っている。

「はーい、みなさん、にっこり笑ってくださいねー」

 そう言われたけど、わたしははっきりいって苦笑いだった。リサちゃんめ、後でなんて言ってやろうか。

第10話 8月6日(金) YMCA
沖縄こどもの国 入口

 更衣室に戻ると、わたしの機嫌を当然察してか、すぐにリサちゃんの方から駆け寄ってきた。

「すみません、打ち合わせちゃんとしてなくて。あのMD、中の町のお客さんが持ってくるから会場でかけてって言われてたんですけど、ほんとに持ってくるとは思わなくて、でも…」

「でも?  確かに盛り上がったとは思うよ。でも、ぐちゃぐちゃだった。わたしたちサンバしに来てるんじゃないの」

「ちゃんと2曲は踊ったじゃないですか」

「あなた、2曲目踊ってなかったじゃない。ずっとお酌してたじゃない、見てたんだから」

「ずっとじゃないです。それにあたし…」

「だいたい2曲目の振り付け、覚えてこなかったんじゃないの。昨日あんなに注意したのに。で、なによ」

「いえ、いいです。振り付けちゃんとできてなかったところは、ごめんです。次は気を付けます」

「次って、この前も次って」

「ほんと、ふん、ごめんです…」

 わたしはつい怒りすぎたかなと、逆に言葉に詰まってしまった。でもわたしが謝るのもおかしい。そうして4人が無言の中で着替えていると、幸江さんが再びやって来てくれた。

「さあさあ、お偉ら方にあいさつ回りしに行こう、ごちそうも食べれるよー」

 わたしはお店があるので、あいさつ回りはリサちゃんん頼むことにした。リサちゃんの方が適任だろうし。それに、うちのアルバイトを休むことになるけど、これ以上わたしに小言を言われるよりはましでしょう。


 そうしてナーナーはわたしが夜間保育園に連れていき、何とか7時前にお店に戻ることができた。すると、先に帰ったはずのいずみちゃんがカウンターに座っていた。

「アキさん、お疲れ様でした。今日はこっちでご飯食べていきましょうねー」

「何かあったらしーなー、それで来てくれたみたいだよー」

 まだ他のお客さんは来ていないので、彼女はしばらく夫と話をしていたようだ。

「いや、そんなわけじゃないですけど、でもアキさんが愚痴を言いたいんじゃないかなーって思って」

 いずみちゃんは車なのでガラナを飲んでいる。夫は彼女の注文を作りに厨房へ行ったので、代わりにわたしがカウンターの中に入る。

「うーん、どうしようかなー、愚痴言ってもいいならこの際言わせてもらうけどー」

「どうぞ、どうぞ」

 会場にいたときは結構カチンと来てたんだけど、セーレーを夜間保育園に送ったりしてるいるうちに、だいぶ気持ちは収まって来ていた。いずみちゃんがわたしをなだめに来ているのは明白なので、ここはきちんと言葉を選んで話そう。

「まず許せないのが踊りもしないでお酌して回ってたことね。だって、わたしたちコンパニオンで行ってるわけじゃないでしょ」

「そこは私も驚きましたけど。でも、顔なじみのお客さん見ちゃうとお酌せずにいられなくなっちゃうんですかねー」

「あの子、2曲目の振り付け覚えてこなかったことわかってるの。だからごまかしたのよ」

「私もそうじゃないかとは思いました、そこはだめですねー。私だってずい分苦労して覚たんですから」

「で、YMCAなんだけどさー」

実は前々からリサちゃんから、中の町の店であの曲かけてるとお客さんが盛り上がるっていうのは聞いていた。だから、いつかやりましょうとも。

「確かに今日はあの曲が一番盛り上がったと思う。うん、悔しいけどそれは認める。でも、まずはサンバをきちんと練習してからやるべきじゃないかなー」

「ああ、よかった。アキさんもっと怒ってるのかと思ってた。」

 いずみちゃんは下を向いてニコッと笑った。

「じゃあ、遠慮無く私からも言わせてもらいますね。アキさんはブラジルでコンテストに出て入賞もして、だから私はアキさんにサンバ教わりに来てるんですけど、でもそれと今日のイベントは別ものですよ」

「別もの?  うん、そうね、聞かせて」

「そのー、アキさんのはブラジル人が楽しめるサンバかもしれませんけど、リーサーのはウチナンチューを楽しませるサンバっていうか。今日、1曲目はそれなりにみんな見てくれましたけど、2曲目はほとんど盛り上がってなかったじゃないですか。今日のお客さん、サンバ見たくて来たわけじゃないですからね」

 もちろん商工会議所のコネで呼ばれているだけで、是非とも本場のサンバを見せてくれとまでは言われていない。そんなこと4年前からわかっている。だけど、

「それを言っちゃうと、何のために練習してるのか、わかんなくなっちゃわない」

「まあ、それはそうなんですけどー」

 すると思いかけず、尚ちゃんがお店にやって来た。

「いずみーが急に来なさいっていうから。まだ浦添の会社にいたんで同僚に送ってもらいました。すぐでしたよ」

 そう言うと、いずみちゃんの横に座り、生ビールを頼んでくれた。尚ちゃんは結構、お酒を飲む方なのだ。早速、いずみちゃんがこれまでのいきさつを話すと、

「わたしー、アキさんがしようとすることに賛成です。やっぱり本物のブラジルのサンバをみんなに紹介したいと思います。でなくちゃポルタやっててもしょうがないですもんねー」

 尚ちゃんにはポルタ・バンデイラといって、サンバチームの旗を持って踊る役をお願いしている。これはビキニではなくウエディングドレスのようにスカートが大きく広がった衣装を着用する。かつて富裕層の舞踏会のドレスに負けまいと、ポルタ役のお手伝いさんが、テーブルクロスで作ったのが始まりだそうだ。

 だから、なにか意地のようなものが込められているんだけど、これがサンバチームの大事な役ということを、知っている人はまずいない。

「でもリーサーのこともわかります。何ていうんですか、沖縄のノリとでもいうか。わたしー、最初はパシスタがしたくて来ました、はい。あんな衣装着て踊れたらたのしいだろうなって。でも、だめですよね、わたしー、きれいじゃないんでー」

「またー、ナーオー、急に何言いいだすかなー」

 いずみちゃんが尚ちゃんの丸い背中を、優しくポンとたたく。

「はは、でも、もしわたしーが踊ったら、沖縄の人は笑って拍手してくれると思うんです。楽しんでくれると思うんです。ブラジルじゃそれはダメでも。沖縄はそういう温かいところはあるかと思います、はは。何言ってるかわからなくなりましたねー、アキさーん助けてー」

「わかったわかった、尚ちゃん、なに、もう酔っぱらっちゃったの」

「アキさん、だからチャンプルーでいいんじゃないですか、沖縄とブラジルのチャンプルーで。ウチナンチューってカチャーシー踊るでしょ。カチャーシーはなんでもかんでも場をかき混ぜるんです。サンバチームがサンバだけしていたら、場はかき混ざらないんです。沖縄でサンバするなら、いろんなものをかき混ぜちゃいませんか」

 もちろんそんなことは、いずみちゃんに言われるまでもなくずっと考えていた。そして、そうしているつもりだった。でもそれでは、ブラジルであんなに頑張った5年間が、否定されてしまうのではという気持ちがどこかにあった。そして、いま、この瞬間にも。

「うん、わかった、言ってくれてありがとう、いずみちゃん、尚ちゃん」

 わたしはまだまだ沖縄には馴染んでないんだなと、いまさらながら思った。ただ、みんながわたしを受け入れようとしてくれていることは感じる。あとはどうするかは、やっぱり自分次第だなー。

「はい、お待たせー、いずみちゃんの料理。尚ちゃんぐらいふくよかになった方がいいから、ご飯特盛りにしといたよ」

「えーなんですかーこれ、食べれませんよー」

「じゃあ、尚ちゃんにあげて」

「ユージさん、わたしーをもっと太らすつもりですかー」

 厨房でやり取りをずっと聞いていたであろう夫が、気を聞かせて場を和ませてくれた。ありがとうね。


 沖縄サンバカーニバルまで、あと93日。




 第11話に続く


第10話 8月6日(金) YMCA
新里酒造の琉球泡盛かりゆし




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです

第11話  8月13日(金) 米軍ヘリ墜落

 いずみちゃんと尚ちゃんと話ができたせいもあり、次の日にアルバイトに来たリサちゃんとは普段道りに顔を合わせられた。リサちゃんも別にわたしに臆することもなく、

「アキさん、新里酒造の社長さん、いい手応えでしたよ。カーニバル近づいたら、連絡くださいって。新商品の宣伝をしたいとか何とか言ってました」

 と、あのあと立食パーティーでいろんな人に会ったと話してくれた。

「さすがリサちゃん、ありがとう。島酒(しまー)もらえたら、リサちゃんが一番飲んでいいよ」

「やったー、ありがとうございます、ははは」

 いつも思うけど、彼女は世渡り上手というのかなー。もちろんいい意味で。見習うべきところはあるといつも感じる。

 日曜日の練習会にも、珍しく遅刻せずにやってきて、新人ダンサーのユキちゃんに色々アドバイスをしてくれた。いつもはわたしの妹のような感じだけど、年下のユキちゃんに接するときは、なんだかお姉さんのように貫禄があっていい。一緒についてきたナーナーも、お店の中でお姉さんじらー(ずら)して勇魚と遊んでいた。

 この日は練習会を4時には切り上げ、お店の客席を使って、なかなかできずにいたテーマ会議をすることに。

 前々からテーマは沖縄に関することというのは決めていた。また歌詞は基本的に日本語ということも。この方針はわたしと夫の間で譲れないところだったけど、東京のサンバチームに入っていたいずみちゃんが、

浅草サンバカーニバルに出るのに、毎年ポルトガル語の歌詞覚えなくちゃいけないんですけど、これが大変で。それに、ちゃんと覚えたからって、それを聞いてくれる観客には意味が分かんないじゃないですか。だから、日本語の歌詞、いいと思いますよー」

 まさにわたしたちの意見を代弁してくれた。もちろんはなから日本語に反対する人はいなかったんだけど。

「ならば、方言も入れちゃいましょうよー、なんか楽しくなってきましたねー」

 さらに、ムーネーがそう提案してくれた。それももちろん考えてたことだけど、うん、いい流れだ。

 会議では前々から、夫を除いてひとりひとつずつテーマを出すようお願いしていた。夫が出してしまうと、もうそれに決まってしまうような気がして。

 その中でユキちゃんが出した「紅型(びんがた)」、卓が出した「国道58号線(ごっぱち)」、そしてリサちゃんが出した「缶から三線」の三つに絞られることになった。「アイスクリーム」や、わたしが出した「マリンスポーツ」は没となった。まあ、このふたつはちょっと普通過ぎたかな。

 伝統織物の「紅型」はやはり女性陣には好評で、紅型の布地でビキニを作ったら面白いとか、結婚式と結びつくかなーなどの意見があった。

 「国道58号線(ごっぱち)」の方は男性陣に支持されてたようで、沿道にあるブルーシールのお店やA&W(エンダー)のドライブインなど、人気のお店を歌詞に入れてはとの意見が。卓が免許取って初めてしたドライブデートの話をしたら、「相手は花城婦警か」と、ムーネーにからかわれていた。

「缶から三線」については、沖縄の歴史だったり、芸能だったり、学校教材だっだたりと掴みどころがないなーとの意見が。それでも「逆に壮大なテーマですねー」と、尚ちゃんは気にっていたようだ。

「じゃー、来週の練習会までに、みんなそれぞれについて考えてきてよー。具体的にどんなことを歌詞に入れるのか。歌詞に合わせてどんな衣装や山車を作るのか、そしてそれは、予算の面も含めて実現可能なのか」

 そう言う夫は、すでに「缶から三線」を今年のテーマに決めていたようだ。巨大な缶から三線を作って山車に乗せたら面白いと、広告の裏に設計図を書き始めていた。

第11話  8月13日(金) 米軍ヘリ墜落
A&Wのドライブイン・レストラン

 というのが先週の土日の話。そして今日は8月13日金曜日。全国のお盆休みとペイデイが重なる週末だ。今年一番とはいかなくとも、かなりの売り上げを期待したいところ。13日の金曜日は不吉っていうけど、わたしは信じちゃいないし。

 そんな日だけど、わたしたちは午前中から読谷のユーバンタの浜に来ている。夫と夏休み中の息子はもちろんだけど、今回は幸江さんも一緒だ。

 夫はこの浜の紫色のアサリをバケツ一杯獲るんだと意気込んでいる。お盆の時期には、東京や大阪からサンバつながりの知り合いが家族連れできてくれることが多く、すでに土、日には3組の予約が入っている。

 そこで、この浜の貝で作ったボンゴレ・スパゲッティーを振る舞おうと考えてるようだ。今日は12時が干潮。息子にもくま手を渡し、さっさと海へ入っていった。

 わたしと幸江さんはというと、ビーチグラスを拾いにやって来た。というのも、アベニュー通り会では小学生の夏休みの宿題のお手伝いとして、ビーチグラスを使った工作教室を開催することになったのだ。

 ビーチグラスは枝サンゴのかけらと組み合わせ接着剤でつけていくと、簡単なものでは小物入れ、複雑なものではランプシェードが作れる。それにこういった活動は、空き店舗の活用にもなるんだそうだ。

 今日も朝から天気がいい。アメリカ人の家族連れがひと組、母親とふたりの娘が花柄のビキニ姿で砂浜に寝転んでいる。それとは対照的に、幸江さんは黒の長袖シャツに麦わら帽子。わたしは普通にTシャツに短パンだけど。

「幸江さーん、そんなに焼けるの嫌ですかー」

「当たり前じゃないの、シミでも出来たらどうするのって、もうしみだらけだけどね。あなたも気にした方がいいわよ」

「わたしはもう手遅れですから。学生時代、ダイビングクラブなんで」

「あんたはいいわよー、結婚して子供も産んでるから見かけ気にしなくてー」

「それって、なんか悪口言ってません」

 たわいのない会話をしながら、ビーチグラスを拾っていく。潮が引いているので広い範囲で探すことができる。茶色いものが圧倒的に多いけど、これはビール瓶の欠片だろう。緑や青はワイングラスやリキュールの瓶じゃないかな。たまに赤い欠片があるとラッキーだけど、いったい何の瓶なんだろうか。小一時間ほどでバケツ半分ほど集まった。

「もうこれくらいでいいんじゃない、ほかのお店の人も集めてくるし。これにサンゴ足したらいいよ。サンゴは山ほど落ちてるからねー」

 幸江さんは、一服しようよと、夫のクーラーボックスから缶ビールを取り出す。

「最初に飲んだ方が勝ちさー、帰りの運転、ユージさんに任せちゃおーねー」

 夫と息子は、いまだ貝獲りに夢中になっている様子。わたしたちふたりはこの浜にかろうじて生えているアダンの木陰に腰かけた。

第11話  8月13日(金) 米軍ヘリ墜落
ビーチグラス

「ところで、先週の商工会のパーティーで、リサちゃんに怒ったんだってー」

「怒ったってほどではないですけど」

「いやー、よかったと思って。アキさん、言いたい事はちゃんと言ったほうがいいよー。リサちゃんはちょっと無責任すぎ。土着人ふぇすたの時だって遅刻してきたし。でも、きつく言えないんでしょー、よそもんって思われたくないから」

「いやそんなことないですよ、リサちゃん、結構わたしを助けてくれてます。わたしの方が多分融通が利かないみたい。すぐにきついことを言うんでメンバーから引かれてますよ。ようやく、うちなータイムにも慣れてきたし、もっと、沖縄に溶け込まなくちゃなーて考えるようになってきてまして」

「バカ言ってんじゃないわよ。あんたは溶け込まなくていいの。ブラジルのことをやってくれればそれでいいよ。沖縄サンバカーニバル開催だって、あんたがきちんとブラジルでサンバ習ってたってところを文化観光課に認めさせたんだから。カーニバルでYMCAやられても困るのよ、わかる」

 その点はわたしも悩んでいた。ブラジルらしさをきちんと残さなければ、何のイベントなのかわからなくなる。

「でも、チャンプルーも大事だよって、沖縄はカチャーシーだって、この前メンバーに言われたばかりで」

「だっからさー、チャンプルー、カチャーシーってねえ、意味わかってんの。チャンプルーはいろいろなものをごっちゃに料理しても、煮崩れしちゃダメなの。だから固い島豆腐を使うんじゃない。サンバという豆腐がぐじゃぐじゃになったら、料理じゃなくなっちゃう。あなたはひたすら本物のサンバをやってちょうだい、固い島豆腐のような。チャンプルー、カチャーシー、そんなことはわたしに任せなさい。だいたい、ウチナンチューじゃないあんたに、そんなこと求めてる人なんていないからねー」

 それもわかっている。幸江さんの言うことは、本当はわたしが言いたかったことだし、言うべきことだとも思う。

「幸江さんって、わたしよりナイチャーかもしれませんね」

「なに、それって、誉め言葉、けなし言葉」

「うーん、両方かなー、ははは」

 そうこうしているうちに、夫と息子がバケツ一杯にたまったあさりを見せにやってきた。

「ひどいなー、ビール飲んじゃって。まあいいですよ、今日はレディース・デイということで」

 夫は悔しそうな顔をすることもなく、先輩の案野さんに会いに行くといって、息子とゲートボール場へ通じる階段を昇って行った。

「じゃ、お言葉に甘えて、もうひと缶飲んじゃおうか」

 わたしはまだひと缶目を飲み切ってなかったけど、幸江さんにはふた缶目を取ってあげた。

「そういえば、幸江さんの話し、聞かせてくれませんか」

「話って、別に大した話なんてないわよ。なに、どうして結婚もせずアベニューで働いてるかって、ははは」

 幸江さんは、コザ高を卒業した後、京都の短大に入学し、卒業後は大阪の会社に就職。その会社で知り合った同郷、つまり沖縄出身の男性と結婚したものの、1年で離婚したそうだ。「あんなマザコンとは思わなかった」らしい。

 その後、親に再婚しろと沖縄に連れ戻されて、何度か見合いのようなものをさせられたんだけど、この人ならという人に出会うことはなかったと言う。

「まあ、実はさー、話はそんなに簡単じゃなかったんだけどねー」

「大恋愛でもしたんですか、はは」

「バカ言わないでよー、あたしさー、流産しちゃったんだよ」

 離婚のきっかけは、その流産だったそうだ。

「RHマイナスってわかる、200人にひとりの割合なんだって、あたしの血液。ひとり目の子は問題ないんだそうだけど、ふたり目からは産むのが難しくなるんだって。だから、ひとり目失敗しちゃったから、向こうの親の風当たりがきつくなって、いろいろあって、あたしの方から別れてもらったんだよ」

「そうだったんですかー。いや、なんかすみません。しなくていい話させちゃって」

「ははは、気にしなくっていいよー、もう10年も前の話だから。でも、生まれてくれてたらさ、来年一三祝いだと思うと、ついつい考えちゃうことはあるけどねー」

 沖縄の小学校では5年生の3学期に、PTAで子供たちの成長のお祝いをする習わしがある。ちょっと早いけど、わたしも息子が祝ってもらえる日が来ることを、心待ちにしている。だから、幸江さんの話には、なんだか申し訳ない気持ちになった。

「旦那の名前に太陽の陽の字が入っていたから、子供にも陽気になるようにって、陽の一字をつけようと思ってた。男でも女でもね。だけど、バッカみたい、その旦那が結局、あたしのこと最後まで助けてくれなかった。トートーメーだったからさー」

 沖縄では男尊女卑の風潮が強いんだと言う。幸江さんにも三つ違いの兄がいるそうだけど、トートーメー、つまり長男は甘やかして育てられるのに、嫁や娘はぞんざいに扱われるんだと。盆や清明祭(シーミー)の時に、料理作ってお酒用意するのは女。それを食って飲んで酔っ払うのが男。

「まあ、昔の旦那や子供の話はここまでにしてよ。だけど、あんたもナイチャー、ナイチャーってなにかと言われてるかもしれないけど、沖縄の女も結構いじめられてるんだよー」

 かつてアベニューの空き店舗を改築するとき、入り口付近の舗装をタイルでしようということになり、デザインを任された幸江さんは、ガウディーの建物をイメージして、モザイク調に、つまりいろんな色のタイルを細かく割って組み合わせていこうと提案したそうだ。ところが左官屋さんからは、

「タイルを壊すなんて、そんなやり方聞いたことがない。内地に行ってたか知らないけど、女のくせに男に口出しをするもんじゃない」と、槍玉に上がったそうだ。

「とにかく、沖縄の男は、甘えんぼで田舎もん。なんくるないさー、テーゲー、ウチナータイム。こういうのって、全部、言い訳でしょ。それを言うのが沖縄のいい加減な男たち。だから街がだめになっちゃったんじゃないの。ちゃんと勉強して、努力して働かないと、街の活性化なんてできるわけないじゃない」

「ははは、今日は結構言いますねー」

「あんたが笑う事じゃないよー、あの街で難儀してるのは、あんただけじゃないって言ってあげてるのさー」

 そういって、缶ビールを差し出してきたので、わたしの缶とカチンと合わせた。

「リサちゃんだってそうさ、あの子ハーフだろー。沖縄ではね、ハーフの子は大体小学校でいじめに会うの。お前のお父さんがうちのオジーを殺したーとか言われて。リサちゃんあんな明るく見えても絶対何かしょってるはずよー」

 彼女が世渡り上手なのは、息苦しい生い立ちを背負ってきたからだろうなーとは、前々から思ってはいた。

「息子の夜間保育園の友達がハーフばっかりなんで、その辺の話はよく聞きますねー。ナーナーもいじめられるって言ってたかなー、リサちゃんがちょっと心配って」

「そうなんだー。でも、この前の立食パーティー、ナーナーびっくりするくらいよかったじゃない。とにかくあの子には居場所を与えてあげたらいいよ。そうしたら人一倍頑張るんじゃない。いじめられっ子は根性あるから」

 わたしはナーナーは大丈夫だと思っている。あの子のことだ、根性はあるにきまっている。あとは大人たちが守ってあげなくては。

 それとは別に、いま感じたことがあった。

「幸江さん、ちょっと聞いてくれますか。わたしの好きな曲でカント・ダス・トレイス・ハッサスって曲があるんです。3つの人種が平和に歌えるような世の中にって曲なんですけど」

 わたしの好きなクラーラ・ヌーネスの曲だ。

「ブラジルには大雑把に言って白人、黒人、インジオの3つの人種がいるんです。そしてカーニバルは白人のキリスト教の文化に、黒人のリズム、インジオの羽根飾りが合わさって発展してきたと言わてるんです。3つのいいところが、幸江さんが言うように、ちゃんと角を残して混ざり合って。だから沖縄サンバカーニバルでは、沖縄市の特徴っていうんですか…」

「わかったー、それってウチナー、ヤマト、アメリカーっていいたいんでしょ。コザのカーニバルではそうしようって」

「それもそうなんですけど、はは、ちょっと照れるなー、幸江さんとわたしとリサちゃんでもあるかなーって。まあリサちゃんがアメリカとはいいませんけど、でも少しはそうなのかな。とにかく、苦労をしょってる同士、力を合わせて頑張ろうって思います」

「うん、いいねー。まあ苦労というよりは気苦労かもしれないけどね。よしっ、もう一度乾杯しよう」

 わたしが2本目を取ろうとクーラーボックスに手を伸ばすと、「てぃん」と三線の音が聞こえてきた。おやっと思い、とっさに赤犬子の墓の方を見るとそこではなく、潮が満ちてきたトーチカの前に、くるぶしまで波につかった人影が見えた。紅型の着物に紫の頭巾。リンスケさんだ。もう驚いたりはしない。そうだ幸江さんにも見えるだろうかと振り返ると、ゲートボール場に続く階段の上に夫が立っていた。そして片手を大きく振りかざしながらこう叫んできた。

「おーい、大変だー。いまニュースで、沖国大に米軍ヘリが落ちたらしいぞー」

第11話  8月13日(金) 米軍ヘリ墜落
2004年8月3日 米軍の大型輸送ヘリコプター沖縄国際大学1号館北側に接触、墜落、炎上した

第11話  8月13日(金) 米軍ヘリ墜落
2004年8月14日付け毎日新聞

 その日の夜、食事で来てくれたお客さんはすでに帰り、カウンターにはシロさんと倉敷さん、6番テーブルにはナーリーさんがコロナビール片手に座っている。米軍ヘリが墜落したことは、もちろんみんなの話題になっていた。リサちゃんはもう中の町に出勤した後だけど、あちらの店でもこの話題で持ちきりのことだろう。

 10時10分前になると、夫が厨房から出てきてテレビ画面をQABに変える。やがてニュース番組が始まると、司会者があいさつした後、まずは巨人の渡辺オーナーが明治大学の野球部の選手に絡んで、辞任することがトップニュースとして伝えられた。

「ヘリが落ちたって、トップニュースにならないんですかねー」と、わたし。

「今年は選手会ストや1リーグ制の話なんかで、プロ野球が話題をさらってるからなー」

 中日ファンの夫は、今年こそ優勝だと毎日試合結果に一喜一憂してるけど、男たちの世の中はそんなもんなのかなー。

 そのあとようやく米軍ヘリ墜落のニュースが。午後2時15分、沖縄国際大学1号館北側に墜落。パイロット3人が重軽傷だけど、付近の住人にはけが人が出ていない模様。ただ破損部品は市街地に広く散らばったらしい。

 また、墜落現場の沖縄国際大学の構内を、米軍が日米地位協定に基づいて、一方的に立ち入り禁止にしたことがかなり問題だという。

「まあ、誰も死ななくてよかったじゃない。さっき知り合いの医者と電話で話したけど、いったい何人運ばれてくるんだって、緊張したって言ってたよ」

 と、シロさん。高校時代の友達が宜野湾の病院で外科医をしているそうだ。

「オレ、6時過ぎまで基地にいたんですけど、住民に死者が出なかったことで、ヘリのパイロットは英雄みたいに言われてましたよ。よく誰もいないところに落としたって」

 ナーリーさんは、仕事柄なんだろうね、米軍の悪口を言う方ではない。

 NHKではどういう報道がされているのかとチャンネルを変えると、すでにアテネオリンピックの特集番組が始まっていた。

 そう、今日はアテネオリンピックの開幕式の日なのだ。時差があるので、日付けが変わって深夜2時40分から中継が始まるらしい。番組テーマソングのゆずの「栄光の架橋へと」がBGMで流れている。

那覇では号外が配られたらしいですけど、やはり東京とは温度差があるんですかねー。なんかキツネにつままれた感じですよ」

 わたしがそう言うと、シロさんは、

「まあ、宮森小の時みたいに大惨事になってたら違うんだろうけどなー」 

 石川市にある宮森小学校の「仲良し地蔵」には夫に連れられて行ったことがある。1959年、飛行中に操縦不能となった米軍ジェット機が授業中の宮森小に墜落し、小学生11人を含む17人が犠牲になったことを伝える碑だ。この小学校が建つ辺りは、かつての石川収容所でもある。

「なんかよくわかんないですね。じゃあ、誰か住民が死んだらよかったんですか。もっと報道されて、沖縄が基地の隣で暮らしているってことが、全国ニュースになったんですか」

「ちょっとちょっと、アキさん、どうしたの。誰も死ななくてよかったって言ってるだけだよー」

「それなら、ひとりぐらい住民が怪我すればよかったんじゃないですか、軽い怪我でいいんですけど。そうしたら、もっとニュースになったんじゃないですか」

第11話  8月13日(金) 米軍ヘリ墜落
1959年6月日米軍のジェット戦闘機が石川市に墜落 その一部が宮森小学校に激突した

「それはどうでしょう、とにかく怪我でも駄目ですよ。そういう考えって反戦になりませんよ。かえって対立をあおるって、好戦って言われちゃいますよ」

 倉敷さんからなだめられた。なんでだろ、なんでこんなに熱くなってるんだろう。

「すみません、でもなんか納得いかなくて。でもいいですよねー、倉敷さんは。これで辺野古移設が進むことになって、会社大儲けですよねー」

 ちょっと落ち着かなくちゃと、冗談を言ってみた。いや、ここは冗談でも言っときなさいと、誰かに言われたような気がした。

「バカ言っちゃーいけませんよ、何度も言いますけど、うちは単なる海洋調査会社です。それより、今回の事故で、作業現場に反対派がさらに妨害活動するに決まってますよ。もう大変なんですからー」

「アキさーん、オレらはサンバやって幸せになりましょうよー。ラブ・アンド・ピースが一番、でしょー」

 ちょっと酔ったナーリーさんがおどけて言うことが、そうだよね、一番大切なことだよね。

 なんだろう、前からわたしはノンポリと言われてきたし、米軍ヘリが落ちたからって、いまさら戦争反対、基地反対と声を上げて抗議活動に参加しようとまでは思わない。

 そんなわたしが、今度のカーニバルでは「沖縄」に関することをテーマにしようとみんなに提案した。だけど、それって一体誰に聴いてもらおうとしてたんだろう。もちろんの沖縄の人に聴いてもらいたい。でも沖縄の人は、わたしなんかより沖縄のこと百倍知ってるはず。幸江さんに言わせたら、千年早いと笑い飛ばされるに決まってる。いま、テーマを出してくれているユキちゃんや卓、リサちゃんはみんなウチナンチューだから、ここは彼らに任せちゃえばいいんだろうか。

 どうだろう、東京や大阪の人に、県外の人に聴いてもらうためのテーマ曲を作るというのは。そして、それを面白いと思ってくれた人たちを、この街に呼ぼう。そして沖縄のことをもっともっと知ってもらおう。それは、カーニバル参加者でも、観光客でもどちらでもいい。そして、この街が活性化してくれれば一石二鳥だ。

 サンバカーニバルにできること。ナイチャーのわたしにできること。うん、なんか見つかりそうな気がする。


 沖縄サンバカーニバルまで、あと86日。




 第12話に続く


第11話  8月13日(金) 米軍ヘリ墜落
戦闘機墜落の惨劇を伝える、宮森小学校の仲良し地蔵碑



※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです

第12話 8月14日(土) FMコザ②

 

 

第12話 8月14日(土) FMコザ②

「みんな元気かーい! さあ、『ヒカリのピカッと音楽』がはじまるぜぃ! 今夜のゲストは中央パークアベニューのブラジル料理店、オ・ペイシのアキさんでーす!」

  地元で活動するギタリスト、ヒカリさんがDJを務めるFMコザのトーク番組に、今月も呼んでもらっている。

「さあ、今回もサンバやブラジルのこと、話してもらおうねー」

「そういえば、この番組でしたメンバー募集の呼びかけで、新人がふたりも入ってきたんですよ。それと沖縄サンバカーニバル、ついに開催決定しました」

「そりゃーよかった。11月の沖縄国際カーニバルの中で、サンバカーニバルを開催するんだよね」

「はい、11月7日の日曜日、空港通りでパレードします。みなさん、楽しみにしてくださいね」

 時間は夜の6時スタートで30分間の枠ということで調整している。ただ決定ではないので、このことはまだ話せない。

「ところで、前回放送したナイチャーあるあるのコーナーも好評だったみたいで、またやってってリクエストがあったんだけどー」

「そんなコーナーあったんですか、知りませんでしたけど、ははは」

「それで、また、はっさびよーってこと、なんかあったー」

「そうですねー、しいて言うなら沖縄の地名ですかねー。わたしたちが驚くのは」

「あれでしょ、豊見城のほえいも(保栄茂)って書いて『びん』とか、浦添のせいりきゃく(勢理客)と書いて『じっちゃく』とかでしょ。保栄茂なんて、なんで漢字三文字なのに『びん』なんだろうねー」

沖縄市周辺では、だいくまわり(大工廻)と書いて『だくじゃく』が読めませんでしたねー」

「わかるー、だって俺たちだって読めないもん。最近では沖縄の地名はクイズにもなってるみたいだねー」

「でもですねー、それ以上に驚いたのが、中央ですよ。いま、わたしたちがいる」

「中央パークアベニューの中央だろ、このスタジオがあるところは中央一丁目だけど」

「ここってもともとセンター通り。正式な住所もコザ市センター区だったそうですよね。それが沖縄が復帰した際にセンターを和訳して中央にしたって聞いたんですけど、それってなんか逆じゃないですかー」

 この辺りのことは夫が調べて、笑い話のように教えてくれた。

「ははは、言われてみるとそうかもねー。去年、長野県に南アルプス市ができてたってニュースになったけど、外来語にした方がかっこいいかもしれないのに、英語の地名を和訳しちゃうのはコザならではかもしれないねー。ははは、さすがアキさん、するどい」

 ちなみにこの地区には、いまだセンター婦人部、センター自治会、センター区青年会など、センターの地名が残ってはいる。

「ところでアキさん、前回はパレードにはテーマがあって、そのテーマは沖縄っぽいものにするってとこまで話したけど、その後どうなった」

「すみません、テーマ会議はしてるんですけど、まだ話し合いの途中で。でも、えーと…」

「でも、なに?」

「漠然となんですけど、この街のことを、日本全国に知ってもらうようなパレードになればって、そうですね、昨日から考えるようになって。ごめんなさいこれはまだ、わたし個人の意見なんですけど」

「ははー、昨日、米軍のヘリが落ちて、なんか考えたんでしょー」

第12話 8月14日(土) FMコザ②
センター区から変更となった中央

「まだちゃんと考えられてないんですけど、なんであの事故のことがあまり全国に報道されないのかって思って。だって、昨日のトップニュース、巨人のナベツネ辞任でしょ」

「うーん、わかるよ。でも俺はずっとこの島で育ってるから、沖縄の扱いなんてこんなもんだって慣れちゃてるけどね」

「これが東大に落ちてたら、絶対トップニュースじゃないですか」

「ははー、そうかもねー。でも、たとえばさ、嘉手納基地周辺って住宅のクーラー、10年ごとに無料でつけてくれるじゃない。騒音でうるさくて窓が開けられないって」

 確かにうちもこの前、大家さんに新品に変えてもらったばかりだ。

「それと嘉手納町の滑走路に近い辺りは、無料で窓も二重サッシにしてもらえるらしいよ、もちろん国からの補助金で。それくらい、いつも基地と一緒に生活してるっていうか。だから、この辺の人たちは、いま更ヘリが落ちたくらいじゃ驚かないんじゃないかな」

「そこなんです。そういうことを全部含めて、この街のことを知ってもらうようなパレードができないかって」

「はは、そうかー、アキさんからすると、沖縄ってなんだかわからないことばかりでしょ」

「わたし、大学時代から沖縄にはダイビングでよく来てたんですけど、そのころはまだ青い海とステーキが安い島ぐらいにしか考えてなくて」

「まあ、観光客はそれでいいでしょー」

「でも、こっちで暮らすようになって、地元の人からいろんなこと教えてもらって、いろいろ考えて、今度はそれを」

「全国に伝えたいんだよね。うん、いいと思うよ。だけど、基地とか戦争とかってテーマにしちゃうわけ?」

 そのあたりのことは、今回の米軍ヘリ墜落事故とは関係なく、以前から、いろいろと考えてはいた。

 ブラジルのカーニバルでも、パレードのテーマはやっぱりブラジルに関することが基本。その中で、しばしば扱われるのが奴隷制度という負の歴史について。

 アフリカ大陸からブラジルに連れてこられた奴隷たちが、まず上陸したのが、かつての首都サルバドール。また逃亡奴隷を匿うために作られた集落がキロンボ。そして、その最大の集落パルマーレスの最後のリーダーだったのがズンビ。彼は40歳で斬首刑にあう。また、白人男性と結婚し、奴隷の立場から抜け出したシーカ・ダ・シウバ。そして最終的に奴隷制度を撤廃したイザベル王女。

 これらの人名、地名は、毎年、必ずどこかのサンバチームがテーマにして歌っているもの。だからと言って、悲しい歌になるかというと、そうではない。「そういうこともあったけど、これからはいい時代にしていこう」と歌うのがカーニバル。

 そして、なんでわたしが奴隷の歴史に詳しいかっていうと、すべてサンバの歌詞から知り得たのだ。あたりまえだけど、わたしはブラジルの学校へは行ってない。サンバがわたしの社会の教科書だった。

「基地や戦争をテーマにするべきだってわけじゃないです。ただ、それらをテーマにして、それを乗り越えて沖縄の未来をみんなで考えようっていうのもありかなーとは考えてます」

「うーん、まあ、お祭りなんだから前向きな曲がいいに決まってるよなー。とにかくテーマ、そしてテーマ曲決まったら、次回のこの番組で発表してね。それではアキさんから今夜のおすすめのサンバ、曲の紹介お願いしまーす」

「キロンボというリオのサンバチームの1978年のテーマ曲で『アオ・ポーボ・エン・フォルマ・デ・アルチ』です。かつて奴隷だった先祖は不幸な時には戦い、命を落とし、それでも彼らの血に流れるアフリカの威厳は、今日のブラジルに息づいている、と歌った曲です」

「サンバってとにかく明るい曲ばかりと思ってたけど、そうではないんだねー。うん、沖縄のサンバがどんな曲になるか、期待してるよー」

第12話 8月14日(土) FMコザ②
逃亡奴隷を匿うために作られた集落キロンボ

 放送が終わって急いでお店に戻ると、お盆休みとペイデーのおかげでだろうね、客席はほとんど埋まっていた。そしていつもナーリーさんが座る6番テーブルには板さんが来てくれていた。

 板橋文路さんは東京のサンバチームで活動するギター奏者。毎年ゴールデンウィークには旅行がてらに鳩間島の音楽祭に出演していて、その帰路、うちのお店に寄ってライブをやってくれることが恒例になっている。そのライブの時は男性ボーカルとコンビだけど、今日は奥さんとお子さんふたりと一緒。

「たまには家族サービスもしなくちゃ」と沖縄本島をあちこち回るのだそうだ。

「ラジオ聴きましたよ。面白そうですね。僕たちが知らない沖縄のこと、是非ともサンバにしてくださいよ」

 と、板さん。夫がいつも厨房でナイターを聞いている携帯ラジオを貸してもらっていたようだ。

「さっきから、口説いてるんだけど、たぶん板さん、11月来てくれるって」

 夫がそれを言うために厨房から顔をのぞかせる。すぐにガス台に戻っていくところを見ると、注文が溜まっているようだ。

「ユージさん、まだ決まりじゃないですからねー。一応予定に入れときますけど、地元のギターの人に、まずはお願いしておいてくださいね」

「ギターはちゃんと呼びますから、板橋さんはカバッコ、お願いします」

 と、すかさずわたしからも。カバッコはウクレレと同じ大きさの4弦楽器。サンバではギターとカバッコと揃って演奏するのが常なので、板さんには是非とも来てもらいたい。

「ところでアキさん、テーマ何になりそうなんですか」

「明日、ミーティングがあるんですけど、実はもうユージが『缶から三線』で歌作り始めてるんです。あそこにいるリサちゃんのアイディアなんですけど」

 リサちゃんはというと、アメリカ人家族のオーダーを取っている。すると、観光客らしいお客さんがひと組入ってきた。

「いらっしゃいませー。すいません、板さん、話はまたあとでゆっくりと」

「大丈夫、大丈夫。今日はさすがに混んでますね、頑張ってください。あっ、ボンゴレのスパゲッティー、おいしかったですよ」

 第1回目の沖縄サンバカーニバル。少しずつ、でも確実に形が見えてきた。 


 沖縄サンバカーニバルまで、あと85日。




 第13話に続く 


第12話 8月14日(土) FMコザ②
カバッコ カヴァキーニョとも呼ばれる




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです

第13話 8月15日(日) 缶から三線

 今日も遊歩道での練習会は4時に切り上げて、お店の客席を使ってテーマ会議を開いている。ただ、開始早々、夫から提案があった。

「まだ完成じゃないんだけど、『缶から三線』でだいたいの歌詞とメロディーを作ってきたんで、聞いてくれるかな」

 夫はそう言いながらメンバーに歌詞カードを配ると、スルドを片手に迷わず歌いだした。事前に話していたのか、ムーネーもすかさずカイシャを叩き出す。

ケン ヴァイ チ コンター
ア イストーリア ダ オキナワ(※1)
さあ 見つけに行こう
オ ペイシ キ ヒ ラ ボウ エウ(※2)
フェンスを越えよ 鼓動
       (繰り返し)

いくつもの星が 嵐に果てるとも
ほら ガジュマルの木陰 オルガンの響き
Cレーション食み 明日へと生きる
静かに明ける朝 浜吹く夏至南風(かーちばい)
焼け焦げた島に アカバナが開く 

人は倒れ 骨となり 珊瑚に戻るとも
壊れはしない 輝けるもの
肝(ちむ) 血(ちー) 太陽(てぃーだ) 天(てぃん)
                              (繰り返し)

缶から三線 奏でる屋嘉節
愛さと世の情け
規格家 薬きょうのランプ 子供の寝顔
ジュラルミンの髪飾(じーふぁ)と
櫛(さばち) テントカバーのシャツ
はにかむ乙女
パラシュートの花嫁衣裳
誓いの言葉は永久
戦さのない世界

我ら 艦砲ぬ
喰(くぇ)ーぬくさーの子
生きてるその奇跡 未来に捧げよ

※1 誰が沖縄の歴史を語るの
※2 オ・ペイシは彼方へと向かう


第13話 8月15日(日) 缶から三線
石川市(現うるま市石川)歴史民俗資料館

第13話 8月15日(日) 缶から三線
下段右 薬莢やコカ・コーラのビンで作られたランプ

第13話 8月15日(日) 缶から三線
下段 テントカバーのシャツ ジュラルミンの髪飾り(じーふぁ) 櫛(さばち) 缶から三線

 先週のミーティングでは「紅型」「国道58号線(ごっぱち)」「缶から三線」の3つの中から決めようってことだったけど、夫はすでに「缶から三線」で曲を作ってしまった。シロさんがカウンターで話してくれたコザの家具屋のたくましさの原点を、難民収容所で作られた缶から三線を通して歌にしたのだという。

 実はこのテーマがリサちゃんから出た2日後の土曜日、家族3人で石川市の歴史民俗資料館に行ってきた。ここには石川の難民収容所で実際に使われていた家財道具が展示されている。缶から三線はもちろん、コーラの空ビンで作られたコップ、砲弾の薬きょうをくり抜いて作られたランプ、加工しやすいジュラルミンで作られた髪飾(ジーファ)や櫛(サバチ)、テントのキャンバス生地で作られたシャツ。また規格家と呼ばれた、その当時の仮設住宅も復元されている。

「あそこ展示物がいっぱいあるから、それで、すぐに歌詞が浮かんできて、1週間でここまで作っちゃったんだよね」と、夫。先走って申し訳ないとも。続けて、

「今週は内地から知り合いのサンバ仲間が結構お店に来てくれて、テーマの話をしたら、『缶から三線』がいいんじゃないかって。ユキちゃんの『紅型』も好評だったけど、今回ヘリが落ちたばかりだったから、やっぱり戦後の話がタイムリーっていたら変だけど、やるべきって意見が多かったな。だから今年のテーマは『缶から三線』にして、『紅型』は来年にしたいんだけど」

 夫がここまで言ってしまうと誰も反対ができない。これまでにもステージやパレードのために、夫がオリジナル曲を作曲していた。そして、歌詞を書いてメロディーをつけることが、誰にでもできることではないことは、みんなわかっている。

「あー私は、来年でもいいですから『紅型』ができたらいいです。着付け教室やっている叔母がいるんで、誘えたら面白と思うんですよ。生徒さん呼んだりして」

 ユキちゃんからは反対意見はないようだ。

「それとゴリの『国道58号線(ごっぱち)』は、楽しそうだって意見もあったけど、観光客でも作れそうだとも。俺は個人的には好きだけどね。有名なサンバで『アクアレイラ・ブラジレイラ』って曲は、ブラジルの地方の特色を北から南まで順に歌うんだけど、それみたいになると面白いと思うよ」

「ユージさん、ありがとうございます。自分も詞を書いてみたいんで、いろんな曲聴いて勉強してみますね」

 卓も夫に譲ってくれたようだ。

「じゃあ、ちょっと強引だったけど、今年は『缶から三線』がテーマってことで決定させてもらうね。その上で、このテーマについて意見を聞かせてもらいたいんだけど」

 夫がそうまとめだすと、いくつか発言があった。

 まず、ポルトガル語の歌詞をアクセントとして入れることには、反対意見は出なかった。

「Jポップに英語の歌詞が入るのと同じですよね」と、尚ちゃん。ジャニースは「ワタシはその部分だけわかる」と母国語で話しながら笑っていた。

 ジャイミからは「Cレーションの発音は、Cラションが正しいですよ」と、さすがイギリス人。ただ、歴史の資料にはCレーションと書かれているので、目をつむってもらうことに。Cレーションは軍隊の携帯食。難民収容所で配給用の食糧にされていたことは、前にわたしが夢で見た通り。

 いずみちゃんからは「『我ら艦砲ヌ喰ーヌクサー』の子って、ちょっと生々しいんじゃないかなー」という意見が。「私たちは艦砲射撃の生き残り」の子供だという意味なんだけど、夫は「でいご娘」という民謡グループの曲名にあったから使ったと言っていた。

「せめて『生き証人』ぐらいにしませんか」

 いずみちゃんがそう言うので、とりあえず歌詞は何度も歌いながら、気になる言葉は変えていくということにした。

「ところでフェンスを越えよってありますけど、フェンスの中ってどっちなんですか」と言い出したのは悠仁

「そんなの基地だろ、フェンスは基地を囲んでいるんだから、基地の方が中なんじゃない」ムーネーがそう答えると、

「だって、もともと収容所はフェンスの中に作られたんだから、基地の方が外側じゃないですか」

「ははは、そんなのどっちでもいいって、考えすぎー」

 リサちゃんはどうでもいいとふたりの会話には乗ってこない。そのリサちゃんからはちょっと違う発言があった。

「あのですねー、あたしが『缶から三線』をテーマにしようと思ったのは、子供がおもちゃみたいにして缶から三線を楽しく弾くというイメージだったんでー、なんか固いテーマになっちゃったって感じです。でも、ユージさんは東京の大学出てるっていうし、きっと頭がいいんだと思いますし、すいません、ふん、それだけです」

 リサちゃんが始めに考えていた缶から三線と夫が作った歌とは、ずいぶんかけ離れてしまったと、わたしも気になるところではあった。熱血応援団長だった夫は、なんでもやりすぎてしまうところがある。リサちゃんは口には出さなくても、急にナイチャーがアイディアを横取りして、本で読んだだけの沖縄の戦後を歌にしちゃったって思ってるんじゃないかと。

第13話 8月15日(日) 缶から三線
米軍基地のフェンス

 その後、ミーティングは5時には終わり、なんとなくみんなで雑談をしていると、ひと組のカップルが入ってきた。先日も来てくれたフィリピン人のミラと連れの白人だ。日曜日の練習会では見物客にドリンクを売っているので、開店前でも別に構わない。ミラは夕方からはパブの仕事があるだろうから、いつも早めにやって来る。

 リサちゃんがメニューを持って行こうとしたのを「大丈夫」と制して、ガラナを2本運んで行く。少し話せるかなと思ったけど、前回のように早口の会話が始まったので、構わないことにした。相変わらずミラはキャミソールに短パン、そして「ノー」ばかり言っている。

 そのうち、メンバーがひとり、ふたりと帰りだし、お店の開店の時間になる。やがてミラの連れも10ドル紙幣を机に置いて、お釣りを気にせず店を出て行った。ひとり残されたミラを見ると少し涙ぐんでいる。

「ミラ、ねー大丈夫?」と、わたしが呼びかけると、

「あの人、本国に帰るみたい。それで、もう会えないって」

「そうなんだー、それは寂しくなるねー」

 そうとしか答えようがない。わたしは昔はこの手の話にはめっぽう疎かったけど、この街に来てからは男女のやり取りをたくさん見てきている。多分、男の方はいろいろと嘘をついているんだろうけど、女の方もそれを逆手に何か企んでいるはずなのだ。

「フィリピンのお母さんが病気なんでお金を貸して」

 という話は、何度も聞いたことがある。

「ところで、この前、見に来てくれてありがとう。で、カーニバル参加しないかなー」

「ワタシも踊りたいです。でも、友達に聞いてみないと。みんなお金欲しがってる」

 彼女が言うには、自分は参加したいけどお店のダンサー仲間と一緒がいい。だけど仲間との約束では、タダで踊ってはだめということになってるらしい。

 でもミラ、さっきまで泣いていたのに、なんだかもうお金の話になってるぞー。


 沖縄サンバカーニバルまで、あと84日。




 第14話に続く 


第13話 8月15日(日) 缶から三線
ガラナ




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです

第14話 9月1日(水) ウークイ

 今年の沖縄のお盆は8月30日が初日のウンケーで、9月1日が3日目のウークイ。先祖の霊を再びあの世に送り出すウークイの日には、県内の多くの小中学校はお休みだけど、沖縄市では半日授業にしかならない。もっとも、今日は2学期の始業式だけど。

 ただし、夜間保育園は休みになるので、息子は、店の倉庫の中に布団を敷いて寝かせることになる。まあ、日曜や祝日にはそうしているんだけどね。

 ところで毎年お盆に思うことは、わたしたち沖縄に親戚がいない者にとって、特にウークイはほんとやることがない。スーパーに行けば店先にお盆コーナーが作られて、重箱料理や果物、ウチカビというあの世のお金なんかが並ぶんだけど、わたしがそれを買うこともなければ、手にすることすらない。

 会社も休みのところが多く、みんな親戚の集まりに出かけるので、街を歩いていても人通りがめっきり少なく感じる。先日の夏の甲子園の時にも、中部商の試合になると通りから見事に人が消えたけれど、例えばお隣のBCスポーツを覗けば、必ず誰かがテレビを見ながら応援している。だけど、今日はBCスポーツもお休み。

 他人の親戚の集まりに行って料理にありつくわけにもいかないので、わたしたち家族3人、世の中からぽつんと取り残されてしまうのだ。


 そんな日の夕方、リサちゃんがお店にやってきた。夜までナーナーを預かる約束になっていたのだ。リサちゃんの家では、最近はお盆の集まりをすることもなくなったので、出かけるんだという。中の町のお店も、さすがに今日はお休みだそうだ。

「で、誰とどこに行くの?」と聞くと、

「キャンプ・フォスターの中で買いたい物があるんで、トーニオの仕事が終わったら連れて行ってもらうんです。なるべく早く戻ってきますので、いい、ナーナー、いい子にしてるのよ」

 そう言うとリサちゃんはナーナーにお菓子と飲み物の入った袋を持たせる。ナーナーはお店の勝手をよく知っているので、すぐに息子のいる倉庫に入っていった。

 その倉庫には最近、息子用にと買った中古のテレビとビデオデッキがある。というのも、サッカーのワールドカップを機に契約したスカパーには、IPCというブラジル人向けのチャンネルがあり、そのアニメ番組を録画して見せているのだ。もちろんポルトガル語の勉強に。ナーナーも言葉がわからないのに面白いと言って一緒によく見てるけど、子供には柔軟性があるなーと思う。

「夕飯はちゃんと食べさせるから、ちょっと遅くてもいいよ」

「いつもすみません。アキさんにも何か買ってきますね」

 なんやかんややりあっても、リサちゃんがわたしを頼りにしてくれるのはまんざらでもない。もっとも、うちがお盆をしないと知っているからだろうけど。それでまた、PXでしか買えないスィーツに騙されちゃうんだろうな。

 わたしたち夫婦も今日は開店休業だろうと、カウンターのテレビで夕方のニュースを見ることにした。これまでの報道通り、週末に大型の台風18号が本島を直撃するらしい。

「前からニュースで言ってたように、全島エイサー、台風で今年は延期になったみたいだね。もちろんビアフェスも」

 毎年、コザ運動公園の屋外で同時開催される全島エイサーまつりとオリオンビアフェストの日には、最後に花火が打ち上げられると、ほろ酔いの見物客がどっと空港通りやアベニューに押しかけてくるのだ。だから夫は日程を気にしている。

 それに、ビアフェスにはディアマンテスとカチンバ1551という、県内のラテン系のバンドがふた組も出るので、いつかサンバチームも呼んでもらえないかと思いを巡らせているようだ。もちろん、もっともっと練習をしなくてはだめだけどね。

 そんな話をしていると、思いかけずお客さんが入ってきた。見ると、たしか泉井(いずい)さんといって、去年、全島エイサーの写真を撮った帰りに、たまたまうちのお店に寄ってくれた方だ。京都に住んでいて、全国各地のお祭りの写真を撮るのが趣味だと言っていた。50代くらいの男性で、カメラマンベストにカメラバッグを提げているので間違いない。

「いやー、お久しぶりですね泉井さん。なんか週末、台風来るみたいですよ」

 わたしがそう言いながらメニューを差し出すと、

「そうみたいだねー、でも、今年は道ジュネーを撮ろうと思って」

 まだ誰もいないカウンター席に、よっこらしょと腰を落ち着けた。カメラバッグが腰にきているのかな。

 道ジュネーとは、ウークイの夜にエイサーの一団が家々を回って、先祖の霊を送り出す巡礼の行列。胡屋青年会は胡屋地区を、園田青年会は園田地区をと、それぞれの受け持つ地域の家々を回る。軽自動車がぎりぎり通れるような薄暗い裏道を進むことも多く、見る人にはそれに郷愁が感じられていいらしい。

 一方、全島エイサーまつりはというと、照明が煌々とたかれた運動場で、沖縄市内外の青年会が決められた持ち時間を使って次々と演舞する、いわゆる大会形式をとっている。日程もウークイとは必ずずれるようにしているので、お盆の行事というよりは、きちんと企画されたエンターテイメントといえるかな。エイサーに郷愁を求める人には、あまりにも華麗すぎるかもしれない。もちろん誉め言葉も含めてだけど。わたしはどちらも好きだけど、どちらかといえば道ジュネーの方が好きだ。

「ブラジルでもサンバチームは道ジュネーと同じことをしてたんですよ。警察の許可なんか取らないで、勝手に公道をパレードするんです。車が来ようと関係なしに。でも、最近は都市部だと交通や騒音の苦情が出るので、専用のパレード会場でしかできなくなったり、公道でするにしても、その期間だけ封鎖してやるようになってきましたね」

 わたしが住んでいたサンパウロでは、どんどんそうなってきていた。

「ぼくらがよくテレビで見るリオのカーニバルは、確かに大きな会場でやってるけど、そういうことですか」

「それが商業的すぎるって、悪く言う人が結構いますよ、お金かけすぎだって。だからあえてパレード会場には出ないチームもありますし」

 先日のラジオ番組で紹介したリオのキロンボというチームもそうだったのだ。さすがにキロンボ、「逃亡奴隷の集落」と名乗っただけあって、いろんな束縛を嫌がったようだ。

第14話 9月1日(水) ウークイ
うちかび

第14話 9月1日(水) ウークイ
全島エイサーまつりポスター

 やがて7時を回ると、簡単に食事を済ませた泉井さんは、そろそろ道ジュネーの写真を撮りに行くという。折角なのでご一緒してもいいですかと、ふたりの子供を連れて出かけることにした。今日は夫ひとりでもお店は何とかなるはず。

 店の扉を開けると、気が付かないうちに風が出てきたようだ。そして、

 ドン ドン ドン ドン

 すでにエイサーの太鼓が、ネオンサインに照らされた夜空の向こうから聞こえてきた。

「アキさん、始まってますねー」

 うちのお店のある中央から国道を挟んで東側は胡屋といい、その胡屋青年会のエイサーには定評がある。その太鼓の音が聞こえてくるのだろう、たぶん息子が通う諸見小学校の方角からだ。

「泉井さん、わたしが案内しますね」

 はっきりした場所はもちろんわからないけど、近くまで行けば出くわすんじゃないかなと、とりあえず国道の信号を渡った。

「ところでアキさん、前も聞いたかもしれないけど、なんでサンバ始めたの」

 泉井さんのカメラバックからは、歩くたびにきしむ音がする。

「わたし大学でダンス部にも入ってたんですけど、いろんなダンスを試した中で、サンバが一番自分にあってる気がしたんです。なんていうんですかね、ひとりで踊れるところですかね」

 ナーナーは勇魚の手をとって、ちゃんと後ろをついてきている。いつも通り、お姉さんの顔つきだ。

「へー、サンバって、みんなで踊るもんかと思ってましたけど」

「そのー、もちろん、みんなで踊るんですけど、それぞれが個性を出さないとつまんないというか」

「あーなんとなくわかります、自分のことをきちんと主張しないとバカにされるって感じですか、欧米的な」

「いろんな人種がいる国なんで、そもそも考えを合わせようというのが無理な話なんです。ならば、それぞれの個性を認めようってことなんじゃないですかねー」

 そうこう歩いているうちに、だいぶ太鼓の音が大きくなってきた。三線の音もはっきり聞こえてくる。胡屋青年会の道ジュネーは諸見小からくすの木通りに向かって進んでいるようだ。この辺りは区画整理がされていないので、道幅が狭く、沖縄の風景であるブロック塀と鉄柵に挟まれて、迷路のようにくねくねと曲がっている。

「オジさーん、ここー、おれの通学路」

 息子はいつもと違う時間に通るのでうれしいようだ。でも「あんた、うるさいっ」と、ナーナーに叱られている。ホント姉弟みたいだね。

 ようやく角を曲がったところで、手踊りのピンクの着物姿が夜道にパッと現れた。2列になって進みながら踊っている。地謡(じがた)や太鼓(てーく)打ちも含めて、総勢50名ほどだろうか。太鼓打ちのお揃いの紫の頭巾(さーじ)と打掛(うちかけ)が凛々しい。

 すると、ちょうど立ち止まっての演舞が始まった。三線が始まると、少し遅れて太鼓が弾けだす。どこからか指笛が聞こえてくる。そして掛け声。

 イヤササー ハーイーヤー ナーティーチェー

 わたしたちは後ろから見ているので、最後列の手踊りの掛け声が真正面から響いてくる。泉井さんはちょっと写真を撮ってきますねと、先頭の方へ進んでいった。エイサーを見るとき、子供をちょろちょろさせると、太鼓のばちが当たってけがをすると怒られる。わたしたちはこのまま動かないことにした。

 手踊りの女の子たちは、わたしの娘でもおかしくない年齢だろう。エイサーの着物は袖も裾も丈が短いので、そこから延びる手足がみずみずしい。ピンと伸ばされたつま先が一斉にしなると、すぐにグーの手で空(くう)をかき混ぜる。太鼓に合わせ途切れぬ足踏み、澄み通った掛け声。その子たちがいま、目の前で踊っている。いい、実にいい。

 さっき、泉井さんにサンバはひとりで踊るのがいいと言ったけど、手踊りのようにみんなで合わせて踊るのも、ほんとに素晴らしい。というか、これってみんな仲間だからできることなんだろうなー。

 息子とナーナーはというと、お目当てのお兄ちゃんお姉ちゃんを見つけて、その真似をしている。高校生になったら、サンバもいいけどエイサーもやらせてみたい。ただ、ブラジルで生まれた息子、そして褐色の肌のナーナーの、その子にしかない個性もきちんと伸ばしてあげたいと、改めて思う。

 2曲ほどが終わると、泉井さんが戻ってきた。

「いい写真が撮れましたよ、故郷っていうか、温もりというか。いいですね、道ジュネー」

「わたしもです。住んでるとエイサーが当たり前になっちゃって、道ジュネーまで見ようと思わなくなってたんで、ついて来てよかったです」

 子供たちも飽きていないようなので、もう少し見ようと道ジュネーの後ろをついていくことにした。進む方向としては店に近づいて行く感じだ。携帯になにもかかってこないので、店の方は大丈夫だろう。

「そういえば、エイサーの人たち、サンバチームを手伝ってくれたりしないんですか」

 泉井さんのカメラバックがまたキュッキュ、キュッキュと鳴っている。それがエイサーの太鼓と合うことがあるので面白い。

「いえいえ、そんなに簡単な話ではないんですよ」

 すでに沖縄市の青年会の親分格の人に、一度頼んでみたことがある。もちろん、やんわりと断られた。そういうもんじゃないですと。

「やっぱりエイサーってがちがちの体育会ってことですかね、で、サンバは邪道みたいな」

「いや、そんなんじゃなくて、エイサーの人たち、うちの店を気にしてよく飲みに来てくれるんです。それに、今年から始めるサンバカーニバルで山車を作る予定なんですけど、太鼓を叩かない代わりにそれを押してあげるよって」

 夫が山車についていろいろ沖縄警察署に問い合わせてみたところ、人を荷台に乗せるならトラックのエンジンは絶対にかけてはダメと言われていた。

「大きいんですか、その山車って」

「トラック2台出すんですけど、押す人、ハンドル切る人で10人ずつ20人は必要ですかねー」

「へー、それをエイサーの人たちがやってくれるんですか。なんかコザらしい、いい話ですね」

 道ジュネーの隊列は、くすの木通りを渡り、飲食店が集まる豊年満作通りを横切って、やがてアベニュー入り口の胡屋北交差点まで辿りついた。ここは胡屋地区の一番北にあたる場所で、お店とは目と鼻の先でもある。ここで折り返し、路地を南下して園田(そんだ)方面に向かうのだろう。

 ちょっとした給水タイムののち、再びその場に留まっての演舞が始まった。お盆の親族会を終えた付近の住人らがぞろぞろと集まってくる。三線の音が始まる、少し遅れて太鼓が弾けだす。指笛がピューピューと夜空にこだまする。そして掛け声

 イヤササー ハーイーヤー ナーティーチェー

 泉井さんは、再び写真を撮るんだとまた前の方へ行ってしまった。わたしたちも今度は太鼓も見たいので、手踊りと太鼓の境い目辺りにいることにした。

「おい、いたいた、近くまで来たなー」

 店の中にまで太鼓の音が聞こえてきたと、夫が見に来ていた。横には常連の倉敷さん。

「ぼくも単身赴任だから、行くとこなくてユージさんと飲んでたんですよ。ラッキーですよ、こんなそばでエイサー見れるなんて。あっ風、強くなってきましたねー」

 そういえば、時折強く風が吹くようになってきていた。息子が夫に寄り添ったので、わたしはナーナーの手をつないだ。 

 ドン ドン ドン ドン ドン ドンドンドン

 やがて2曲目が唐船(とうしん)ドーイになった。よく祭りのフィナーレに使われる早弾きの演目だ。すると指笛がさらに鳴り響き、演舞する青年会だけでなく、見ている人も体を動かし始める。その全員が叫ぶように、

 ハイヤ センスル ユイヤナ イヤッサッサッサッサ

(そういえばこの曲、夢の中で聴いたなー、石川の収容所で。あれからもう2か月も経つのか。その間にほんといろんなことがあったもんだ)

 そんな思いに浸ってると、エイサーの列の向こう側からこっちに手を振る人影があった。リサちゃんだった。隣にはトーニオもいる。街灯のちょうど下にいるので、そこだけ浮かび上がって見える。それを見つけたナーナーが、エイサーの隊列を気にせず、駆け寄ろうとしたのできつく手をつないだ。

(ほらー、アキさんに怒られたー)

 リサちゃんの笑い顔がそう言っていた。ナーナーも「えへへ」と笑った。手踊りのお姉さんが、(ほら、いまなら行っていいよ)と合図してくれたので、わたしはナーナーの手を離した。ナーナーはすぐに駆け出し、しゃがんだリサちゃんの胸に飛び込んでいった。夜道の街灯に今度は三人が浮かび上がって見えた。

 ドン ドン ドン ドン ドン ドンドンドン

 リサちゃんは右手の親指と小指を使って(あとで電話します)。そして両手を合わせて(今日はありがとうございました)

 やがて、ナーナーを真ん中にして3人は見物客の人ごみに紛れて見えなくなっていった。

 ハイヤ センスル ユイヤナ イヤッサッサッサッサ

(リサちゃん、頑張れー。幸せ掴むんだよー!)

 わたしはエイサーの太鼓に乗せて、心の中でエールを送っていた。

 でも、しまった、お土産のスィーツ、もらいそこねたー。


 沖縄サンバカーニバルまで、あと67日。




 第15話に続く




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです