「みんな元気かーい! さあ、『ヒカリのピカッと音楽』がはじまるぜぃ! 今夜のゲストは中央パークアベニューのブラジル料理店、オ・ペイシのアキさんでーす!」
地元で活動するギタリスト、ヒカリさんがDJを務めるFMコザのトーク番組に、今月も呼んでもらっている。
「さあ、今回もサンバやブラジルのこと、話してもらおうねー」
「そういえば、この番組でしたメンバー募集の呼びかけで、新人がふたりも入ってきたんですよ。それと沖縄サンバカーニバル、ついに開催決定しました」
「そりゃーよかった。11月の沖縄国際カーニバルの中で、サンバカーニバルを開催するんだよね」
「はい、11月7日の日曜日、空港通りでパレードします。みなさん、楽しみにしてくださいね」
時間は夜の6時スタートで30分間の枠ということで調整している。ただ決定ではないので、このことはまだ話せない。
「ところで、前回放送したナイチャーあるあるのコーナーも好評だったみたいで、またやってってリクエストがあったんだけどー」
「そんなコーナーあったんですか、知りませんでしたけど、ははは」
「それで、また、はっさびよーってこと、なんかあったー」
「そうですねー、しいて言うなら沖縄の地名ですかねー。わたしたちが驚くのは」
「あれでしょ、豊見城のほえいも(保栄茂)って書いて『びん』とか、浦添のせいりきゃく(勢理客)と書いて『じっちゃく』とかでしょ。保栄茂なんて、なんで漢字三文字なのに『びん』なんだろうねー」
「沖縄市周辺では、だいくまわり(大工廻)と書いて『だくじゃく』が読めませんでしたねー」
「わかるー、だって俺たちだって読めないもん。最近では沖縄の地名はクイズにもなってるみたいだねー」
「でもですねー、それ以上に驚いたのが、中央ですよ。いま、わたしたちがいる」
「中央パークアベニューの中央だろ、このスタジオがあるところは中央一丁目だけど」
「ここってもともとセンター通り。正式な住所もコザ市センター区だったそうですよね。それが沖縄が復帰した際にセンターを和訳して中央にしたって聞いたんですけど、それってなんか逆じゃないですかー」
この辺りのことは夫が調べて、笑い話のように教えてくれた。
「ははは、言われてみるとそうかもねー。去年、長野県に南アルプス市ができてたってニュースになったけど、外来語にした方がかっこいいかもしれないのに、英語の地名を和訳しちゃうのはコザならではかもしれないねー。ははは、さすがアキさん、するどい」
ちなみにこの地区には、いまだセンター婦人部、センター自治会、センター区青年会など、センターの地名が残ってはいる。
「ところでアキさん、前回はパレードにはテーマがあって、そのテーマは沖縄っぽいものにするってとこまで話したけど、その後どうなった」
「すみません、テーマ会議はしてるんですけど、まだ話し合いの途中で。でも、えーと…」
「でも、なに?」
「漠然となんですけど、この街のことを、日本全国に知ってもらうようなパレードになればって、そうですね、昨日から考えるようになって。ごめんなさいこれはまだ、わたし個人の意見なんですけど」
「ははー、昨日、米軍のヘリが落ちて、なんか考えたんでしょー」
センター区から変更となった中央
「まだちゃんと考えられてないんですけど、なんであの事故のことがあまり全国に報道されないのかって思って。だって、昨日のトップニュース、巨人のナベツネ辞任でしょ」
「うーん、わかるよ。でも俺はずっとこの島で育ってるから、沖縄の扱いなんてこんなもんだって慣れちゃてるけどね」
「これが東大に落ちてたら、絶対トップニュースじゃないですか」
「ははー、そうかもねー。でも、たとえばさ、嘉手納基地周辺って住宅のクーラー、10年ごとに無料でつけてくれるじゃない。騒音でうるさくて窓が開けられないって」
確かにうちもこの前、大家さんに新品に変えてもらったばかりだ。
「それと嘉手納町の滑走路に近い辺りは、無料で窓も二重サッシにしてもらえるらしいよ、もちろん国からの補助金で。それくらい、いつも基地と一緒に生活してるっていうか。だから、この辺の人たちは、いま更ヘリが落ちたくらいじゃ驚かないんじゃないかな」
「そこなんです。そういうことを全部含めて、この街のことを知ってもらうようなパレードができないかって」
「はは、そうかー、アキさんからすると、沖縄ってなんだかわからないことばかりでしょ」
「わたし、大学時代から沖縄にはダイビングでよく来てたんですけど、そのころはまだ青い海とステーキが安い島ぐらいにしか考えてなくて」
「まあ、観光客はそれでいいでしょー」
「でも、こっちで暮らすようになって、地元の人からいろんなこと教えてもらって、いろいろ考えて、今度はそれを」
「全国に伝えたいんだよね。うん、いいと思うよ。だけど、基地とか戦争とかってテーマにしちゃうわけ?」
そのあたりのことは、今回の米軍ヘリ墜落事故とは関係なく、以前から、いろいろと考えてはいた。
ブラジルのカーニバルでも、パレードのテーマはやっぱりブラジルに関することが基本。その中で、しばしば扱われるのが奴隷制度という負の歴史について。
アフリカ大陸からブラジルに連れてこられた奴隷たちが、まず上陸したのが、かつての首都サルバドール。また逃亡奴隷を匿うために作られた集落がキロンボ。そして、その最大の集落パルマーレスの最後のリーダーだったのがズンビ。彼は40歳で斬首刑にあう。また、白人男性と結婚し、奴隷の立場から抜け出したシーカ・ダ・シウバ。そして最終的に奴隷制度を撤廃したイザベル王女。
これらの人名、地名は、毎年、必ずどこかのサンバチームがテーマにして歌っているもの。だからと言って、悲しい歌になるかというと、そうではない。「そういうこともあったけど、これからはいい時代にしていこう」と歌うのがカーニバル。
そして、なんでわたしが奴隷の歴史に詳しいかっていうと、すべてサンバの歌詞から知り得たのだ。あたりまえだけど、わたしはブラジルの学校へは行ってない。サンバがわたしの社会の教科書だった。
「基地や戦争をテーマにするべきだってわけじゃないです。ただ、それらをテーマにして、それを乗り越えて沖縄の未来をみんなで考えようっていうのもありかなーとは考えてます」
「うーん、まあ、お祭りなんだから前向きな曲がいいに決まってるよなー。とにかくテーマ、そしてテーマ曲決まったら、次回のこの番組で発表してね。それではアキさんから今夜のおすすめのサンバ、曲の紹介お願いしまーす」
「キロンボというリオのサンバチームの1978年のテーマ曲で『アオ・ポーボ・エン・フォルマ・デ・アルチ』です。かつて奴隷だった先祖は不幸な時には戦い、命を落とし、それでも彼らの血に流れるアフリカの威厳は、今日のブラジルに息づいている、と歌った曲です」
「サンバってとにかく明るい曲ばかりと思ってたけど、そうではないんだねー。うん、沖縄のサンバがどんな曲になるか、期待してるよー」
逃亡奴隷を匿うために作られた集落キロンボ
放送が終わって急いでお店に戻ると、お盆休みとペイデーのおかげでだろうね、客席はほとんど埋まっていた。そしていつもナーリーさんが座る6番テーブルには板さんが来てくれていた。
板橋文路さんは東京のサンバチームで活動するギター奏者。毎年ゴールデンウィークには旅行がてらに鳩間島の音楽祭に出演していて、その帰路、うちのお店に寄ってライブをやってくれることが恒例になっている。そのライブの時は男性ボーカルとコンビだけど、今日は奥さんとお子さんふたりと一緒。
「たまには家族サービスもしなくちゃ」と沖縄本島をあちこち回るのだそうだ。
「ラジオ聴きましたよ。面白そうですね。僕たちが知らない沖縄のこと、是非ともサンバにしてくださいよ」
と、板さん。夫がいつも厨房でナイターを聞いている携帯ラジオを貸してもらっていたようだ。
「さっきから、口説いてるんだけど、たぶん板さん、11月来てくれるって」
夫がそれを言うために厨房から顔をのぞかせる。すぐにガス台に戻っていくところを見ると、注文が溜まっているようだ。
「ユージさん、まだ決まりじゃないですからねー。一応予定に入れときますけど、地元のギターの人に、まずはお願いしておいてくださいね」
「ギターはちゃんと呼びますから、板橋さんはカバッコ、お願いします」
と、すかさずわたしからも。カバッコはウクレレと同じ大きさの4弦楽器。サンバではギターとカバッコと揃って演奏するのが常なので、板さんには是非とも来てもらいたい。
「ところでアキさん、テーマ何になりそうなんですか」
「明日、ミーティングがあるんですけど、実はもうユージが『缶から三線』で歌作り始めてるんです。あそこにいるリサちゃんのアイディアなんですけど」
リサちゃんはというと、アメリカ人家族のオーダーを取っている。すると、観光客らしいお客さんがひと組入ってきた。
「いらっしゃいませー。すいません、板さん、話はまたあとでゆっくりと」
「大丈夫、大丈夫。今日はさすがに混んでますね、頑張ってください。あっ、ボンゴレのスパゲッティー、おいしかったですよ」
第1回目の沖縄サンバカーニバル。少しずつ、でも確実に形が見えてきた。
沖縄サンバカーニバルまで、あと85日。
第13話に続く
カバッコ カヴァキーニョとも呼ばれる
※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです