小説 沖縄サンバカーニバル2004

20年前の沖縄・コザを舞台に、現在も続く沖縄サンバカーニバル誕生秘話

第25話 11月6日(土) チャンプルー

 いよいよ明日が記念すべき第1回沖縄サンバカーニバル

 男性陣はというと、午前中から保健所跡地の駐車場で山車の組み立て作業をしている。

 倉敷さんの設計によると、トラックの荷台に単管で飛行機の主翼、尾翼のように大小のせり出しを段差をつけて作り、その上にコンパネを載せ、左右両端にひとりずつ立てるようにするそうだ。

 運転席の屋根の上にもひとり立てる台を、また荷台の真ん中にもスペースがあるので、そこも使えば合計6人が立てる。これを運転席が後ろになるようバックで押すことで、ひな壇が進んでくるように見せるのだという。

 ところで4トントラック2台のうち、1台は通り会所有のものが使えるけど、もう1台はレンタカーしなくてはと、夫はムーネーとふたり、朝早くから出かけて行った。パレードではエンジンをかけず、人力で押すので、オートマ車ではまずいらしい。何とか牧港(まちなと)の方でマニュアル車を見つけたと言っていた。

 わたしたち女性陣はというと、いずみちゃんとユキちゃんが午前中から来てくれて、お店の2階で完成した衣装の仕分けの作業をしている。ただ、夫から午後1時には休憩をとるから差し入れを頼むと言われていたので、その時間を見計らって、ミッキーのママ、江美子さんに頼んでいたおにぎりをみんなで持っていくことにした。

 保健所跡地につくと、すでに山車はほとんど出来上がっていた。

「おーい、見ろよー、すごいだろー。これがあのボロい通り会のトラックとは思えないだろー」

 夫が得意げに叫んでくる。手前に停まっている山車は、骨組みや車体がベニヤ板や段ボールですっぽりと包み隠され、その上からアルミホイルが全面に貼られているので、見事、白銀に輝いている。

 パレードでは先頭を進むこの山車には、同じく銀色を基調とした衣装の参加者5人が乗ることになっている。この衣装も先頭グループの衣装と同様、サンパウロのサンバチームから下取りしてきたもので、背中に銀の羽根が扇を広げたように20本並ぶ大きなものだ。そして、その中央に立つのが紅型の着物のリンスケさん役。うん、映えるな、これだったら。

 もう1台は緑を基調にしたデザイン。一台目とほぼ同じ作りだけど、アルミホイルの上からさらに光沢のある緑の素材を要所要所に張り付けている。その素材とは自動車用のサンシェード。夫が県内の100円ショップを数軒回って大量に集めてきた。この山車のせり出しにはビキニの女性4名が乗る予定で、運転席上にはふたり目のリンスケさん、荷台の中心部には小さな子供を4、5人乗せるそうだ。この緑の山車はパレードの最後尾を走る。

「さー、みなさーん、おにぎりあるから休憩してー」

 わたしは用意した敷物を広げ、おにぎりや漬物、麦茶の入ったサーバーなどを並べていく。すると、今さっき尚ちゃんが直接ここに着いたらしく、

「わたしーも差し入れ持ってきましたー、ブラジル料理じゃないんですが、みなさん大好きなブエノチキンですよー、普天間で買ってきましたー」

 そう言いながら、わたしの横で鳥の蒸し焼きの入ったアルミホイルのパッケージを広げていく。これにすぐに反応したのが倉敷さんで、

「僕、これ大好物なんですよー、ニンニクたっぷりで。でもこれ臭いますよねー」

「大丈夫ですよー、みんなで食べちゃえば、ははは。それに明日のためにスタミナつけてくださいねー」

第25話 11月6日(土) チャンプルー
ブエノチキンの若鶏の丸焼き

 見回すと、作業にはムーネーはもちろん、ジャイミや悠仁、それと、ひとり背の高い人がいるかと思ったら、シェイラーズ・バザールのテディーさんだった。

「たまたま通りかかったら、皆さんが作業していたから、ワタシも手伝おうと思って」

 テディーさんはお祭り好きで、年に1度、県内のインド人家族が集まってパーティをするときなど、会場の飾りつけを率先して行っているそうだ。

 自衛隊の藤川さんも部下の方、3名と来てくれていた。

自衛隊は三交代なんで、勤務が終わって仮眠した順に、まだまだ手伝いにやってきますわ」

 と心強いお言葉。夫も自衛隊の行動力には色々と感心させられているようで、

「見ろよ、このガムテープ。こんな太いのどこで売ってるんだろうねー」

 藤川さんが隊の備品をいろいろ持ってきてくれてるようで、わたしが「怒られませんか」と尋ねると、「大丈夫です。これも任務の一環です!」と敬礼しながら笑って答えてくれた。

 その少しあとにやってきた幸江さんは、具志川の上間天ぷらを茶色い紙袋いっぱいに買ってきてくれた。

「いやー、たくさん集まってるねー、アキさんソースあるー」

「はいはい、ちゃんと用意してますよ」

 1時間ほど前に幸江さんから、上間天ぷらに寄ってから作業場にいくと電話があったので、お店にあったウスターソースを持ってきていた。

「天ぷらをソースで食べるようになったら、アキさんもウチナンチューだよー、ははは」

 まあ、それを教えてくれたのは幸江さんなんですけどね。さらに幸江さんからは、

「それと、またカンパいただいてきたから、ほら見てごらん、野口英雄だよ」

「ほんとだ、新札くれるなんて気前がいいですよねー」

「新札だって千円は千円だよ。一緒じゃない。ははは」

 この一日から新札が発行されて、千円札は夏目漱石から野口英雄にデザインが変わった。見ると今日は守礼の門の二千円札も混じってる。カンパを保管している封筒に差し込もうとすると、白黒のドル札も入っていたので、いろんな種類のお札が目についた。これってお金のチャンプルー、いや、なんか意味が違うか。


 やがて「もうビールも飲んじゃおうよ」との幸江さんの一声で、飲み会とまではいかないまでも、ピクニックのような雰囲気になった。おのおの、おにぎりを片手にチキンやてんぷらをつまんでいる。目の前にちょうどよく中央マートというスーパーがあるので、ビールには事欠かない。山車はほとんどできてるし、倉敷さんは明日の朝も作業すると言っていたので、まあ、いいだろう。11月と言っても、日差しは半そでの腕に暑いぐらいだ。沖縄はここんところずっと晴れの日が続いていて、明日もきっと晴れるだろう。


 そうしていると、観光協会の仲村さんが姿を見せた。仲村さんが来ることは、昨日電話をもらっていたので知ってはいたけど、夫はというと、

「当日のうちらの時間を気にしてるんだろ、パレードの途中で山車が壊れたら時間オーバーしちゃうんで、調べに来るんだろうな」と、少し疑心暗鬼になっている様子。

 仲村さんの横には青年団協議会の池間さんとお仲間が数人。青年団協議会とはエイサーの団体を総括する組織。実はこの池間さんには、以前、サンバカーニバルを手伝ってくれませんかと相談させてもらったことがあった。そのとき、演奏はできないけど山車を押すことはしましょうという、ありがたいお返事をくれた方なのだ。そして青年団協議会の会員は、ほとんどがエイサー経験者なので、今、来てくれている人たちは、みな揃ってゴツイ、失礼、男っぽい。

「いやー、楽しそうですねー。すごいすごい、ほとんど完成したようですねー」と、仲村さん。一応、山車の出来栄えには感心してくれているようだ。すると倉敷さんが、

「せっかくですから今日は試しに押してみてください。押し方にも多少コツが必要なんで」と呼びかける。さらにわたしに向かって、

「どうせなら人を乗せて試してみましょうよ、アキさん、女性陣を乗せてください」

 それならばと、尚ちゃん、ユキちゃん、幸江さんと、ミッキーのママの江美子さん、そして、ちょうど今やってきたジャニースに乗ってもらうことにした。まずは白銀の山車だ。

「いやー、私なんか乗っていいんですか、でもすごーい」と喜ぶ江美子さん。「あたしもあと20歳若ければ、ビキニ着て踊ってあげたのに」とは幸江さん。ジャニースも「ワタシ、子供の頃、貧しかったからカーニバル出たことなくて。それで山車の上に乗って踊るのがずーっと夢だったの」と、みんな一様にはしゃぎだす。やっぱりお祭りの山車って、気持ちを高ぶらせる何かがあるんだろうな。

 ユキちゃんは「アキさんが乗ればいいのに」と言ってくれたけど、「いいの、わたしはサンパウロで乗ったことあるから」と答えると「それ自慢ですかー」と、しかめ面をされてしまった。すぐに、にやにや笑ってたけどね。

 さらに倉敷さんがもうひとり乗れるよーというので、折角なのでテディーさんに乗ってもらうことにした。リンスケさん役の場所に。

「ワーォ、まるでマハラジャになった気分デス」

 もともと陽気な方なんだろうねー。山車に上ると、みんなに向かって王様のような会釈をして、おどけて見せてくれた。

「それでは立て付け始めますよー、みなさん用意!」と、藤川さんが号令を出す。立て付けとは自衛隊用語で予行練習のような意味だそうだ。当日は、藤川さんが1台目の山車の監督をする。

 ちなみに2台目の監督は、倉敷さんの代わりに急きょ、卓がすることになった。夫は、信用できる身内にしか任せられないと言っていた。

 号令を受けてサンバチームの男性陣、自衛官青年団協議会の皆さんが配置につく。運転席前に4人、荷台の左右に3人ずつ、計10人がそれぞれ取り付けられた単管を握る。もちろん運転席にもひとりが乗り込む。そして「始めー」の掛け声で運転手がブレーキを放す。すると山車はゆっくりと進みだした。

「わー、すごいすごい。結構揺れるもんだねー、視線も高いし。でも慣れると気持ちいいねー」

 ちょっとへっぴり腰になった幸江さん。せり出しには手すりがついているので、それをしっかりと握っている。

「ちょっとみなさーん、パレード当日のようにちゃんと踊ってみせてくださーい」

 わたしがそう声を掛けると、

「こうかい、こんな感じかいー」

 と、運転席の上に立つ江美子さんがくねくねと腰を振りだした。それに合わせてテディーさんも長身をくねらす。見ているみんながどっと笑う。山車は午後の日差しを浴びてきらきら光りながら、駐車場内を無事一周し、きちんと元の場所に戻ってきた。

 その後、2台目の山車も何の問題なく1周できたので、皆一様によしっといった表情。夫にしても仲村さんにしても、きちんと動きさえすれば、わだかまりはないからね。

 ちなみに明日の本番では、2台目の山車のリンスケさん役は倉敷さんなんだけど、1台目は誰かというと照屋楽器の林栄さん。お店で飲んでいるときに、有無を言わさずお願いした。体型も、ほっぺがお餅のようにふっくらとしているところも、若い頃のリンスケさんにそっくりだからね。


「それじゃーみなさん、明日のために、もう少しガソリンを入れますか」

 現場責任者である倉敷さんは、気をよくして仲村さんや池間さんたちにもお酒やつまみを勧めだす。作ったばかりの山車のせり出しには、どんどんビールの空き缶が並んでいく。

 そうして和気あいあいとした時間が流れる中、しばらくすると思い立ったかのように倉敷さんが、

「ちょっと恥ずかしいんですけど、こんな場なんで弾かせてもらえませんか」

 そう言うと、停めてあった自分の車から、三線を取り出してきた。

「沖縄に来てからずっと習ってたんですけど、いつか人前で弾いてみたくてですねー」

 すると地面に胡坐をかくと、ゆっくりと三線を奏で始めた。リンスケさん作曲のジントーヨーワルツという歌だった。県外に出稼ぎに行く若者と送り出す親の心を歌った曲だ。わたしはネーネーズという女性グループのCDで聞いたことがある。

 人前では初めて弾くという割には背筋をピンと伸ばし、歌声にも伸びがある。ただ三拍子の曲なので、みんな手拍子の入れ方に戸惑っている様子。それでも聞いていて心地の良い演奏だ。さっきまでの組み立て作業の慌ただしさが、すっと静まり返る。風のそよぐ音が歌の合間に聞こえてくる。

 やがて弾きわると、弦の響きを指先で止めた。

「ありがとうございます。リンスケさんのパレードの山車を作ったあと、この曲を歌いたかったんです」

 すっきりとした面持ちでそう言った。リンスケさんがテーマになったのは、元をただせば倉敷さんがきっかけだもんね。

 すると、池間さんが、

「失礼して、僕にも貸してもらえませんか」と、倉橋さんから三線を手にする。

「お酒もいただいてるんで、折角なんで、この2台の山車にカリーをつけましょう」

 すぐに速弾きを始める。豊年音頭だ。エイサーでもよく演奏される曲だ。太鼓はないのでみんなが手拍子を始める。指笛が高く響く。サンバの関係者も大半はウチナンチューだから、すぐにノリがひとつにまとまる。ユキちゃんといずみちゃんが手踊りを始める。尚ちゃんがカチャーシーをすると、ジャニースも見様見真似で両手を左右に振る。

「遅れてすみませーん、何ですかー、盛り上がってますねー」

 そこに卓がやってきた。土曜日も会社があると言っていたけど、早退してきたという。手にはスルドを抱えている。山車の組み立て作業中でも、練習をするかもしれないと持ってきたようだ。

「いいーねーゴリ、スルド入れてみなよ、ウチナンチューだろー、きっと合うよ」

 夫が卓をまくしたてる。卓もまんざらではない様子。すぐに三線にスルドの太い打音が重なった。するとジャニーズがもう辛抱できないと、カチャーシーをサンバステップにかえる。それを後押しするように、指笛がさらに鳴り響く。掛け声が一斉に上がる。


豊年でーびる 豊年でーびる
シトゥリトゥテン シトゥリトゥテン
イヤ!
ササッ! ササッ! ハッハッハッ!
ササッ! ササッ! ハッハッハッ!

 すると今度は夫が両手を広げ、自然にできた輪の中に割って入っていく、

「すみませーん、みなさんそのまま、そのままでお願いします」

 そして今年のテーマ曲の、さびの部分を歌い始めた。


歌いさびらー 踊やびらー
オーラエー ズンズズン
でたらめアビヤー ワタブー
沖縄ぬ カリーツケムン

 うまいこと三線とスルドが歌にのっている。サンバ関係者はここぞとばかりに次々と歌いだす。さらに、それに合わせて仲真さんらエイサーの人たちが掛け声を入れてくれた。


歌いさびらー 踊やびらー ハイヤ!
オーラエー ハイヤ! ズズンズズン
ハイヤ ササッ!
でたらめアビヤー ワタブー
沖縄ぬ カリーツケムン
ハイヤ ササッ!

 指笛が鳴らされ、大きな拍手が起こった。これだ、これだね。ははは、チャンプルーってこのことなんだ。


 やがて場が落ち着つくと、仲村さんたちは「では明日、頑張りましょー」と、和やかな顔をして帰って行った。

 残った人は山車の仕上げをする人はして、飲む人は飲んでという感じになった。わたしはそろそろお開きかなとごみの片付けを始めていると、幸江さんが手伝おうかとやってきた。別に急いでるわけでもないので、敷物にふたりでペタンと腰を下ろした。

「なんか今日よかったねー、これでオ・ペイシもコザの仲間入りだねー」

  と、幸江さん。

「案外、仲村さんもいい人ですよね」

「まあ、実際こうやって一緒に体を動かしたら、仲良くなるって」

 そういえば仲村さんが帰りがけに、夫と握手をしているのを見かけた。

「ところでさっき、何渡していたんですか? 倉敷さんに」

「なんだ見てたの。まあ大したもんじゃないよ。市役所の知り合いからコースターもらったんで、あげたんだよ」

 聞くと、沖縄市の伝統工芸の知花花織で作ったコースターだという。

「花織あげるなんて、意味深じゃないですか。さっき倉敷さんが弾いた曲でも、親が子に布巾を渡すこと歌ってましたし」

「べつに深い意味はないよ。だいたい倉敷さんって結婚してるよね」

「単身赴任っていっても、別居状態だって言ってましたけど、まあ、わたしには関係ないですけど」

「ははは。それよりさっき卓が花城婦警になんか言われてるの見た?」

 みんなで歌っているときにミニパトが通りかかり、花城婦警が降りて作業場に来ていた。

「今日は絶対に飲酒運転しないように。飲んだ人は車を置いて帰るようにしてください」と釘を刺し、すぐに帰っていったようだったけど。

「卓とは先輩後輩ですからね、挨拶もするでしょう」

「そうかい、あたしには卓がなんか頼まれている感じがしたから。まあいいさ、明日は思う存分騒いじゃおうねー」

 いつの間にか2台の山車が、夕日に照らされてオレンジ色に輝いていた。


 沖縄サンバカーニバルまで、あと1日。




 第26話に続く 




第25話 11月6日(土) チャンプルー
知花花織のコースター




※この小説は実際あった出来事をヒントにしたフィクションです