沖縄国際カーニバル2004のちらし
「それでは次は7日、日曜日の行事日程です。プリントに書かれています通り、国道330号線、北側はコザ十字路、南側はプラザハウス、この間4キロを15時より車両通行止めにします。そして16時より両地点から民俗芸能大パレードをスタートさせ、北組、南組、それぞれ2キロの距離を空港通り入り口、琉球銀行前まで行進します。その後、空港道りに入り、ゴール地点はゲート・トゥー手前のアルテック駐車場前。終了時間は18時30分。それに合わせ330号線の規制は19時までとなっています」
今日は午後3時から、沖縄市観光協会の仲村さんが司会進行役となって、沖縄国際カーニバルの会議が市役所地下の会議室で行われている。沖縄市文化観光課や沖縄警察署など行政からはもちろん、沖縄市の芸能団体協議会や青年団協議会など、市公認の参加団体の責任者が出席する中で、わたしと幸江さんも、会議に出るようにと連絡があった。
沖縄サンバカーニバルというイベントがそれなりに期待されているんだろうと嬉しくはあるけど、県外出身のわたしがこういうところに出席するのは、ちょっと居心地が悪いというか、まるで転校生の気分だ。
ただ、沖縄警察署からは花城婦警が来ていて、会議前に軽くあいさつを交わした。知っている人がひとりでもいると少しは気が楽になるものだ。彼女にはサンバチームの騒音のことで、ずん分注意を受けてきたけど、それは彼女が仕事に忠実なだけだということはわかっている。
いま、打ち合わせしてるのは、7日、日曜日の行事について。
この日のメイン・イベントは、国道330号線での民俗芸能大パレード。米軍関係者50人がアメリカ各州の旗を持って行進する「50州旗パレード」を皮きりに、沖縄市の観光大使、ミス・ハイビスカスの3人がオープンカーで登場したり、子供会、婦人会、専門学校、フラメンコやサルサの団体、そしてエイサーの団体など約50団体が参加する。わたしたちのサンバチームも、この大パレードには2001年から参加していた。
そして今年からは、沖縄サンバカーニバルというイベント枠を作ってもらったわけなんだけど、今日の話し合いでは、この大パレードの時間内に、言ってみればフィナーレの団体として空港通りのみをパレードするという形になるようだ。指定された時間は18時から18時30分。
「沖縄サンバカーニバルですが、大パレード本体は17時半には終わりますので、そのあとすぐ始めて結構です。ただし、サンバのあとは大綱引きの準備があるので、18時半には絶対に終わって下さい」
大綱引きは、沖縄県内の多くの市民まつりで行われるこの島の伝統行事。沖縄市でも、綱を幾重にも撚り合わせた太さ一メートル、長さ80メートル、総重量10トンの大綱が、毎年、何日もかけて作られる。
この大綱は、当日前夜から空港道りの南側の路側帯に準備され、サンバカーニバルのパレードが終わり次第、人力で通りの真ん中に移動させることになっている。この移動を18時30分から行い、19時には大綱引きを始めたいということなのだ。
ただし、わたしには疑問に思うことがあった。
「すみません、大パレードの終了が17時半より遅れた場合はどうなるんですか、わたしたちにはパレードする前に整列する時間も必要ですし」
すると司会の仲村さんは、特に考えることなく、
「毎年、遅れずに終了してますので、その点はご心配なく」
「でも一応、遅れたときの話し合いは、しておいた方がいいんじゃないですか」
「アキさん、大丈夫です。それに、もともと無かった時間をサンバチームのためだけに作ったんですから、遅れても18時30分までに終わって下さい」
「でも、なんかあったら、10分でもいいですから時間を押せませんか」
「だからですねー」と、仲村さんが言いかけたときだった。
「あんたねー、さっきから聞いてると、まるでナイチャーいじめじゃないか。県外からお金かけて飛行機乗ってやってくるサンバの人たちもいるんだから、ちゃんと時間取ってあげなさいよ」
幸江さんは仲村さんとは旧知の仲なので、わたしの言いたいことを遠慮なく言ってくれる。すると、そのやり取りを聞いていた行政側の席に座る花城婦警から、
「時間を押されると、大綱引きの後の空港通りの規制解除が遅れてしまうので、そこはご理解ください」
「空港通りの規制解除は22時ってここに書いてあるけど、そんな時間帯にはもう交通量なんてないじゃないの」
「すみません、上ですでに決まったことですので、わたしからは何とも」
「ちょっと、みなさん、もっと県外の人に協力してあげてよ、だからウチナンチューは…」
幸江さんがそこまで言いかけたとき、
「仲村さん、花城さん、わかりましたから、次の議題に移ってください」
と、わたしは信江さんの発言を遮った。
「幸江さん、ありがとうございます。今は全体会議だから、あとで考えましょう」
「でもねー」
幸江さんは煮え切らないと言った顔をしていたけど、わたしたちのために熱くなってくれたことは、もちろんうれしかった。
プラザハウスショッピングセンター
会議が終わったのち、車で来ていた幸江さんは通り会の事務所に戻るというので、お店まで送ってもらうことにした。その車の中で、
「まあ、アキさん、言っても損だし言わなくても損、なら言わない方がよかったかもしれないね」
「いえ、言ってくれてよかったんですけど、でも、あの場で議論しても答えが出ない雰囲気でしたから。変に食い下がって、意地悪されても、来年のこともありますし」
「まーねー、でも、だから、あたしはこの街はダメだっていうんだよ」
「だけど、やっぱりおかしいですよね。持ち時間の話もそうですけど、雨天の時の話し合いもほとんどなかったし」
「覚えてると思うけど、2000年は雨の中でもパレードしたでしょ。どうせ雨天でも決行よ」
言われてみれば、その年、エイサーの手踊りの女の子がずぶ濡れになり、着物が体に張り付いていた光景を思い出す。
「でも、わたしたちは羽根飾りがあるから、絶対、濡らしたくないんですよ」
「まあ、雨の時はアベニューのアーケードの下でやったらいいよ。わたしが許可する」
そのことは、わたしからお願いしようと考えてたことではあった。。
「アキさん、とにかく今年は無難にやろう。わかってるとは思うけど、サンバは今はまだ珍しいから、言い方悪いけど、客寄せパンダだから時間が取れたの。飽きられたらポイって見捨てられるわね。大綱引きやエイサーと同じ扱いなんて絶対にされないから。とにかくいまは逆らわず、長く続けていくうちに、コザにはサンバがあるってなるまでお互い我慢だよ。そうすれば、この街で発言できるようになるから」
まあ、それが得策なんだろう。ただし、お店に戻り、今日のいきさつを夫に話すと、
「山車だって仮装だって何日もかけて作ってるんだから。当日10分しかできなかったなんてのは御免だって。まあ、とにかく、いまは幸江さんが言うように何も言わない方がいいかもな。でも、俺には考えがある」
多分、この人は時間が押しても予定通り30分やるつもりなんだろうと思った。なんたって熱血応援団長だったんだから。ただ、夫が熱くなっているのを見ると、それを見ているわたしは、逆に冷静にならずにいられなかった。確かに来年のことを考えると、危ない橋は渡らないほうがいいかもしれない。
ところで、今日の会議で配られた大パレード参加団体のリストを見ると、ケン・ダンススクールの名前があった。そうか、まだあの日から2週間しかたってないけど、お祭りに参加はするんだ。よかった。ちょっとほっとした。
沖縄サンバカーニバルまで、あと一七日。
第24話に続く
沖縄市役所
胡屋十字路 当時は歩道橋があった
※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです